利息としての場所、時間
2021年に開館した長野県立美術館にわたしが初めて足を運んだのは翌22年のことで、生誕100年を記念しての松澤宥の回顧展を見に行くのが目的だった。松澤が数字への格別なこだわりをもったことはよく知られていて、この展覧会の会期などもそれに合わせて設定されていた。だからよく覚えているのだが、わたしが美術館に辿り着いたとき、季節は真冬の2月で敷地は一面の雪景色だった。そして2026年、新年早々に向かった長野県立美術館も、やはり雪に覆われていた。
なぜこういう書き出しになるのかといえば、美術というのは建前として普遍的な価値を目指しているので、その展示が行われている美術館の周囲がどのような環境に置かれていようと、展示空間とその外部は切り離して評価されるべきもので、夏だとか冬だとかいうことは相対的で雑多な出来事に過ぎず、作品の鑑賞には原理的に干渉しないとされてきたからだ。
けれども、サイト・スペシフィックなどという言葉を出すまでもなく、人間は機械ではないのだから、そのような分離を首尾よく行うのは極めて困難で、仮に訓練や修練、経験などを通じてそれがうまくいったとしても、美術作品は単独では意義をもたず、人間の(眼という器官よりも)心に働きかけて初めて存在意義をもつと考えるわたしなどは、そのようなことがうまくなされたとしても、そこにどれほどの意味があるのかと思う。

要は、わたしが今年早々に向かったのが真冬の長野での北島敬三の大規模な回顧展で、その経験が雪景色と一体のものとして記憶に焼き付いている、ということなのだが、それはそれで単純なことではない。というのも、北島の写真作品はある時を境に現在に至るまで大きく肖像と風景に弁別されていて、それらはいずれも完膚なきまでに撮影者の主観(被写体の傾向)を排した形式性において徹底されており、先にわたしが記したような主観や外部環境を徹底して排除することで初めて成り立つ。少なくとも外見的にはそのように見える。そして実際、北島の写真作品はそのような前提で様々な場所と機会を通じ見られ、語られてきた。
にもかかわらず、わたしは美術館に到着して雪景色のなか入り口に向かう途中で、館内から外部に向けて大きく開かれた透明な窓ガラス越しに、館内の通路に飾られた北島の写真を覗き込むように仰ぎ見たとき、これまでとはまったく別の印象をもった。もう少し強い言葉を借りれば、刻印と言っていいかもしれない。

というのも、わたしは北島の写真というのは、致命的なまでに移ろいやすく、他方では人が命を維持するうえで最大の脅威にもなりうる白く冷たい雪というものと無縁ではありえない、と不可逆的に感じたのだ。不可逆的、と言うのは、それがわたしの北島の今回の展示についての第一印象だったからだ。第一印象は塗り替えられない。だからわたしはここから、それを出発点にすべてを語ろうと思う。
わたしたちが写真を目の当たりにするためには、「現像」が必要だ。そんなことは常識で言うまでもないことだが、わたしは積雪越しに北島の写真を見て、そこには現像というより、ある種の「氷結」としか言いようのないものがあり、その点においては北島のなかで二極化しているかに見える肖像も風景も、根本的には同じ冷徹さを通じてこの世界に姿を現していて、だが、しかしそれは同時に恐ろしく解け(溶け)やすくもあり、絵画などとは比べものにならないくらい危ういものだ、というふうに感じたのだ。

