ターナーとは何者だったのか。ターナーの専門家・富岡進一の言葉から探る

19世紀イギリスを代表する画家、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775〜1851)。その作品をテーマごとに展示するとともに、現代美術を併置する企画展「テート美術館 ターナー展――崇高の絵画、現代美術との対話」が国立西洋美術館で開催される。会期は10月24日〜2027年2月21日。イギリスを代表する画家・ターナーとはどのような人物だったのか。また、その作品を現代において見る意義はどこにあるのか。ターナーを専門的に研究してきた郡山市立美術館・学芸課長の富岡進一の言葉で迫る。 ※10月23日24時まですべての方に全文お読みいただけます

聞き手・構成:安原真広(編集部)

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《捕鯨船エレバス号に万歳! もう一頭獲ったぞ!》(展示:1846)キャンバスに油彩 90.2×120.6cm テート美術館 Photo by Tate 「テート美術館 ターナー展――崇高の絵画、現代美術との対話」展示作品

ロンドンの中心で新たな時代を肌で感じながら育つ

──ターナーの生まれた18世紀後半の英国は、世界に先駆けて産業革命が起こり、植民地を拡大するとともに、世界最大の帝国としての地位を確立していく時代でした。当時のロンドンがどのような状況だったのか、まずは教えていただけますか。

 ターナーは1775年、ロンドンのコヴェント・ガーデンという、ロンドンのなかでももっとも賑やかな繁華街で生まれた、生粋の都会っ子でした。当時のロンドンは、ヨーロッパ最大級の都市になっており、人口はすでに70万人、1800年頃には100万人に到達する巨大な都市でした。これはターナーの作品に宿る自然観を語るうえで、重要なポイントといえます。ターナーの生まれた場所は、政治、金融、商業の中心地であり、テムズ川にもほど近く、海運によって世界各地とつながっていました。いっぽうで人口の増加によって河川の水質はひどくなり、大気汚染も進んでいた、そういった環境で育ちました。

《ターナーの肖像》(J.M.W. ターナーの原画にもとづくウィリアム・ホールの版刻、1859-61)紙にエングレーヴィング 16.5×13.1cm テート美術館 Photo by Tate 「テート美術館 ターナー展――崇高の絵画、現代美術との対話」展示作品

──ターナーはどのような家庭に生まれ、いかにして画家を志すようになったのでしょうか。

富岡 父親は理髪店を営んでおり、当時の流行だったカツラづくりの職人でもあったようです。母方の実家は精肉店でした。つまりターナーは芸術家の一族のもとに生まれたとか、両親が芸術に特別な関心があったとか、そういった出自ではありませんでした。ただ、幼い頃から絵を描くのが好きだったようで、父親がその絵を見て才能をいち早く見出し、理髪店の窓際には息子の水彩画を飾っていたと伝わっています。絵がとても上手い少年がいるということは、近所の人たちによく知られていたのでしょう。

 また、彼の生家のすぐ近くには、現在に至るまでイギリスの美術の最高権威である「ロイヤル・アカデミー」がありました。ターナーはそこに所属したいという希望を、小さい頃から当然もっていたのだと思います。14歳の頃にはアカデミーに通うようになりました。