ヘンリケ・ナウマン追悼──家具から政治を読み解く【2/4ページ】

インテリア・アウトサイダー

フィン・ライアン(以下、ライアン) 今年始めのキュラトリアル・プラクティスの授業のゲストレクチャーでは、旧東ドイツで育ったことについて、いくつか個人的なお話を共有してくださいました。こうした個人的な物語は、ご自身の作品にとってどのような重要性を持っていますか。また、今後5年にわたり複数の社会主義国およびポスト社会主義国で展覧会を制作される予定の「Ostblock」プロジェクトにおいて、そうした個人的な経験をどのようにグローバルな文脈へと移植することができるのでしょうか。

ナウマン 個人的な経験というのは、つねに議論のなかに投げ込むためのハンマーのようなものだと思っています。あるいは、非常に閉ざされていたり、過度に複雑に見えたりする議論の扉を打ち破るためのもの、と言ってもよいかもしれません。主観的で個人的な経験について語ることによって、私は難しい問題に個人的なレンズを通して取り組むことができます。ただし、それはつねに、そのことがより広い文脈へと翻訳されていくことを願ってのことです。そして、このように非常に主観的で、個人的で、伝記的な視点から語るというアプローチは、私にとっては、大きな政治的問題すべてをも含むものでもあります。

 私はこの10年、ドイツで扱ってきたあらゆるトピックにおいて、この方法を用いてきました。巡回展である「Ostblock」の場合、作品においても特定のはたらきやコミュニケーション方法が必要になります。そして、このコンセプトにおいて重要なのは、議論、リサーチ、そして家具だと思っています。家具は、アートと、例えば椅子に座ったことのあるすべての人が共有する現実とのあいだの隔たりを橋渡しする方法を与えてくれます。それは非常にアクセスしやすいものであると同時に、とても具体的でもあります。「Ostblock」は、それぞれの想定された文脈における制作条件に応答するという意味で、非常に実験的なものになると思いますが、実際のところ、それは、美術館と家具店をつなぎ、家具が美術館に展示され、作品が家具店に展示されたときに何が起こるかを見る、という非常にシンプルなアイデアです。作品が本当に、誰にとっても日常生活の一部であることを意図されているのだという、生産的で面白い混乱を生み出すことができるのではないかと思います。

ライアン グローバルな文脈への移植に関連して、2022年から23年にかけてニューヨークのスカルプチャーセンター(SculptureCenter)で開催された展覧会「Re-Education」のギャラリーガイドでは、ご自身をアメリカにおける「興味をもった異邦人(interested outsider)」と表現されています。ご自身のアウトサイダーとしての立場をどのように感じていらっしゃいますか。

「Re-Education」展の展示風景より、《Welcome to Bedrock》(2022) Courtesy the artist. Photo by Charles Benton

ナウマン とても良い質問です。というのも、最初の頃は多少、葛藤があったからです。アメリカの文脈では、もちろん自分がアウトサイダーだと感じますが、同時に、アメリカのポップカルチャーについて、役に立たない知識であればたくさん身につけてしまったとも感じています。何かを知っているという感覚と、でも本当にそれを知っているのだろうかと自問する感覚が、同時にあるような。

 ニューヨークに向かう前、私はドイツから作品をひとつも持っていかないことに決めました。というのも、3ヶ月間、現地で制作することにコミットしたかったからです。でも、到着してから、「ああ、どうして少なくともひとつくらい、ドイツから変な家具を持ってこなかったのだろう。それを空間に置いて、『そう、これが私の専門です。これについてならなんでも知っています』と言えたのに」と思った瞬間がありました。最初は少し気後れしました。ニューヨークは、すでに非常に多くのものが展示され、議論されてきた、とても競争の激しいアート都市だからです。自分が知っていると思っていたことと、何かを理解しようとする意志だけを頼りに、ゼロから始めようとしていることに、少し圧倒されていました。

 しかしその過程で、今回の企画に必要なのは外部の視点を持ち込んで、いま何が起きているのかを説明することではないのだと気づきました。むしろ、自分が持ちあわせているツールを使って、まだ語るための言語が存在していないかもしれない事柄について語ることなのだと気づいたのです。外部の視点から来ると、ときに物事がよりはっきり見えることがあります。そしてそれ以上に、本当に重要であったり、議論される必要のある問いを誠実に発することは、政治的問題にアプローチするうえで有効だと感じています。聞くことで何も新しい展開が得られないように感じられる、聞きたくないような質問もあります。しかし、もしあらゆることを、普通や当たり前、自明ではないものとして見始められるなら、つまり、あらゆることについて人に尋ねなければならなくなるなら、とても面白くなってくるのです。

