変わりゆく映画制作の現場
──朗読シーンの撮影を含め、現場のチーム体制はどのように進められましたか。
清原 朗読のシーンは俳優2名と、スタッフとして録音と撮影、助監督、そして私の4名で、計6名という最小限のメンバーで制作を行いました。朗読のシーンに関しては現場に入るまで撮影の仕方を決めておらず、ワンシーンずつ順番に撮影しながらみんなでアイデアを出しあって「こうやって撮っていこう」と決めていきました。劇映画のように決まった脚本がなく、祖母たちとつくったテキストだけが存在していたからこそ、全員でフラットに立ち上げていく現場になったのだと思います。
──俳優として参加したお二人からも、朗読や撮影の仕方に対しての提案はありましたか。
清原 提案というよりは、現場の流れにあわせて即興的に動いてくださることがありました。最初は近い場所で向かい合いながら朗読を始めるのですが、だんだんと離れていって、最後のシーンはそれぞれがひとりで行うようになります。実際にテキストを読み進めていくうちに「ひとりになりたい」という感覚がふたりのなかで自然と芽生えたそうです。テキストと身体が応答しあうなかで生まれたグルーヴ感のようなものが、撮影の現場には存在していたように思います。


──近年、女性映画監督の活躍が注目されるとともに、ひとりの監督によるトップダウン式ではなく、本作のように複数の視点を取り入れながら制作される映画が増えているともうかがいました。こうした制作現場の変化についてどのように捉えていますか。
清原 従来の映画制作の現場は、分業システムや役割分担がハラスメントや権力勾配を生みやすい構造にあると感じています。
私自身、大学生の頃は友人同士でフラットに映画をつくっていましたが、大学院に進学して「監督やプロデューサーが偉い」というトップダウン式の現場を目の当たりにした際に、「この方法では楽しく映画をつくれない」「権力を持つことで誰かを傷つけてしまうのではないか」と強い葛藤がありました。
映画のつくり方やチームの体制自体を工夫する必要性を強く感じたので、本作では小人数かつお互いにアイデアを出しあえるチーム構成を意識的に選択しています。
映画を通して社会とつながる「自主配給」
──今回『A Window of Memories』は、「自主配給」という形式で観客へと届けられます。この選択をされた理由をお聞かせください。
清原 本作は自身の祖母を映した作品であり、非常にパーソナルな内容です。少人数で手づくりした作品だからこそ、配給も自分たちの手で、信頼できるメンバーとともに行いたいと考えました。映画を届けることは「社会と直接関わる行為」であり、そのプロセス自体も大切にしたかったからです。
また、私自身にとって初となるドキュメンタリー的手法を用いた映画制作であり、自分の表現の幅を広げてくれた挑戦的な作品でもあります。いっぽうでパーソナルすぎる内容ゆえに「不特定多数に広く公開していいのだろうか」という葛藤もありましたが、公開が決まったことを祖母たちに伝えるとすごく喜んでくれて。この作品をたくさんの人に届けていってもいいんだと思えるようになりました。
──清原さんはこの映画にたいして「固有の経験や語りを、普遍性を帯びた物語として他者と共有することは可能なのか」という問いを立てられています。これまで試写会などを通じて、どのようなフィードバックがありましたか。また、全国の劇場で公開されることへの率直な思いをお聞かせください。
清原 本作を試写や映画祭でご覧になった方が、まったく知らないはずの私の祖母の話を通じて、ご自身の記憶や親しい人との思い出を自然と語り出してくれることがすごく多くて、驚きと嬉しさがありました。直接祖母の話を共有するのではなく、映画を通して観客ご自身の記憶と「響きあう」体験が生まれている。それは鑑賞者の想像力や能動性の力強さであり、映画を見る行為の持つ可能性だと思っています。
パンフレットも映画の続編のような気持ちでこだわり抜いてつくっています。俳優同士の対話や、祖母の近況とかもちょっと載せたりして。映画は一度つくったらそこに時間が閉じ込められてしまうようですが、そのあいだにも流れている時間があったことをパンフレットにも込めました。映画はもちろん、こちらも皆さんに届けられるのが楽しみです。





















