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[特別寄稿]長津結一郎:正解はないが「最適解」はある──アートと合理的配慮を考える

今年4月より各地で上演されたNODA・MAPによる舞台作品『華氏マイナス320°』は、障害や手話が主題のひとつに据えられたことで注目を集めるいっぽう、当事者の鑑賞環境や表象の在り方をめぐり大きな議論を呼んだ。自らの言語が舞台上で扱われながらも鑑賞へのアクセスが限られる不均衡は、現在の表現の現場が抱える課題と言えるだろう。芸術活動の現場において多様な観客とともに作品を共有するための「合理的配慮」とはどのようなものか。また、現場ごとの「最適解」をいかに導き出していくべきか。アートマネジメント、文化政策を専門とする研究者・長津結一郎による寄稿をお届けする。※8月13日24時まで、すべての方に全文お読みいただけます。

文=長津結一郎

筆者がプロデュースに関わった九州大学大橋キャンパスでのコンサート「見える音楽?」の様子(2025年1月) 撮影:富永亜紀子

はじめに

 2026年5月23日、筆者は東京芸術劇場プレイハウスで、キャンセル待ちを乗り越えて当日券を入手し、『華氏マイナス320°』という演劇作品を見た。2時間強ある演目を見終わったあと、スタンディングオベーションが鳴り止まないカーテンコールのなか、拍手をするのもためらいながらじっと舞台を見つめる人々を観客席に見つけつつ、私は以前に自分自身が書いた原稿を思い出していた。

その人を舞台に上げている人は、いったい誰なのだろうか。何のためにその人は、舞台に上がり、
脚光を浴びているのだろうか。その光はいったい、誰が当てているのだろうか。観客は、何に対して拍手しているのだろうか。──「健常者」である「わたしたち」の消費対象として、舞台に上げられる「障害者」という像。(*1)

 2026年4月に東京芸術劇場で初演され、その後J:COM北九州芸術劇場、ロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場、そして大阪・新歌舞伎座を巡回したNODA・MAP第28回公演『華氏マイナス320°』は、障害、優生思想、生命の価値といった主題を扱った作品である。パンフレットによれば、作・演出の野田秀樹が「ホワイトハンドコーラスNIPPON」のパフォーマンスにふれ、「その手の動き」(*2)に感銘を受けたことを契機として、ろう者の俳優と手話を舞台上に迎えた。

 この作品をめぐっては、上演が始まった当初からSNSを中心に、ろう者・難聴者が作品を鑑賞するための環境について議論や批判が巻き起こり、ろう者・難聴者の文化的権利とアクセシビリティを求める公開要望書が提出されたことも大きな話題を集めた(*3)。またそれだけでなく、障害者やろう者の表象の在り方にまで議論は広がっていったように思う。手話が言語としてではなく演出的な素材として扱われていないか。障害のある人が、健常者が受容する物語を成立させるための象徴として用いられていないか。そして、こうした事象を検証するにも、当事者が作品を鑑賞するうえでの情報保障が行われた回が非常に限定的であったことには、不均衡があるのではないか──。

 このことを受けて、本稿では『華氏マイナス320°』の上演とその反響が投げかけたものについて整理したうえで、芸術活動の現場において合理的配慮とは何か、という問いをあらためて考えてみたい。

表象の課題とアクセスの課題

 『華氏マイナス320°』が示す課題は複数の論点にまたがっているが、筆者の考えでは、大きくは「表象の問題」と「アクセスの問題」に焦点化される。

 まずは「表象の問題」についてである。本作ではろう者の俳優であるMISAKIが出演するとともに、手話が重要な表現として舞台上に現れていた(*4)。ただしそこでは手話が独自の文法と文化をもつ言語としてではなく、演出上の振り付けの一部として用いられていたように見受けられた。言うまでもなく手話は言語であり、ダンスでもパフォーマンスでもないが、そのような演出により、日本手話を使う当事者ですら何を伝えようとしているのか読み取ることが難しい表現になっていたようだった(実際、私のまわりの複数のろう者から同様の感想を耳にした)。

 次に、「アクセスの問題」がある。舞台上では手話が重要な表現として使われていたにもかかわらず、ろう者・難聴者にとって、聴者が得られる情報と同等の情報を取得しながら鑑賞するための環境は限られていた。東京公演における字幕対応は全42公演中2公演にとどまり、他地域の公演でも字幕対応やアクセシビリティ情報が十分に示されていたとは言いがたい状況があった(他方でロンドン公演では当たり前のように英語字幕が投影されていた)。つまり、日本手話を第一言語として用いる人々にとってみれば、自らの言語や文化が舞台上で扱われているにもかかわらず、その言語で作品を鑑賞することは妨げられていたのである。表象される側が、その表象を観客として受け取り、判断し、批評する機会から遠ざけられるという矛盾がここにある。

 異文化を表象するうえでは、文化盗用(*5)とならないよう、相手やその背景にある文化への敬意が欠かせないことは自明であろう。しかし、表現の現場でこうしたことは、往々にしてないがしろにされてしまうことがある。

 そうならない関係を築くためのポイントのひとつに、「合理的配慮」の考え方がある。

*1──長津結一郎『舞台の上の障害者:境界から生まれる表現』九州大学出版会、2018年、i-ii、iv頁。
*2──「【7月2日~11日 ロンドン公演開催】野田秀樹 特別インタビュー」における野田秀樹の発言から(週刊ジャーニー No.1448、2026年6月11日掲載。ONLINE版での最終閲覧は2026年7月28日)。https://www.japanjournals.com/hottopics/special/21002-noda-hideki-interview-2026.html
*3──公開要望書「NODA・MAP第28回公演『華氏マイナス320°』におけるろう者・難聴者の文化権の保障、および日本舞台芸術界全体のアクセシビリティ基準確立を求めて」。一般社団法人日本ろう芸術協会、特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク、We Need Accessible Theatre!の連名で、野田秀樹、NODA・MAP、文化庁長官宛てに2026年5月15日付で発出された。全文は次のリンクから確認できる。https://dasjapan.com/statements2026
*4──手話監修は井崎哲也とコロンえりかであることが当日のパンフレットに記載されていた。この2人はホワイトハンドコーラスNIPPONを立ち上げたことで知られている。
*5──ある文化やアイデンティティの要素を、別の文化やアイデンティティのメンバーが搾取的に利用することを指す。

編集部