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フェルメールを予習しよう。「図学」で読み解くフェルメール鑑賞ガイド【2/3ページ】

図学で解き明かす──4つの画面設計のポイント

 ここからは、フェルメールが具体的に画面の中にどのような図学的な工夫を組み込んだのか、その空間設計を解読する4つのポイントを見ていきたい。

 そもそも透視図法とは、あらかじめ設定した視点から対象を眺めたときの見え方を幾何学的に計算し、平面の上に奥行きのある立体空間をシミュレートする手法のことだ。なお、フェルメール作品で透視図法を扱う際には「描く側が正面を真っ直ぐ見ている」という大前提がある。この基本的な法則を踏まえたうえで、画家が画面の中にどのように空間を構築したのか、4つのステップで紐解いていく。

《兵士と笑う女》の分析図。画面の中心から少しずれた位置にVcが設定されている

 はじめに注目したいのが、画家の視線の中心である「ビジュアルセンター(Vc)」 の存在だ。ちなみにVcは1点透視図法における消失点でもある。透視図法では「仮想の視点」が設定されると、そこから見た場面の中心に必ずVcが定まる。画面(作品)の中で、奥行きに向かって垂直な関係にあり、互いに平行なライン(窓枠の桟や、テーブルのへりなど)をまっすぐ延長していくと、必ず1つの点で交わる。これがVc(消失点)だ。《兵士と笑う女》(1657頃)などの作品でVcを探してみると、それが画面の真ん中ではなく、あえて左右どちらかに少しずらして設定されていることがわかる。なぜあえて中心からずらしているのか、その明確な理由はまだ解明されていない。しかしそこには、フェルメールならではの密かなこだわりが隠されていることがうかがえる。

 次に注目したいのが、作品ごとに変化する「床のタイルの描かれ方」である。フェルメールといえば床のチェック柄のタイルが印象的だが、中期の作品群を見ると、タイルを描くのを避けたり、上から一色で塗り潰して消していたりする作品が存在する。

 例えば、《真珠の首飾りの女》(1663-65)のX線写真を分析すると、実際にはタイルが見えない画面の下層に、かつてタイルを描いた痕跡が残っている。しかし、そのタイルの境界線を図学的に分析してみると、遠近感が歪んでいるのだ。これは、モデルやモチーフをカメラ・オブスクラ(暗箱)で投影しようとした際、当時のレンズ性能の限界から直線が歪んでしまい、それをそのままトレースしたために上手く描けなかった可能性が考えられている。

 この時代ごとの変化については、フェルメールがカメラ・オブスクラの性能限界に直面し、投影器具に頼る手法から、自力で図学を組み上げて空間を正確に構築する手法へと移行していったのではないか──というストーリーも浮かび上がってくる。作品を年代順に追いながらタイルの描かれ方を観察していくと、そこに隠された画家の試行錯誤のプロセスを感じ取ることができる。

ビジュアルフィールド(視野円)の図。頂角(E)60度の視野に収まる範囲のこと 
ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》(1660)キャンバスに油彩 45.5×41cm アムステルダム国立美術館 ビジュアルフィールド(視野円)の中にモチーフが収まっている
《牛乳を注ぐ女》の分析図。近景に描かれているテーブルを8角形の折りたたみ式と仮定し「ビジュアルフィールド」を算出したもの

 3つ目に注目したいのが、「ビジュアルフィールド(視野円)」と画面空間の収まりだ。人間の視野において、色彩や立体感をはっきりと認識できるのは中心から左右に約35度ずつ、合計70度の範囲とされている。それを超えてしまうと、色が薄く見えたりかたちがぼやけたりしてしまう。

 図学ではこの視覚特性を踏まえ、視野角60度の「ビジュアルフィールド(視野円)」を設定することで、描かれた場面が人間の目にとって自然な範囲に収まっているかを測ることができる。フェルメールの作品でVc(視野の中心)を軸にこの視野円を描いてみると、ほとんどの作品で描かれた人物やモチーフが見事にその円の内に収まることがわかる。フェルメールの絵画が自然で心地よい視覚体験をもたらす背景には、人間の視覚特性に配慮した図学的な空間の設計が働いているのだ。

 4つ目に注目したいのが、画面の中の人物がこちらをまっすぐ見つめ返す「見返し」の構造だ。透視図法においてこの視線は、画面外の「仮想の視点」と画面内の「Vc(消失点)」を結ぶ一本の直線を、真逆に向かって走る視線として説明できる。

 通常、風俗画とは「見られていることを知らない人々」を密かに覗き見るジャンルであり、透視図法は鑑賞者にその特権的な視点を保証する。しかしフェルメールは、人物の視線を鑑賞者に向けることでその特権を一瞬で剥奪してみせる。見る側だったはずの私たちが逆に「見返され」、視線が交差する──。このとき覚えるどこか居心地の悪い「気まずさ」こそ、フェルメールが空間の中に仕掛けた演出だと考えられる。

 こうした視線の設計は、1656年の《取り持ち女》に早くも見ることができる。左端でグラスを掲げて笑う男がこちらを見返すこの作品では、歴史画から風俗画への転換のなかで同時に、視線が画面を超えて開かれるのだ。

ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》(1665頃)キャンバスに油彩 44.5×39cm マウリッツハイス美術館 ©Mauritshuis, The Hague まっすぐ鑑賞者を「見返す」少女の視線

 なお、「見返し」がもっとも純粋なかたちで表現されているのが《真珠の耳飾りの少女》(1665頃)だ。真っ黒な背景のため空間を示す手掛かりや消失点が存在しないこの作品では、純粋な視線だけがまっすぐ鑑賞者へと届く。いっぽうで幾何学的に構成された風俗画における「見返し」は、作図で決められた「空席(仮想の視点)」に向かって視線が走るため、後から絵の前に立った鑑賞者がその席に座らされ、予期せぬ視線を受け取ってしまう。

 この「見返し」は作品の主題によって明確に使い分けられている。《牛乳を注ぐ女》など労働に没入する絵では見返しが存在しないのに対し、《ヴァージナルの前に立つ女》《ワイングラスを持つ娘》のように「求愛」や「誘惑」をテーマとする作品に集中しているのだ。フェルメールは「見返し」を「誘い」の記号として意図的に使っていた可能性があるといえる。

編集部

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