ヘンリケ・ナウマン追悼──家具から政治を読み解く【4/4ページ】

ポスト社会主義の記憶とインテリア

閻喜月 私は、とりわけ社会主義社会との関係における集合的記憶についておうかがいしたいです。文化的、経済的、政治的なものであれ、こうした集合的記憶を担うなんらかの媒体がつねに存在しています。例えば中国では、社会主義時代の記憶は、国営工場やその建築様式、社会主義ポスターのデザイン、あるいはスローガンなどに結びつけられる傾向があります。扱う家具の時代に関係する、集合的記憶を引き出したり喚起したりしようと試みられていますか。

ナウマン はい、それは実際に試みています。「Ostblock」プロジェクトにおいてこれから非常に興味深いのは、自分が使う美術館を、何もかもがある種のクリシェや観念についてのものになってしまう社会主義博物館へと変えてしまうことを、どうやって避けるかを見出すことです。ドイツの文脈においては、私は期待をかなりかき乱すことができたと思っています。例えば、ある作品は社会主義について、東ドイツの記憶について──あるいは人々が「オスタルギー」(*1)と呼ぶものについて──の作品だと言うことができます。しかし、そのすべては1990年代の西ドイツの家具でつくられていました。ですからそれは東についてであると同時に、西がドイツの居間に住みついていることについてでもあったのです。解きほぐすのはとても簡単に見えますが、いったん解きほぐし始めると、どんどん複雑になっていきます。私は、ある種の挑発をもって、あるいは一見簡単に見える前提を転倒させることによって、あらゆるプロジェクトに取り組むのが好きです。人々は、ますます複雑で、ときに魅力的なまでに矛盾した前提へとつまずきながら入っていきます。それが目標です。私は、非常に具体的なアイデアのように、とてもキャッチーに見える何かを持ちたいのです。それによって人々は巻き込まれ、関心を持ちますし、同時に非常にアクセスしやすくもあります。そして、見れば見るほど、それはより複雑で、より分節的になっていくのです。

 実際、私はブルガリアから戻ってきたばかりです。そこで「Sofia Art Projects」という展覧会に参加してきたのですが、それは私にとって非常に考えさせられる経験でした。大きなプロジェクトではありませんでしたが、東欧でプロジェクトに招かれると、私はいつも引き受けるようにしています。そして、予算があまりないときにはいつも、現地の中古品店を使って成立させる方法を見つけようとします。そのような場合、作品はその後破壊されます。そしてその唯一の目的は、展覧会が成立することを確実にすることです──というのも、ハンガリーや旧ユーゴスラビアのような東欧の多くの国々では、政治状況が必ずしも良いとは限らないからです。例えばハンガリーのように右派政権がある場所で展覧会をしようとすると、おそらく国立機関や美術館ではできません。なんらかのオフスペースでやるしかありません。そして、ifa(Institut für Auslandsbeziehungen)のような企業や文化外交団体に支援された大きなプロジェクトでさえ、プロジェクトスペースで行われることになります。なぜなら、それが唯一の選択肢だからです。

ドクメンタ15の一環としてカッセルのセント・クニグンディスで開催された「Atis Rezistans / Ghetto Biennale」展の展示風景より、ヘンリケ・ナウマンとバスティアン・ハーゲドルン《The Museum of Trance 》(2022) Photo by Andrew Maerkle

 ソフィアでの展覧会は地下鉄のシステムのなかで行われています。その地下鉄は社会主義時代にさかのぼるものですが、同時に初期ローマ時代の考古遺跡でもあり、廃墟となったショッピングモールでもあります。街の真ん中にいて、地下へ降りていくと、そこには古代の柱があるいっぽうで、空のショーウィンドウがあり、電車もある。とても奇妙で、興味深い場所です。「Sofia Art Projects」は、街からすべての空き店舗を1週間借り、それらをインスタレーションで満たします。私は1週間そこに滞在し、ソフィアの家具と映像作品を使って設営をしていました。人々は電車へ向かう途中、通り過ぎながらそれを見ることができました。私のインスタレーションはショーウィンドウの中にあったので、人々は空間に入らなくてもそれを見ることができました──実際、そこはスケートボーダーたちがたむろする場所でもあります。私の仕事はインテリアについてのものなので、何百人もの人が毎日通り過ぎる公共空間でありながら、開けた屋外ではなく、外部でもない場所で作品を見せるのは初めてのことでした。