ライアン それで、2021年1月6日のアメリカ連邦議会議事堂襲撃に焦点を当てることにされたのですね。

ナウマン はい。でも初期の段階では、その主題に対して自分がどのような視点を取りうるのかを考えていた時期がありました。キュレーターは、いまアメリカで起きているこうした非常に差し迫った政治的問題について語ることをためらう必要はないと、私を後押ししてくれました。そして私は、アメリカ政府内部における「Qアノン」のクーデター的蜂起や、民主主義全体の腐食について語ることができるという自信がありました。なぜなら、すでにそのためのツールを持っていたからです。私はこれらのトピックをこの10年間扱ってきましたし、それらを語るための言語がまだ存在していないアメリカの文脈へと翻訳することができます。

 ですから、自分に見えるものを見ること、問われるべきだと思う問いを発すること、そしてそれがどこへ向かうのかを見ることにしようと思いました。「興味をもった異邦人」というのは、実際そこまで悪くない表現かもしれません。なぜなら私は、ニューヨークであれ、ここベルリンの自分の窓の前であれ、あらゆるものを、何も知らないかのように見るのが好きだからです。私はつねに、物事がどこから来て、何を意味し、どのように私たちをかたちづくっているのかを理解したいと思っています。今年(2022年)という年は、そのようにあらゆるものを新しいものとして見るやり方を、本当によく教えてくれました。

 そしていま、私は東西ドイツの歴史についての仕事をまとめつつあり、自分の実践において新しい章が始まろうとしていると感じています。もしこのままドイツに留まり、この10年間やってきたのと同じやり方で仕事を続けていたなら、ある特定のトピック、そして美学や議論に、停滞しまうかもしれません。そうなると、人々が東ドイツについて何か知りたいときには、ただ戸棚を開ければ私が飛び出して答えを与える、というようなことになりかねません。いまは歴史や政治や自分の周囲にあるものだけでなく、自分自身の前提や実践そのものを挑戦していきたい。まだ自分の知らないことがたくさんあり、それらが、まだ想像もできないようなかたちで私の仕事をかたちづくりうるのだと感じています。

ライアン アメリカで現地調達した家具を使うという点について、先ほど少し触れました。私にとって、ローカルな家具を使うという選択が、作品に不穏な雰囲気を与えているように思えます。観客には、その家具に対する一定の親しみが前提としてあることを期待されていますか。また、海外で制作するとき、その不穏さと親しみの両方を生み出すための「適切な家具」をどのように見つけていらっしゃるのでしょうか。

ナウマン ドイツの文脈や家具の美学においては、誰もが知っている日用品を取り上げ、それらを東西、資本主義と社会主義と結びつけました。すると突然、それらはある特定のイデオロギーとの関係において、とても異質で、極端で、幽霊のようで、あるいは興味深いものに感じられるようになったのです。あまりにも慣れ親しんでいて、あまりにも普通であるがゆえに、もはや誰も本当には見なくなってしまった、それらほとんど「見えなくなった」対象を取り上げ、それらを普通ではないものにし、意味のあるもの、奇妙なものにし、政治的な含意を与えることが重要でした。

 そのいっぽうで、ニューヨークは物質文化の面で別の極端さがあります。普通、ある都市に3ヶ月いるなら、私はあらゆる店、とりわけ街の外のリサイクルショップを、見て回ろうとします。できるだけ多くを見ようとするんです。しかし、ニューヨークをモノを通して読もうとすると、圧倒されてしまうのは、なによりそれが不可能だからでしょう。思いつくようなものは、おそらくなんでも、すでに存在している。高価かもしれませんが、どこかにはあるはずです。そして、美術館や店では、さらに変なモノたちを見つけることができます。しかし、ニューヨークの普通の人々と家具との関係は、ドイツとはまったく異なっています。なぜなら、裕福であったり自分の家を所有していないかぎり、おそらく頻繁に引っ越しせざるを得ないでしょうし、家具にそれほど愛着を持つことができないからです。では、そうした家具はいったいどのようなものなのか。例えばIKEAかもしれません。でも、それにどんな意味があるのでしょうか。最初の頃、私はクレイグスリスト(Craigslist)で家具を見ていて、「なるほど、でも私はこれで何を語りたいのだろう」と思っていました。ニューヨークにおける家具状況が、あまりにも突飛で、壮観で、制御不能であることが、家具を非常に極端なものとして見ることへの関心を私に抱かせました。「この街で見つけられるいちばん奇妙なものはなんだろう」と思ったのです。そしてそのとき、このプロジェクトには別のアプローチが必要だとわかりました。非常に極端な家具を使って、政治的過激主義について語ることができるのだと気づいたのです。

