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2023.7.15

「美術館の時代」をふたたび。兵庫県県立美術館新館長・林洋子インタビュー

今年4月に兵庫県立美術館の館長に就任した林洋子。東京都現代美術館、京都造形芸術大学、そして文化庁文化芸術調査官という経歴を重ねてきた同氏は、関西随一の巨大ミュージアムをどこに導くのだろうか。就任から3ヶ月が経ったタイミングで、単独インタビューを行った。

聞き手・文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

兵庫県立美術館新館長の林洋子
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ひとつのキャリアパスを示したい

──林さんは2015年度〜22年度まで文化庁の「DOMANI・明日展」をキュレーションされており、つい先日その閉幕に伴い美術手帖でインタビューをしたばかりです。そこからの兵庫県立美術館館長就任には驚きました。今回の就任は蓑豊(みの・ゆたか)前館長からの打診だったと聞いています。

 かなり急な人事でしたね。「DOMANI・明日展」に決着をつけ、文化庁での仕事を仕舞って、地元の京都・関西方面に戻りたいと思っていたところに、打診がありました。当然、蓑先生は兵庫県知事と相談のうえで私に声をかけてくださったのですが。

──こういう聞き方は失礼かもしれませんが、なぜ林さんだったのでしょうか?

 タイミングだったのだと思います。ちょうどコロナ禍が明け、日本各地で館長の世代交代が急に進み始めましたよね。ポーラ美術館(木島俊介氏→野口弘子氏)大原美術館(高階秀爾氏→三浦篤氏)など、昭和の時代から美術館の礎を築き、率いてこられた男性館長が退かれていく。これまでの美術館界では彼らの後任を同格級の次世代男性が引き継ぐことが一般的でしたが、時代は大きく変わってきています。とくにポーラ美術館の人事は新鮮で、女性でありホテル業界のプロ中のプロであるというのがとてもシンボリックでしたね。とくに大規模館の場合、どういうキャリアの人材に今後の舵取りを任せるかは、たいへん大きな課題となっているのだと思います。

 館長は非常勤であることも多いですが、そうした古き良き昭和型ではもう難しい時代になっている。今後の美術館館長はプレイング・マネージャーとして、学術的な監修だけでなく、ポストコロナの美術館が抱える複数の課題を整理し取り組んでいくことが求められているのでしょう。私は東京都現代美術館で学芸員を、京都造形芸術大学で教員を、そして文化庁で芸術文化調査官をと、複数の立ち位置から同時代の美術や美術館を見てきました。そのキャリアから得た人脈、忍耐力、免疫性(笑)を活かすことが期待されてのことと理解しています。

兵庫県立美術館エントランス

──国内美術館ではじょじょに女性館長も増えてきています。林さんは兵庫県立美術館では初の女性館長ですね。

 2002年に新館になって、4代目館長にして初の女性ですね。いま、関西圏の美術館で女性館長がいるのは当館と姫路市立美術館(館長:不動美里氏)だけなんですよ。東京、とくに霞ヶ関ではいま強くジェンダーバランスが意識されていて、私も「新進芸術家海外研修制度」や「芸術選奨」などの委員や選出で、とにかくジェンダー・バランスを確保するという意識で8年間頑張ってきました。しかし地方は必ずしもそこが進んでいないことを実感しています。今回のように外部から女性館長を任用したのは英断だと思いますね。

──県からの期待も感じます。

 外からの期待もですが、内部(学芸)の期待もやっぱりあるわけです。90年代初めに私と同じようにキャリアをスタートさせた女性学芸員は、それぞれ結婚や子育て、親の介護などを経て30年近く仕事を続けてきた。どんどん後輩たちが増え、どの職場も女性が過半数を超える状況のなかで、女性が館長になるというのはひとつのキャリアパスを示すことにもなります。

 私が学芸員の仕事に就いた段階では、もう採用されるだけで精一杯。まさか将来管理職になるなんて思わなかったですから、未来が描けなかったですよ。でもいまの40代以下は、弘前れんが倉庫美術館の副館長になられた木村絵理子さんのように、モチベーションが高い人たちが軽やかにキャリアを重ねていく例も出てきました。これもコロナ禍前後の大きな変化ですよね。

──コロナによって美術館の課題が炙りだされました。

 コロナ前にもすでに美術館は硬直化が目立つようになっていましたが、コロナ禍で集客力が一気に落ちた。それまでの主要な来館者層だった、昭和以前に感受性・教養を身につけた世代が減ったことが大きいと思います。いっぽうで若い来館者の方々がじょじょに増えて、そうした人々のニーズに対応するにはどうしたらいいかを考えなくてはいけないフェーズを迎えている。そのためには、美術館側も管理職を含めて世代交代を進める時期を迎えているのは確かです。

