表現の原点は音楽制作
──ソウエンさんは活動初期から現在まで福岡を拠点に活動されています。まずは、そもそも表現活動を始めようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?
ソー・ソウエン(以下、ソウエン) 兄からの影響で、10代の頃に身近にあった音楽制作を始めたことです。当時、兄がクラブカルチャーに没頭して音源制作をしていたので、それを見よう見まねで始めました。もともとは野球少年だったのですが、ヒップホップをはじめ多様な音楽を教えてもらうなかで感性が育まれ、表現することが身近になっていきました。そこからパソコンとマイクを使い、夜な夜な曲づくりに没頭するようになりました。
──最初は音楽制作に取り組まれていたソウエンさんが、絵画や美術の表現へと関心が移っていったのは、どのような経緯だったのでしょうか?
ソウエン 地元が一緒だったlee(asano+ryuhei)くんというビートメーカーの存在が大きいです。彼はものすごく繊細な音楽をつくる人なのですが、ある日クラブの机の上にスケッチブックを広げ、水彩画を静かに描くライブペイントをしていました。その姿に強い憧れを抱いて、自分でもスケッチブックを買って描き始めたのがきっかけです。高校3年生の頃に「美大」という存在を知り、美術予備校に通って2年間の浪人生活を経たのち、京都にある京都精華大学へ進学しました。
──進学先として京都精華大学を選ばれたのは、どういった理由からだったのでしょうか?
ソウエン 同学の入学試験の際、ポートフォリオ審査を通して自分の思考や作品性を丁寧に見て評価してくれたことや、もとから好きで画集も買っていたマルレーネ・デュマスについて面接で話したことをすごく覚えています。また、大学にいらっしゃった佐川晃司先生の言葉が、当時の自分に強い印象を残したことも大きな理由です。大学時代は佐川先生の影響もあり、モダニズムやグリーンバーグの美術理論を勉強していました。
──現在のソウエンさんの作品やスタンスからすると、モダニズムに関心を寄せていたのは少し意外な印象も受けます。
ソウエン そうなんです。一度はモダニズムに徹底的に向き合ってみたのですが、大学を卒業して地元に戻り、社会のなかで生きていくなかで、どこか自分のなかでしっくりこない感覚が芽生えていきました。もともと音楽制作からスタートしたようなオルタナティブな自分のルーツも相まって、異なる思考回路から作品を手がけたいと考えるようになりました。キャリア初期に手がけた絵画シリーズ「tie」(2019〜)では、知人の証明写真をピクセル状に分解し点描状に描くことで、遠くから見ると人物画として成立しつつも、画面に近づくと具体的に絵画を構成する絵具そのものに立ち返ってしまうという絵画の「物」と「イメージ」の狭間から、「他者」や「関係」について考えようとしていました。いま思うと、現在の実践のスタート地点となるようなシリーズだと考えています。

絵画からパフォーマンスへ
──モダニズム絵画の論理を一度ベースとして経たうえで、ご自身のオルタナティブなルーツに立ち返り、他者との関係性へと表現が至っていったプロセスは非常に興味深く感じました。そこから作品における「他者との距離感」がさらに変化し、パフォーマンスをはじめとする身体表現へと領域を広げていかれた印象があります。その背景にはどのような経験があったのでしょうか?
ソウエン コロナ禍に入った2019〜20年頃は、自分にとって私生活でも様々な出来事が重なった時期でした。実家の福祉施設で働くために地元に戻りつつも制作は続けていて、ありがたいことに発表の機会もいただくようになりました。いっぽうで、睡眠時間が1日3時間というような過酷な日々が続き、大きく体調を崩しました。コロナが蔓延するなか、他人の呼吸が自身の生存に深く影響を与える行為であったり、自分のものだと安心して身を預けていた身体という領域が、自分ではまったくコントロールのできないものでもあることを強く実感しました。そうした様々な経験の重なりが、表現の領域を絵画だけに留めないいまのスタイルへとつながっていきました。

なかでも、2021 年 5 月から開始したサラ・メリオとのパフォーマンスプロジェクト《We will sea》は、大きな転換点のひとつになっています。コロナ禍の最中、彼女へ手紙のようなステートメントを送り、このプロジェクトを提案しました。具体的には、ZoomやSkypeでお互いの身体をプロジェクターで壁面に投影し合い、画面越しに動きを合わせたり、投影された像の上にドローイングを重ねていくようなパフォーマンスです。これを週に1回、約1年間にわたって継続しました。未知の出来事によって世界が大きく揺らぐなか、いまこの時代を生きる自分たちだからこそ捉えられる手触りを残したい、という欲求から始まった取り組みでした。
──その後、卵を用いたパフォーマンス《The Egg》や《Eggsercise》といった作品へ展開していきますが、これらはどのようなきっかけで生まれたのでしょうか?
ソウエン もっとも大きなきっかけとなったのは、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻です。これをきっかけに、「『守る』とはどういうことなのか」を深く考えさせられました。自分の身体を通して他者とどうともに存在できるのかという問いから、ふたつの身体で「生命そのものである生卵」を挟み、落とすことなく保持し続けるという作品が生まれました。

── ふたつの身体で小さな卵を挟むというパフォーマンスは、実際拝見すると鑑賞者としても思わずドキッとするような緊張感があります。壊れやすさや痛みの感覚だけではない多様な感情が交錯し、観る側の体感によっても捉え方が変わる作品だと感じました。同時に、これだけ身体的・心理的な距離が近く安全性が求められる表現において、ご自身でパフォーマンスを行う場合と他者に委ねる場合があるかと思いますが、共演される方はどのように決められているのでしょうか?
ソウエン 最初はメキシコでの滞在制作の際、現地のダンサーを紹介してもらいました。当初は年齢や性別、国籍といった属性を問わず、「あらゆる他者とパフォーマンスを行いたい」と考えていました。しかし実際に試してみると、身体的な距離の近さや観客の前に出るという暴力性について考えることが多数あり、他者にそれを委ねることの難しさを実感しました。そのため、まずはダンサーなど身体のプロフェッショナルや、心から信頼できる親しい方から始め、徐々にやり方を模索してきました。特定の性別や文脈に作品の意味を固執させるのではなく、純粋に「ふたつの身体が、ひとつの命(卵)を支えるために自らの体を行使している状態」そのものに意味を留めるよう、いまでもその方法を実験的に模索しています。

──「VOCA展2026」のVOCA奨励賞を受賞された《Pain things - ペイン ティングス》など、作品のタイトルの付け方も非常に特徴的ですね。
ソウエン タイトルは様々な方に作品を届けるための重要な入り口だと考えているので、言葉選びにはかなりこだわりを持っています。「VOCA」は平面作品のコンペティションだからこそ「ペインティング」という言葉を入れつつ、そこに分離に伴う痛み(Pain)を重ねてタイトルにしました。
本作は、母体からの分離の証である「お臍」や、世界に自分を投げ出すとともに世界を自身に取り込んでいくための「産声」について思索した作品です。制作期間中、スタジオにインターンとして来ていた中国出身の方が、一人っ子政策の時代に養子に出された経験をもっていました。彼女との出会いによって制作はより深まり、彼女の存在や言葉に触れながら、自分自身の表現を変形させてつくっていきました。
他者とともに制作を行う以上、自分の考えだけのために他者とかかわるのではなく、相互に影響を与え合い、制作する環境そのものを「みんなで生き延びるための知恵を共有する場」にしたいと、常々目標に掲げながら制作をしています。
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