「Re-Education」展の展示風景より、椅子の作品は《Horseshoe Theory》(2022) Courtesy the artist. Photo by Charles Benton

 また、支配的な工業的建築の空間であるスカルプチャーセンターにも適応しなければなりませんでした。これまでは、家具を美術館に持ち込むことで、美術館がある種のホーム・インテリアになるようにしてきました。つまり、美術館の白い壁が、家や家具店の白い壁になるようにしてきたのです。しかし、レンガの壁があり、天井から大きな金属の鎖が垂れ下がっているような、工業的な空間で仕事をしたことはありませんでした。ためらいもありました。そのような空間に家具を置くことは、簡単に場違いに感じられてしまうと思ったからです。そこには「家」の幻想がまったくなく、まったく異なる設定だったからです。私は、家具をその空間に応答するかたちで展開しなければならないとわかっていました。つまり、家具はその空間の美学を取り込む必要があったのです。それは私にとってまったく新しいヴァイブでした。そうしたインダストリアル・ラスティックな家具を見ながら、それがこのような空間のなかでどうやって生き延び、どう意味をなすのかを考えていました。そして最終的には、「なぜだかわからないけれど、これはここに属している」と思うようになりました。

「Re-Education」展の展示風景より Courtesy the artist. Photo by Charles Benton

 もちろん、それを人々が知っているものと混ぜることもしましたし、それには映画やテレビの舞台美術家としての自分自身のバックグラウンドも活用しました。それが実際に、このプロジェクトへのとても重要な入り口となりました。なぜなら、ニューヨークに来たのは初めてでしたが、私は旧東ドイツで1990年代に子供として育ちながら、ずっとテレビでこの街を見てきたからです。初めてニューヨークに来る人は誰でも、テレビを通してその街を知っているというこの不思議な感覚、そして「これは現実なのか、そうではないのか。私は現実なのか。私はここで何をしているのか」という興味深い混乱を共有しているのではないかと思います。

 ですから私は、これを、自分のいわば「興味をもった異邦人」としての視点として扱いました。というのも、その美学を非常によく知っていましたし、いろいろなアメリカのテレビ番組を観たことによって、自分が舞台美術家になろうというインスピレーションを受けたほどだったからです。私の仕事は、アメリカのテレビ番組から深く影響を受けています。そしてもちろんそれは、1990年代の旧東ドイツにおいて、人々がどのように自宅を装飾していたかにも影響していました。例えばTVドラマシリーズ『特捜刑事マイアミ・バイス』で見たものを再現するようにです。人々は、家具におけるある種の社会主義的機能主義──つまり、非常に空間効率が高く、耐久性があるということ──から離れ、まるで映画のセットのように自宅を飾る自由や解放へと移っていきました。空間の真ん中にミニバーを置く必要はありませんが、まあいいじゃないか、というような態度でした。こうしたアメリカや西側への上昇志向的な幻想は、私の作品のなかで繰り返し現れるある種の家具の美学と非常に強く結びついています。ですから、メディアを介したテレビの室内空間がアメリカから世界のほかの場所へと広がっていく現象は、私がニューヨークで家具を集めていたとき、まさに強く意識していたことでした。

 これはまた、何かに停滞してしまわないことがいかに重要か、そしてその代わりに、そのとき自分が知っていることを持って新しい文脈に没入し、そこから自分が知らなかったものが何として出てくるのかを見るだけでなく、自分自身の仕事を再び新しい見方で見ることでもある、という先ほどの話にもつながっています。突然、すべてがひっくり返り、「私はこれをそんなふうに見たことがなかったし、人々がそこに見ているものを見たこともなかった」と感じるのです。

編集部