ヘンリケ・ナウマン追悼──家具から政治を読み解く
今年開催される第61回ヴェネチア・ビエンナーレにおいてドイツ代表として出展する予定であった2名のアーティストのうちのひとり、ヘンリケ・ナウマンが2月14日、癌のため逝去した。享年41歳。ナウマンは1984年、旧ドイツ民主共和国のツヴィッカウに生まれ、夫と幼い子供を遺している。
彼女の死を悼む人々にとっては慰めにはならないかもしれないが、ナウマンがバレンタインデーに亡くなったという事実は、どこかふさわしいことのように感じられる。再利用された家具による拡張的なマルチメディア・インスタレーション、彫刻的アッサンブラージュ、粒子の粗い映像、さらにはパフォーマンスなどを通じて、ナウマンは、理想化された上昇志向を帯びた消費文化、過激なイデオロギー、そして現代美術が交差する地点を導き出してきた。そこには鋭い批評性と同時に、開かれたユーモアがあり、それはもはや「愛」に近いものであったと言える。波打つCDタワーや、サルバドール・ダリ風に溶けた時計といった奇妙なポストモダン的装飾を手がかりに、東ドイツ社会主義の崩壊と、再統一後のハイパー資本主義的なドイツにおける排外的ナショナリズムの台頭との絡み合いを暴き出す──そのような試みを行える作家が、ほかにいただろうか。あるいは、アメリカの新自由主義からドナルド・トランプのファシスト的な「MAGA」運動へと至る軌跡を、有名な『原始家族フリントストーン』のカートゥーンを経由して読み解くといったことができるというのか。鋭い政治分析を行いながらも、作品のなかで来場者が自撮りを撮影し共有することを歓迎していたナウマンは、自身を批評対象の上位に置くことは決してなかったのである。
私が初めてナウマンに会ったのは2018年、彼女がトーキョー・アーツ・アンド・スペース(TOKAS)のレジデンスのため来日したときであった。1980年代の日本の前衛ファッションとキンシャサのストリートスタイルの関係についてのリサーチをしていた彼女が、サプールと呼ばれるお洒落な若者たちが、ヨウジヤマモト、イッセイミヤケ、コム デ ギャルソンの服に収入のすべてを費やしていたという話を興奮気味に語ってくれるのを、私は必死に追いながら聞いたのであった。ヘンリケによれば、それらの服の多くは、当時日本で頻繁にパフォーマンスを行っていたコンゴのミュージシャン、パパ・ウェンバによって調達されていたという。そのリサーチから生まれたインスタレーション《Comme des Kinois》は、2019年にTOKAS本郷で発表された。これは、キンシャサのサプール文化のアーカイブ写真、日本のリサイクルショップでナウマンが見つけたバブル期のキッチュな時計の一群、そして1970年から2000年までの日経平均株価の推移を、コム デ ギャルソン風の白黒ポルカドット模様で覆われた壁面に金属チェーンで描いたグラフを並置した作品であった。

その後も私たちは連絡を取り続け、様々な国際展やイベントで偶然再会することもあった。彼女がウクライナ、キューバ、ニューヨークなど各地でプロジェクトを展開していく様子を、私は遠くから追っていた。ナウマンについての忘れがたい記憶に、まだコロナ禍の最中であり、ロシアによるウクライナ侵攻から数ヶ月しか経っていない2022年のヴェネチア・ビエンナーレのオープニングの、ジャルディーニ会場で交わした会話がある。彼女はドイツ館のほうへ軽くうなずき、いたずらっぽい光を目に宿しながら、「今度は私の番だ」と言った。それはキャリア上の目標というよりも、あのような緊張感を帯びた空間で制作するということへの展望を語っているようであった。彼女がドイツ代表として選ばれたというニュースを見たとき、私はすぐに祝福のメッセージを書き送り、言った通りだねと励ました。
2022年、私たちがヴェネチアで出会ったその同じ年に、私は東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科で担当していたキュラトリアル・プラクティスの授業に、ナウマンをゲスト講師として招いた。授業の一環として、学生たちは彼女が当時進めていた社会主義の文化的遺産に関する複数年にわたる展覧会プロジェクト「Ostblock」のリサーチに参加し、その後、彼女の実践についてインタビューを行った。Zoom上で行われたこのインタビューは、結局公開されることはなかったが、作家の思考と、彼女があらゆる実践に向き合う際の寛大な精神を親密に伝える記録となっている。
ナウマンは、この授業の即興的で集団的な性格を気に入っていたのではないかと思う。彼女のスタジオが発表した声明によれば、ドイツ館でのプロジェクトは予定どおり実現されるという。「本展は(中略)彼女のキャリアの始まり方と同じ方法で実現される。すなわち、ヘンリケの芸術的ヴィジョンに導かれた共同の試み(Gemeinschaftswerk)として」。

*──本インタビューの日本語版は、当初アンドリュー・マークルより東京藝術大学学生(佐藤小百合、松江李穂、チョ・ヘス)による翻訳原稿が提供されたが、最終掲載にあたり、宮澤佳奈による再翻訳版を採用した。





