 そして、そこにいるあいだに、私はソ連のイコノグラフィーを通してミッキーマウスとミニーマウスを描いた驚くべきオブジェクトに出会いました。このイメージは、自分がどのようにかたちづくられてきたかということにとても近く感じられます。ミッキーマウスでありながら、鎌でもある。意味をなさないけれど、同時に意味をなしているのです。では、「Ostblock」ツアーの各章において、どうすればこのように語る作品をつくることができるのだろうか。そこでは意味をなさないはずなのに、実際には意味をなしている。あるいは、それまで考えたこともなかった視点に出会ったと感じるような作品を。また同時に、どうすればその視点に声を与え、そうした場所にいる人々に、その視点から語ることを促すことができるのだろうか。

 私は、物事を単純化しようとしたり、問いに対する簡単な答えを見つけようとしたりする視点は求めていません。私が提示したいのは、答えを持たないかもしれない問いを発する視点であり、議論すればするほどますます複雑になっていく視点であり、あるいは、ただひとつの結論に到達するのではなく、むしろ多くの異なる複雑さについてのより広い理解へと至るような視点です。プロジェクトを説明するのは簡単ではありませんが、それはむしろ、問いを生み出し、その問いの立て方を集める研究のようなものです。答えですか。おそらくそうではなく、むしろ、語ることの難しいことについて語るための言語なのだと思います。

リュドミラ・ゲオルギエヴァ 私はブルガリア出身の研究生です。あなたの作品では、社会主義の過去、現在、未来がしばしば探究されていますが、旧東ドイツ出身者として、ヨーロッパにおける社会主義の過去をどのように見ていらっしゃるのかに関心があります。ブルガリアもまたポスト社会主義国ですので、この関係が複雑で、トラウマに満ちたものでありうることを知っています。移行期が始まったあとに生まれた私でさえ、例えば、古いブルガリアのアパートにはどこにもある「社会主義の部屋」と呼びうる空間に身を置くと、即座に反応してしまいます。私にとってそれは、社会主義だけでなく、移行期や資本主義の果たされなかった約束、西側への憧れなどとも結びついています。あなたは作品のなかで社会主義の過去に向き合うとき、ポスト社会主義国が抱えるこのようなトラウマとの接続を感じることがありますか。

ナウマン 私にとって社会主義についての視点は、トラウマからというより、関心から来ています。なぜ自分が同じようなトラウマを感じないのかはわかりません。私はその時代に生まれましたし、家族のなかには収監された者もいたにもかかわらずです。おそらくそれは、東ドイツがほかの東側諸国と比べると比較的豊かで安全だったからなのだと思います。もちろん、私は社会主義時代と容易な関係を持っているわけではありませんが、それでも私はそれを経験したいし、見たいし、議論したいのです。

 おそらくこれは、再統一後のドイツにおいて、公的記憶から社会主義が消去されたこととも関係しているのかもしれません。これは、ほかの場所では必ずしも起こらなかったことです。東ドイツは、豊かな西側の国に吸収されたがゆえに、まさに特別なケースでした。ですから移行はよりスムーズでした。それは、体制が変わり、そのあと国家が過去と向き合わなければならなかった、というような状況ではありませんでした。そこには西ドイツの歴史と東ドイツの歴史があり、そして西ドイツの過去が全体を代表するものとしてその上に置かれたのです。これはアートにおいても同じです。突然、西ドイツの伝統だけが唯一のものとして残りました。しかし他国では、それはそうではありませんでした。変化以前の作家たちも、新しい体制へと移行しなければなりませんでした。彼らは、ただ新しい作家、新しい歴史の一部になることはできなかったのです。その意味で、ドイツにおいて「社会主義の部屋」を立ち上げるという行為は、非常に政治的でありえますし、「なぜそれを持ち戻すのか」といった問いを引き起こしもします。それは、国家の公式の歴史のなかでは同じ価値を与えられていない、ドイツのあの曖昧な記憶を呼び起こすのです。

*1──ドイツ語の「東(Ost)」と「ノスタルギー(Nostalgie=郷愁)」を組み合わせた造語で、1990年のドイツ再統一後、旧東ドイツ時代の生活様式、文化、ブランド、日常品などを懐かしむ感情や現象を指す。

編集部