日本近代文学と現代演劇が専門の国文学者による、寺山修司論の集大成である。巻末収録の年譜を見て、寺山が47歳で病死していた事実に改めて驚く。あまりにも早過ぎる死ではあったが、濃密な人生を寺山は駆け抜けた。20代前半の若さでラジオドラマやテレビ・ドキュメンタリーに活躍の場を得たのち、「演劇実験室・天井桟敷」を結成して『毛皮のマリー』(1967年)のような先鋭的な舞台作品を次々と演出、子どもたちによる大人社会への反乱を描いたスキャンダラスな『トマトケチャップ皇帝』(1970年)、故郷へのアンビヴァレンツな思いが凝集された『田園に死す』(1974年)などの映画を手がけたほか、現代詩、俳句といった文筆活動も精力的にこなした。
本書は文筆家としての寺山よりも演劇・映画作家としての寺山に比重を置く。著者のきめ細やかな調査で明らかになるのは、寺山の活動がメディアミックスの先駆ともいえる展開を見せていることだ。ラジオドラマの音盤化も含めれば、派生した生産物はかなり膨大な数にのぼるが、実際の録音では削除されたが台本には残っている台詞のチェック、書物版と映画版の『書を捨てよ、町へ出よう』(書籍は1967年、映画は1971年)比較検証など、メディア間で行われた改変にまで著者は根気強く目を配っている。
こうした気の遠くなるような作業の中で抽出されるのは、ジャンルを超えて寺山作品全体に通底する以下のようなメインモチーフだ。母親殺しと自己形成、土着性への回帰、社会への挑発、ドキュメンタリー/ドラマの融合、視聴覚にまつわるメディアを横断しながらのメディア解体の実験、そして、相反する意思の結集としてのバロック美学を作品において実践すること。
とりわけ、虚構と現実が錯綜するメタシアター構造は、寺山の出発点であるラジオドラマから演劇、映画までを貫く主要な方法論だったが、「虚構と現実の臨界域=『世界の果て』を表現の実験場とした」と著者が指摘するように、その「実験場」は個々の作品内で閉じられずに生全般に拡張して読み解かれるべきだろう。寺山修司をいま、思考することの鍵も、ここに隠れているように思われる。
著者による生前の寺山インタビューが収録されているのは非常に貴重だが、もうひとつ興味深いのは、大学入試や高校の教科書に使用された寺山の文章を掲載し、その読解を読者に促す「特訓教室」を巻末に附していることだ。本書から浮き彫りになる寺山作品の実験性が、「特訓」による触発を経て現代に継承されるのを期待したい。
(『美術手帖』2017年7月号「BOOK」より)