映画『A Window of Memories』公開、監督・清原惟インタビュー。記憶の窓を開けて、見知らぬ誰かと響きあう
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ふたりの祖母はなぜ主人公になったのか

──映画『A Window of Memories』は、もともと愛知芸術文化センターと愛知県美術館の企画として2023年に発表されたものです。制作に至るまでにどのようなやりとりがあったのでしょうか。

清原 同センターでは開館した1992年から、毎年1本のペースで「身体」をテーマにした実験的な映像作品を委嘱制作する「オリジナル映像作品」というプログラムがありました。担当者から複数の作家に声がかかり、コンペを経て助成金をいただいて制作がスタートしました。

──本作の主人公となっているのは、清原さんのふたりのおばあさまです。当初から「身体」というテーマがあったとのことですが、このお二人を取り上げたのはどのような動機からですか。

清原 母方の祖母とたまたま話をした際、「いままで誰にも言ってなかったんだけど」と切り出してくれたことがきっかけでした。祖母は布テープ工場の家に嫁ぎ、祖父が社長を継いだのですが、「じつは私が工場を切り盛りしていた」と明かしてくれて。実質的な経営判断や営業などは祖母が担っていたそうです。社長である祖父を立てるためにずっと言えなかったという話を聞いてとても驚きましたし、自分の知らない祖母の世界がまだたくさんあるのではないかと強く興味を持ちました。

 母方の祖母に話を聞くなら父方の祖母にも聞いてみたい。戦中生まれの日本の女性たちがどのような人生を辿ってきたのか、個人の物語としても、歴史の記録としても知りたいと思ったのが本作の出発点です。

母方の祖母・旭子さん ©Yui Kiyohara 写真提供:amieee

──作中では、家族や戦争、仕事、結婚など、様々なエピソードが語られています。とくに印象に残っているエピソードはありますか。

清原 どれも印象的ですが、映画の最後に出てくる「祖母に黄色いワンピースをつくってくれた女性の話」と「祖父が亡くなった日の話」ですね。祖母たちがいまでも自分以外の誰かのことを深く想い続けていることに感銘を受け、作品の最後にこれらのエピソードを配置しました。

 それと「料理の話」も印象的でした。対照的な人生を歩んできたふたりですが、「結婚するまで料理をしたことがなかった」という共通点があったんです。私自身も実家を出るまで料理しなかったので、時代や場所は違っても「おばあちゃんもひとりの人間として生きてきたんだな」と、その存在をぐっと身近に感じられました。

父方の祖母・磋智子さん ©Yui Kiyohara 写真提供:amieee

──タイトルとなった「A Window of Memories(記憶の窓)」にはどのような意味を込めていますか。また、作中には家の窓や車窓など、様々な「窓」が描かれています。それが象徴するものについても教えてください。

清原  当初は、完成した作品を祖母たちが見ているシーンで終わる構想でした。自分の記憶を画面越しに見る姿から「映画(映像)そのものが『記憶の窓』になるのではないか」と考え、このタイトルをつけました。最終的にそのシーンを撮ることはしませんでしたが、家で過ごすことの多い祖母たちにとって、窓の外を眺める時間はとても大切なものです。そして映画という行為自体も、誰かの記憶や思いを他者に伝える「窓」の役割を果たしているのだと感じています。

記憶を言葉にする「聞き書き」という試み

──本作は、祖母の話を「聞き書き」したうえで、お二人と共同でテキストにし、それを清原さんと同世代の俳優お二人が朗読するという手法をとっています。このアプローチを採用したのはなぜですか。

清原 当初は祖母たちのインタビューを数十時間にわたって撮影していました。しかし、いざそれを編集して映画にしようとしたときに、私ひとりが情報の取捨選択をすることに違和感を覚えたんです。祖母たちと映像の編集をすることも考えましたが、あまり現実的ではない。そこで、普段から日記や手紙で文字に親しんでいる祖母たちとテキストで一緒に編集していく方法を思いつきました。私が一度文字起こししてまとめたものを渡し、「追加したい話や削りたい箇所はある?」と何度もやり取りを重ねてテキストを完成させました。

 また、朗読にあたっては、祖母のことをまったく知らない、自分と同世代の方に読んでもらうのが良いと考えました。ここで大切にしたのは、どのような態度で読んでもらうかということ。事前にスタッフやキャストと話し合い、「おばあちゃんを演じる」「語りを再現する」のではなく、素の状態で「書かれている文章をただ読む」かたちで臨んでもらいました。そのため事前練習はせず、言い淀んだり噛んだりした部分も「俳優が自分自身としてテキストを読んでいる証」としてそのまま生かしています。

作中でテキストを朗読をする、小山薫子(右)と坂藤加菜(左) ©Yui Kiyohara 写真提供:amieee

──朗読と、実際のおばあさま二人の日常風景が交互に現れるような編集もとても印象的でした。ほかにも、編集やストーリーの組み立てにおいて工夫されている点はありますか。

清原 写真の使い方にはとくに気を遣いました。作中には祖母の若い頃や家族との写真を映している場面がありますが、やはり写真というのは非常に強い印象を与えるものなんです。エピソードに即して写真をぴったりとあわせすぎてしまうと、観客のなかでイメージが固定化されてしまう。それを防ぐために、あえて写真を見せるタイミングをずらしたり複数の写真を並べたりして、観る人の頭のなかで多様な情景が浮かぶ余白を残すようにしています。

 人の記憶は誰にも見ることができないものであり、決して再現できません。ひとつの写真や映像で語ってしまう危険性を感じ、観る人がテキストを通じて自らの想像を膨らませられるような構成を意識しました。

──撮影についてもお聞かせください。料理や掃除、庭仕事といった日々の家事の様子、そして自宅から徒歩圏内の風景が丁寧に捉えられていました。また、カメラに映るおばあさまたちの自然体な姿も非常に印象的でした。

清原 祖母たちはいまひとりで暮らしていますが、自分で築き上げた「王国」のような場所として「家」があると感じています。祖母たちの生活そのものを映すことが、ありのままの「おばあちゃん自身」を映すことにもなると考えました。

 祖母のシーンは、ほかのスタッフを入れずに私ひとりで撮影しています。最初はカメラやインタビューに対して緊張している様子でしたが、撮影を重ねるうちに、カメラがある環境に慣れて自然と受け入れてくれるようになりました。

編集部