「古い建物が残らない社会」が完成している日本
──京都モダン建築祭には、参加費の一部を参加建築に還元する「建築維持協力金」という特徴的な仕組みがあります。2025年度は約1200万円が建築維持協力金として支出されました。なぜ導入したのでしょうか。
笠原 建築祭には、大きくふたつの側面があると思っています。ひとつは、一般の参加者に向けたものです。建築を通じて街の歴史を知ってもらう、そして建築の魅力を知ってもらい、楽しんでもらう。教育的な側面もありますし、エンターテインメントや観光としての側面もあります。
でも、もうひとつ重要なのは、建物を公開してくださる所有者を応援するイベントでもあるということです。日本では、建築を保存するための負担が所有者に集中しがちです。だから、私たちはなんとか所有者を応援したいと考えているんです。その背景には、ヨーロッパと日本の文化財保護に対する考え方の違いもあると思います。
──それはどのような違いでしょうか。
笠原 私が大きな違いだと思うのは、個人の所有権と、文化財が持つ公共的な価値の関係です。ヨーロッパは、専門家や行政の判断に基づき、所有者の意向とは別に歴史的建築を半ば強制的に保護できる制度を持っています。建築や景観は社会全体で共有する財産でもあるという考え方が、制度のなかに強く根づいている。
それに対して日本では、個人の所有権が非常に重視されます。建築を文化財という制度で保護する際にも、所有者の同意が必要なんです。私は、この背景には戦後の日本社会のあり方が関係していると思っています。戦争への反省もあったと思われますが、そこから個人の権利を尊重する社会へと変わっていったいっぽうで、公共的な価値よりも個人の所有権が優先されやすい状況が生まれたのではないか、と。
とくに近代建築は、神社仏閣のように山のなかにあるわけではなく、都市の中心部など、開発圧力の強い場所に建っていることが多い。例えば、3階建ての古い建物を取り壊して30階建てのビルを建てられるとすれば、床面積が増えて、大きな収益を見込める。所有者が経済的な合理性を考えたとき、建て替えを選ぶのは当然とも言えます。そういう状況のなかで、古い建物を残すことは非常に難しいんです。
──建築の価値が、どうしても土地の経済的価値に負けてしまうと。
笠原 そうなんです。日本では、そもそも新しいものがいいものだという価値観が強い。とくに戦後を通じて、新しくて、きれいで、衛生的で、機能的な建物がいい建物だという考え方のなかで育ってきたわけです。その結果、古い建物に価値を見出し、どう活用するかという発想がなかなか生まれない。お金の稼ぎ方もわからないとなれば、面倒だから壊してしまおうとなる。
不動産市場でも、築50年というと古くて価値がないものとして扱われがちですよね。でも私たちからすれば、50年経ったからこそ、その建物には歴史的な価値が生まれてくる。絵画であれば、市場で価値が認められれば売却して、次の所有者に引き継いでいくこともできます。でも建築の場合は土地から切り離せない。不動産として土地の価値だけで判断されれば、建物は解体されてしまいます。
日本では「古い建物が残らない社会が完成してしまっている」 と、私はよく言うんです。それに対してヨーロッパでは「古い建物が残る社会が完成してしまっている」わけです。もちろん最近は、古い建物の価値をきちんと評価し、保存や活用に取り組む不動産関係者も出てきています。私もそういう方々と仕事をしていますが、まだ社会の主流にはなっていません。
──建築への関心が高まっているいっぽうで、丹下健三設計の旧香川県立体育館(通称「船の体育館」)のように、名作と呼ばれる近現代建築が解体されていく現実もあります。矛盾した状況にも思えます。
笠原 そうですね。やはり、新しい建物を建てることや、新しい開発を優先する考え方が根強いのだと思います。建築の文化的な価値が認められたとしても、それだけで保存が実現するわけではない。開発をめぐる経済的な構造や、古いものより新しいものを優先してきた社会の仕組みが背景にあります。
その構造を一気に変えることは難しい。では、いま私たちに何ができるのか。私は、所有者を応援することが重要だと思っています。

──建築祭がその役割を担うということでしょうか。
笠原 そうです。建築祭によって所有者の気持を後押しして、「その気にさせる」ことができると思うんですよ。自分の持っている建物について、誰かひとりから「これは価値がありますよ」と言われても、なかなか実感が湧かないかもしれません。でも、そこに1000人、2000人という人たちがやってきて、「すごい建物ですね」「素晴らしいですね」と言ってくれたらどうでしょうか。所有者も、「自分はそんなにすごいものを持っていたのか」と気づくかもしれない。建物の歴史や価値について知れば、「それなら簡単には壊せないな」「もう少し頑張って残してみようか」と思うきっかけになる。
もちろん、建築祭には何かを強制する力はありません。できることは限られています。それでも、所有者を応援し、保存しようという気持ちを後押しすることはできると思います。社会の人々に建築の価値を知ってもらうと同時に、所有者自身にもその価値を再認識してもらう。この両方が大切です。



















