村娘から「卑近美」の探求へ

麗子像と並行して、劉生が独自の視点で見出した美の形も紹介される。神奈川県・鵠沼に在住していた時期に近所の娘をモデルに描いた《村娘図》(1919)では、田舎の娘が持つ素朴な美しさが捉えられている。


また、1922年頃から劉生は歌舞伎などの題材を通して「卑近美(ひきんび)」という概念を見出していく。《芝居絵(六代目中村伝九郎の朝比奈)》(1922頃)は、西洋美術の端正さとは異なる、東洋美術にある種の卑俗さの中に潜む渋い美を表現した作例だ。晩年の《菊》(1928-1929)では、緋毛氈の上に置かれた菊や柿といった東洋的な画題と油絵具が調和した空間が描かれている。これら3点も本展が初展示となる。
病床の友を見舞った白樺派の仲間たち

劉生の画業だけでなく、同時代の文化人との繋がりを示す資料も展示される。『白樺』の歌人である木下利玄が旧蔵していた《白樺同人寄書帖》(1922-1924年)は、肺結核で病床にあった木下を見舞った友人たちが寄せ書きを行った画帖である。劉生による作品も含まれており、白樺派の仲間たちの交流の様子がうかがえる。あわせて、富本憲吉や梅原龍三郎、中川一政ら、劉生と関わりの深かった作家たちの作品も紹介される。
- 1
- 2



