 5年後10年後でなく、5年前10年前でもなく、いま、私が50代後半でここに来られたことは大きいですね。体力、気力、人脈で「現役」の時間になんとか間に合いました。

──地方の美術館は財政的に逼迫しているケースが多いと思いますが、兵庫県立美術館はいかがでしょう。ここは指定管理ではなく、県の直轄ですよね。

 現・名誉館長の蓑豊先生は、13年の在任期間中に外部資金を積極的に導入されてきました。また地元・神戸の財界──神戸製鋼や川崎重工など──と美術館のつながりがもともとあります。それがこの美術館の特性にもなっていると思います。

 とくに公益財団法人伊藤文化財団(1981年に伊藤ハム創業社長・伊藤傳三氏より寄贈された伊藤ハム株式会社株式500万株と現金2500万円を基本財産として設立された財団)は、前身の兵庫県立近代美術館の時代から40年以上にわたり、美術作品や美術関連図書の寄贈、展覧会への助成などに相当額を継続的に支援いただいてきました。これは本当に稀有なることです。

兵庫県立美術館円形テラス

安藤建築の「聖地」に

──若い世代という言葉もありましたが、ソフト面ではどこに注力するのでしょうか。

 文化庁在職中の8年間、年に一度以上「DOMANI・明日展」をやってきたので、そこで紹介した現代美術のアーティストについては100人以上のつながりを得てきました。同展は第25回展をもって終了しましたが、その「DNA」は兵庫県立美術館でなんらかのかたちで継承され、生き続けていくはずです。

 他方、近年、現代美術への関心が高まるいっぽうで、全国的に見て落ち込んでいるのが日本の近代美術の展示や研究です。私はそもそも近代美術が専門なので、そこをいかに活性化できるかをここで試してみたいですね。

 藤田嗣治佐伯祐三など、昭和の作家であれ読み替えが進んで新しい観客層に恵まれた者だけではなく、梅原龍三郎や安井曾太郎、あるいは金山平三らになんらかのフックをかけて、若い人たちにつなげていきたい。日本各地の国公立美術館には近代美術が多く収蔵されているわけですし、それを「箪笥の肥やし」にするのはもったいない。

 ただし、近代にこだわりすぎると集客的には厳しいのも明らかで、フックとして現代美術、いまを生きる作家ともうまく協働できればいいですね。

──兵庫県立美術館はブロックバスターの巡回展の受け皿でもありますが、「Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」(2019)などユニークな企画展も開催されますよね。

 兵庫県美は大きくなってしまったがゆえに大規模巡回展を受けることが優先され、独自企画が減ってしまっていた、という面はいなめません。今後は東京方面の有力館とうまく組んで、巡回展であってもこの安藤建築を生かした内容や展示に変えるとか、建築やデザインの展覧会も自覚的に増やしていきたいですね。ここ神戸の地で、安藤建築という器で展覧会をやる意味は何か、ということをつねに考え続けていくつもりです。

 東京を離れて気づくのは 、学芸員たちを含めた館内の空気も東京にあるエッジーな美術館とは少し違って、なんとなくゆったりしている。私は着任してから全学芸員と面談をし、それぞれがやりたいことやこれまでの経験値を確認しました。よき人材もいるしハコもあるし、予算も相応にある。だったら私はそれをとりまとめる「羊飼い」業に専念すればよいのです。

──関西圏では京都市京セラ美術館が2020年に、大阪中之島美術館が22年に開館しています。そのほかにも3つの国立館(国立国際美術館京都国立博物館京都国立近代美術館)があります。そうしたなかで、兵庫県立美術館のユニークさのようなものをいうかにアピールしていくのでしょう?

 大阪は2025関西万博を控えているし、京都はアートマーケットにギアを入れているところがある。そうした2つの地域を相対的に見ながら、距離感を持ちながらやっていきたいですね。

 もちろん万博は広域関西圏としては無関係ではないけれども、同年には瀬戸内国際芸術祭があります。これまで瀬戸内芸術祭のために関西・西日本に来る人たちも、兵庫県は通り抜けて岡山・香川に直行していた。そこでこの美術館の特性である「安藤建築」を直島と結ぶ要素にしたいのです。直島はベネッセハウスや地中美術館李禹煥美術館など、象徴的な安藤建築が集まるエリアです。

 神戸と直島、この2つの安藤建築エリアを例えば海路でつなぐなどし、カルチャーツーリズムに加わっていくことが検討されています 。

──兵庫県立美術館は国内で安藤忠雄さんが手がけた美術館としては最大級です。

 兵庫県立美術館は美術館と隣接するなぎさ公園との一体型の開発なので、2つをあわせるとものすごく巨大な安藤建築なのです。アメリカにも安藤建築の美術館・公園一体型のモデルとしてフォートワース現代美術館がありますが、将来的にはこうした安藤さんの国内外の公共建築はル・コルビュジエのように世界文化遺産になりうるのでは、と個人的には考えています。

