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書評:核被害以後に模索された新たな美術批評の試み。『末世の芸術 来たるべき無人類のために』

雑誌『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート本を紹介。2026年4月号では、椹木野衣による『末世の芸術 来たるべき無人類のために』を取り上げる。核被害以後に模索された美術批評の試みについて書かれた本書を、現代美術史研究家・筒井宏樹が評する。

文=筒井宏樹(現代美術史研究)

核被害以後に模索された新たな美術批評の試み

 椹木野衣は、かつてオウム真理教事件や阪神・淡路大震災を決定的な契機として『日本・現代・美術』(1998)を執筆し、その問題意識から「日本ゼロ年」展(1999-2000)を企画している。アメリカの核の傘で守られ、世界史から切り離された日本を「悪い場所」と呼び、既成の現代美術の枠組みを「リセット」して、別の枠組みから再設定することを提唱した。核の傘の下という状況が持続するなか、しかし東日本大震災と福島の原発事故により、日本は核災害以後の場所となった。『後美術論』(2015)や『震美術論』(2017)と執筆時期が重なりつつも、本書はこの新たな前提のもとに編まれた続編である。

 「日本ゼロ年」展の参加作家のなかで、本書で重要な作家となるのは、初期から共闘してきた村上隆や会田誠よりも、《明日の神話》で核戦争を描いた岡本太郎、原爆が落ちた瞬間に着目した成田亨、そして「グランギニョル未来」で椹木と共に活動する飴屋法水である。

 本書の実験的な試みは、椹木自身が当事者として関わる福島の帰還困難区域内の「Don’t Follow the Wind」展(2015-)と「グランギニョル未来」が批評の対象となっていること、さらには、戯曲というフィクションが交ざっていることである。戯曲『グランギニョル未来』(2014)は、1985年に秩父地方上空をさまよい、御巣鷹山の尾根で大破した日本航空123便墜落事故を着想源とする。飴屋の原点となる出来事と、椹木の故郷・秩父が交差するこの残酷劇は、尾翼を失いつつ約30分間飛び続けた機内の緊迫感が抽象的に描写されるとともに、原発事故の核災害を解決できずにいる現在の日本の寓意となっている。終曲では、最初からすでに死んでいた「雨谷」(配役=飴屋)だけが残され、歌で終わる。人がいなくなった後も放射能が残された世界とも読み取れる。

 椹木は、冒頭で「末世の芸術」とは、人類が滅んだ後の「無人類」の世界に向けてつくられた芸術であると述べている。デビュー作『シミュレーショニズム』(1991)で、あらゆる現象が原子論的なレベルまで解体されるようなアナキズム的世界観を提示していた。核という枠組みから芸術が再設定された本書は、初期の思想から通底しつつも、日本という場所の変容に伴って、核の意味がメタファーから切実なリアリティへと変貌を遂げたのである。さらに椹木はコロナ禍のなか、身近な実感を伴う「体温」(東谷隆司)を重視する「ドメスティック」な姿勢を示す。失われた者とのつながりも回復するこの姿勢は、末世に近づく世界における生存戦略にほかならない。

『美術手帖』2026年4月号、「BOOK」より)