単眼で覗く「フェルメールの見た景色」
これらの図学的な仕組みを踏まえたうえで、展覧会会場や自宅で手軽に試せる「画家の視点」を追体験する鑑賞法を紹介したい。

ここで鍵を握るのが、「仮想の視点」からキャンバスまでの距離を示す「視距離」という概念だ。フェルメールのタイルの描き方を分析していくと、この視距離を導き出すことができる。例えば《ヴァージナルの前に立つ女》(1670〜72)の場合、画面の横幅(45.2センチ)の約2倍に相当する視距離(90.4センチ)が設定されている。いっぽう、より大きな《絵画芸術》(1666〜68)では、作品サイズに合わせて視距離も179.8センチと、かなり長めに設定されているのだ。このように作品ごとに最適な視距離を見つけることで、フェルメールが設定した理想の視点が鮮明に浮かび上がってくる。
この比例関係さえ押さえておけば、手元の小さな図版であっても「画家の視点」を容易に再現できる。例えば《ヴァージナルの前に立つ女》を図録やGoogle Arts & Cultureなどのウェブ上の画像で鑑賞する場合、その図版の横幅の約2倍にあたる距離から目を向ける。これだけで、フェルメールが置いた「仮想の視点」からの眺めを追体験できるのだ。画家がかつて見ていた空間の広がりが立ち現れ、「画家の眼」と自分の視線が重なり合うような、特別な鑑賞体験を味わえる。
そしてこの「画家の視点」から視距離を保って鑑賞を行う際は、ぜひ「片目(単眼)」で覗き込んでみてほしい。透視図法は理論上「ひとつの点」を前提に作図されるため、フェルメールの空間構造もまた、単眼のレンズで捉えたように設計されている。人間は両眼で見ることによる視差から立体感や距離感を掴んでいるが、片目で見つめることで、フェルメールが画面の中に仕掛けた視覚体験を、より忠実に体験できる。
フェルメールにまつわる「謎」
こうして画家の視点を追体験してみると、フェルメールが構築した空間の精密さに気づかされる。そしてこの精巧さこそが、いまなお議論が続くフェルメールの大きな謎へとつながっていく。

フェルメールが描いた床のタイルには3つのパターン(種類)があり、実在するそれらの実寸はすべて解明されている。そのタイルの実寸を基準にして画中の家具や部屋の寸法を計算していくと、当時の実際の家具のサイズとほぼ一致するのだ。
フェルメールがどうやってこれほど精密な絵を描いたのかについては、美術史において長年論争が続いており、いまなお明確な決着はついていない。なかでも建築学者のフィリップ・ステッドマン(1942〜)らは、フェルメールがカメラ・オブスクラで投影した像をそのまま画面にトレースした説を唱えている。画面内の寸法が現実と寸分と一致しているという事実は、その主張を支える根拠となっている。しかしそのいっぽうで、画面の中には透視図法の技法書に基づく作図上の“マイルール”も色濃く残されていることがわかっている。
緻密な遠近法(透視図法)を用いているからこそ、いまなお様々な議論が尽きないフェルメール。多くの謎を残した画家だが、その作品と向き合う際に「図学」という視点を取り入れてみることで、これまで気づかなかった新しい発見に出会えるかもしれない。1枚の絵のなかに隠された緻密な空間の魅力を体感してみてほしい。



