 そこに向けて、この安藤建築をできるだけ綺麗に使い、メンテナンスし、ひとつの「聖地」となるように整えていきたいんです。

兵庫県立美術館のアイコンとなっている安藤忠雄がデザインした「青りんご」
兵庫県立美術館と一体整備された「なぎさ公園」

──コロナ禍直前の2019年5月にはAndo Galleryが完成しています。

 安藤藤忠雄さんの建築模型や写真類をそろえたAndo Galleryは無料スペースとしていますが、欧米やアジア圏からここを目当てに続々と来館されています。このギャラリーを基軸にし、直島に行く/行った人たちを「安藤建築の旅」へと誘いたいですね。

 日本観光のリピーター層に、寺社仏閣ではない、現代建築とのあらたな発見、出会いの場をひらきたいものです。

中央が2019年に増築されたAndo Gallery
Ando Gallery内部(3階)

──いっぽう、県立美術館としては横尾忠則現代美術館もありますね。林さんはこちらの館長でもあるわけですが、何か新しい試みはされるのでしょうか?

 誘客という面では、もっと関連性を持たせたいですね。横尾忠則現代美術館と隣接する原田の森ギャラリーはあわせて旧・兵庫県立近代美術館であり、村野藤吾による名建築です。当館の起源でもあるこの場所を起点に、関西モダニズム建築の系譜をたどるということもできるでしょう。そうした建築デザイン目線で、新神戸駅そばにある竹中大工道具館なども含め、神戸圏の近現代建築ツアーのハブになっていければ。

2025年、そして2030年代に向けて

──そうした様々な施策を重ね、25年に向けて進んでいくと。

 これまで私自身は館長経験がありませんが、だからこそ多彩な人材からお話をうかがいながら1年半ぐらいウォーミングアップをしていきたいと思います。2025年は万博や瀬戸内国際芸術祭だけでなく、阪神淡路大震災から30年を迎えます。万博と瀬戸芸は全国的なイベントですが、震災30年はあくまでここ神戸周辺が主体。「文化の復興」を掲げて開館した美術館として、この25年1月17日をいかに迎えるかには覚悟が必要です。

 まだ構想段階ですが、できればモニュメンタルなものをつくりたい。この場所はもともと神戸製鋼などの工場跡地であり、鉄の街の記憶と震災の記憶を掛け合わせたかたちで、何か未来に残るものをと考えています。

 そしてさらに先、次世代のために2030年以降の美術館のありようも同時に考えなくてはいけません。

兵庫県立美術館円形テラス

──昨年、国際博物館会議(ICOM)はミュージアムの新定義を採択しました。そこでは「博物館は、有形及び無形の遺産を研究、収集、保存、解釈、展示する、社会のための非営利の常設機関である。博物館は一般に公開され、誰もが利用でき、包摂的であって、多様性と持続可能性を育む。倫理的かつ専門性をもってコミュニケーションを図り、コミュニティの参加とともに博物館は活動し、教育、愉しみ、省察と知識共有のための様々な経験を提供する」とされており、ミュージアムがコミュニティとより近くあるべきだという認識は世界共通です。2030年、美術館界はどうなっているとお考えでしょうか?

 私たちは美術館が一番輝いていた90年台前半に就職したし、やっぱり美術館がよくなっていってほしい。もう一度輝いてほしいと思っています。この20年、芸術祭やアートセンターに多くの人材が向かって行きましたが、必ずしも雇用環境が安定しているとも言えません。私自身が様々なキャリアを重ねながら最後に自分がやりたい仕事、ポストにたどり着いたという意味で、いろんな経験を持った人たちが今後はまた美術館に回帰してくるような予感や期待を持っています。美術館が様々なアートをめぐるものや人のクロッシング・ポイントになるイメージでしょうか。

 これまでの美術館は良くも悪くも「神殿」であり「殿堂」でした。「ハコ」としてはしっかりしているので、ソフト面が柔軟になれば、これまで以上に色々なものが受け入れられるようになるはずです。楽観的に過ぎるでしょうか。

 2030年代を考えると、人口も減り、展覧会の主催に入る新聞社は存在感を薄め 、いっぽうで海外からの観光客や移住者が増えるでしょう。そうしたなかで、どうやって当館のような巨大な館を支えるのか。いまのままでは生き残れません。自分たちなりの、持続可能な新しいビジネスモデルを自覚的にいまから準備をしていかなくてはいけません。その時期には私はもうここにはいないでしょうが、私たちが夢見た90年代の欧米追従型の美術館像から2030年代の、コミュニティとツーリズムが共存する美術館に橋渡しをすることが、私のキャリアの最後の10年間の課題だと思っています。

兵庫県立美術館の海側にはヤノベケンジによるパブリック・アート《Sun Sister》(愛称「なぎさちゃん」)が佇む