京都の街に点在する近現代建築を一斉に公開する「京都モダン建築祭」が、今年も10月31日〜11月8日に開催される。
2022年に文化庁京都移転記念事業としてスタートした同イベント。初年度の延べ来場者数は約3万人だったが、2025年には約7万1000人にまで増加。今年は過去最多となる約150件の建築が参加を予定しており、京都の秋を代表する文化イベントのひとつへと成長している。
いっぽう、全国に目を向ければ、丹下健三が設計した旧香川県立体育館(通称「船の体育館」)のように、建築的価値の高い近現代建築が解体の危機に直面する事例も少なくない。
建築を見たいという人が増えているのに、建築そのものは失われていく──この矛盾をどう考えればいいのか。京都モダン建築祭の実行委員長であり、京都工芸繊維大学准教授の笠原一人に聞いた。

なぜ、いま人々は「古い建築」に惹かれるのか?
──京都モダン建築祭は今年で5回目を迎えます。初開催から来場者数が倍以上に増えていますが、なぜここまで盛り上がっているのでしょうか。
笠原一人(以下、笠原) いくつかの要因が重なっていると思います。ひとつは、社会全体で建築への関心が高まっていること。それから、建築祭自体の認知度が徐々に上がり、遠方からでも訪れたいという人が増えていることです。
もちろん、私たちもいろいろな仕掛けをしています。例えば、参加者を飽きさせないプログラムづくりですね。毎年新しい建築や企画を加えることで、何度来ても楽しんでもらえるようにしています。
また、マーケティング上の工夫もあります。京都モダン建築祭は、建築の一斉公開イベントとして有料パスポート方式を導入しました。パスポートを持っていれば自由に見学できる「パスポート公開」と、専門家が20人前後を案内する「ガイドツアー」が大きな柱ですが、当初、このふたつはあまり連動していなかったんです。
そこで、パスポートを持っている人にはガイドツアーの抽選などで優先される仕組みをつくりました。すると、ガイドツアーに参加したい人もパスポートを購入するようになる。せっかくパスポートがあるなら、ほかの建築も見て回ろうとなるわけです。そうした仕組みの改善も、来場者の増加につながっていると思います。

──京都市のバックアップも大きいのでしょうか。
笠原 それは非常に大きいですね。京都市には、建物の所有者を紹介していただくなど、いろいろな面で協力してもらっています。なかでも大きいと思うのは広報です。地下鉄の全駅や市バスなどで、毎年継続的にポスターの掲出やチラシの配布をしていただいています。
これが5年間続くことで、市民の目に少しずつ入るようになる。最初は気に留めていなくても、何年も見ているうちに「ああ、こんなイベントがあるんだ」と気づき、行ってみようかと思う人が出てくる。どれかひとつの施策が決定的だったというよりも、こうした様々な取り組みが相乗効果を生み、徐々に人が増えてきたのだと思います。
──そもそも、なぜいま古い建築に対する関心が高まっているのでしょうか。
笠原 これは詳細な調査をしたわけではないので、私自身の推測も含まれますが、ひとつは、建築がたんなる機能的な「器」ではなく、「表現物」であることに、社会全体が気づき始めているのではないかと思うんです。
日本では長らく、建築というものは機能を満たすための建物、あるいは新しい建物を生産する技術として捉えられてきました。大学の建築教育も、新築の建物をつくる建築士を育てることが中心で、古い建築を守るという観点はあまり重視されてこなかった。
ところが、戦後80年という時間が経過し、戦後そのものが歴史になってきた。かつては誰も見向きもしなかったような建物が、いま見ると魅力的に感じられる。現代の建築にはないものが、そこにはあるわけです。
いわゆるレトロな建築というのは、その時代を表現しているんですよね。私たちは建物を通じて、当時の文化や価値観を読み取っている。あるいは、安藤忠雄さんやウィリアム・メレル・ヴォーリズのような建築家の個性も、建築というかたちで表現されているわけです。つまり建築を、たんなる生活のための器ではなく、時代や個人の思想を表すものとして見るようになってきた。それが大きな変化ではないでしょうか。


──確かに、建築を美術作品のように鑑賞する人も増えているように感じます。
笠原 そうですね。そこにはメディアの影響も大きいと思います。『Casa BRUTUS』(マガジンハウス)のような雑誌が登場し、建築が一般の人にも親しまれるようになった。テレビでも『新美の巨人たち』(テレビ東京)など、建築を取り上げる番組が増えています。
それから、もうひとつ面白いのは、古い建築が壊されるというニュースに対する反応です。必ずしも有名な建築家が手がけた建物ではなくても、かつて通っていた学校であったり、以前からデザインがいいと思っていた建物であったり、なんらかの親しみを持っている人がいる。そうした建物が壊されると聞いて、「えっ、あれが壊されるの?」「もったいない」と感じる。そうやって失われそうになって初めて、その建物の価値に気づくこともあると思うんです。































