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【今月の1冊】フォーマリズムから現代美術を照射する『モダニズム以後の芸術 藤枝晃雄批評選集』

『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本の中から毎月、注目の図録やエッセイ、写真集など、様々な書籍を紹介。2017年9月号では、美術批評家・藤枝晃雄の著書『モダニズム以後の芸術 藤枝晃雄批評選集』を取り上げた。

文=近藤亮介(美術家)

藤枝晃雄 著『モダニズム以後の芸術 藤枝晃雄批評選集』の表紙

 1960年代後半から現在まで半世紀にわたって、主に雑誌・新聞で美術批評を展開してきた藤枝晃雄の批評選集。計81本600ページ超のボリュームが予感させる通り、本書の射程は、印象主義からミニマル・アート、コンセプチュアル・アートまで幅広い。ただし、その批評の最大の特徴は、作品一点一点と正面から向き合い、その色・形・素材といった形式を「精読」するニュー・クリティシズム的な手法にある。

 藤枝は、つねに作品の視覚的性格の執拗な記述・分析から始める。例えば、ピカソの《アヴィニョンの娘たち》(1907)の平面性を評価したかと思えば、《ゲルニカ》(1937)を「平面性が平板性に、悪しき意味での装飾性になっている作品」と断言する。ポロックの《1:第31番、1950年》(1950)の無彩色の明暗法を称揚する一方で、《ブルー・ポールズ:第11番、1952年》(1952)の原色使いや「重力による偶然の線」に違和感を覚える。つまり、藤枝の価値判断にとっては目に映ずるものがもっとも重要で、作品・作家の背景にある時代や社会、また一般的な評価や通説は、二次的な問題にすぎない。

 もっとも、そのような態度は、ポスト・モダンの時代にあって、作品の内容を軽視する「フォーマリズム批評」として揶揄されてきた。しかし、本書のコラム欄で美術批評史家の川田都樹子が指摘するように、19世紀中葉のシャルル・ボードレールが端緒を開き、60年代のクレメント・グリーンバーグで頂点を極めたとされるフォーマリズムへの通俗的な批判は、「モダニズムの終焉を語るための方便」として利用された向きがある。本来のフォーマリズムは、内容の軽視とは無関係で、かつモダニズムに限定されない、あらゆる芸術の存立に係る枢要概念なのだ。

 そこまで藤枝が作品の「かたち」にこだわる背景には、事大主義がはびこる美術(批評)の現況に対する憤怒がある。目新しさに価値を置く「擬似革新的」で、「観念の関係」にとらわれ、「啓蒙的官僚主義」に支配された欧米中心の美術を、周縁的な日本人の視座から知覚の側へ取り戻すべく、藤枝は孤軍奮闘してきたのではないか。

 日常性の美学やソーシャリー・エンゲイジド・アートに便乗して、政治・社会へ直接関与を試みる「アート」が増殖を続け、活字文化の衰えとともに批評が機能不全に陥った現代だからこそ、私たちはいま一度「芸術とは何か」という原初的な問いに立ち返る必要がある。藤枝の一貫した批評的態度は、その問いに答えるためのひとつの指標となるだろう。

 (『美術手帖』2017年9月号「BOOK」より)