北島の写真をめぐるこの氷結と解凍という往来について別の角度から捉えるため、次に今回の展覧会のタイトルである「借りた場所、借りた時間」について考えてみたい。この言葉とその響きには、北島自身の強い思い入れがあり、また事実、過去に何度か自主企画などを通じて使われた経緯がある(そのうち北島自身も忘れていた一度については、今回の展示をめぐる準備と調査のなかで再浮上した)。言葉そのものの出典は、中国出身でベルギーにも出自をもつ作家ハン・スーインが、くっきりとした焦点を結ばない自己の由来と、やはり暫定的な土地であった香港という街について使ったことに遡るというが、そのようなことは知らなくても、写真家の展覧会で「借りた場所、借りた時間」とあれば、ただちにそれが写真そのものの在り方を指すことには気づくだろう。絵画などと違って画像そのものが光の痕跡である写真にとって、すべてのイメージはどこかから借りた場所であり、借りた時間であることを避けることはできない。だが、わたしがここで言いたいのはそのようなことではない。問題は、写真をめぐって「借りた場所、借りた時間」すなわち“Borrowed place, borrowed time ”というとき、誰がなにを誰(どこ)から借りたのか、ということにあるからだ。
このうち「なにを」についてはタイトルに明示されている。借りられているのは「場所」と「時間」にほかならない。それは揺るがない。では、誰が誰(どこ)から場所を、時間を借りたのか。会場に並べられた写真をめぐる場所や時間は、いったい誰から誰へと借りられたのだろう。借りられたのが場所や時間であるのはよいとして、わたしがこの機にあらためて問うてみたいのは、これらの場所や時間を借りたのが北島なのか、それとも写真なのか、ということだ。もしも前者であるなら、このタイトルは「北島が場所や時間を写真から借りた」ことになり、後者であれば「写真が場所や時間を北島から借りた」ことになる。この二つのうち、ある時期から北島が分岐して撮影してきた肖像と風景に限って言うなら、後者のほうがふさわしい。その場合、北島はあくまで写真という技術の提供者に過ぎず、借りた主体は非人間である写真そのものとなり、その意味では具体的な場所や時間が写真という非人間を通じて非肖像、非風景へと「氷結」したと考えられることになる。

けれども北島には、この写真自体が場所や時間の借り手となる形式を徹底した連作の制作を始める前に、今回の回顧展でも、回顧というより入れ子のように展示に内包されている初期からのスナップショット──被写体への能動的な働きかけを必要とした一群の写真──があり、これについて言えば「北島が場所や時間を写真から借りた」としたほうがふさわしい。ただし北島には、みずからが写真から場所や時間を借りるこれら初期のスナップショットについては、沖縄という外部と撮影を通じて向き合った際に陥らざるをえなかった一種の躓(つまず)きがあり、この躓きが北島の写真や撮影の方法を結果として大きく変貌させ、のちに肖像と風景へと二極化する大きなきっかけとなった。その点では、「写真が場所や時間を北島から借り」ることができるためには、時系列的には「北島が場所や時間を写真から借りた」過去を内包している必要があり、事実それは見えないかたちで潜伏し続けている。だからこそ今回の回顧展は、先に少しふれたようにたんに「回顧」の形式にはなっておらず、むしろ「入れ子」になっている。
だが、仮に入れ子だとしても、潜伏しているものは消しがたく潜在し続ける。それは一種の内部性、言い換えれば目に見えない体温なのだ。実際、「北島が場所や時間を写真から借り」るためには先にふれた通りある種の能動性、働きかけが必要なのだから、そこには北島という人間が深く関わることになり、故に避けがたく発する熱量がある。他方、「写真が場所や時間を北島から借り」るだけなのであれば、北島の能動性や熱量は作品とは限りなく無縁でありうる。しかし、この無縁であるためにこそ、北島の肖像や風景には微熱であっても発動因として絶えず過去からの熱源が埋め込まれている。

この熱源は、仮に高温でなくても北島の写真が北島の写真であるかぎり、恒常的に図像に深く埋設されているから、北島の肖像と風景は、いかに厳格な形式によって氷結性を維持しているように見えても、氷結はどんなに低い温度でも熱源には極めて弱いので、この形式を支える構造は、いつ解けて(溶けて)なくなってしまうかもしれない。もっと具体的に言えば、北島の写真には終始一貫して沖縄という熱源(南方性)が埋め込まれて(故に本展でも回帰して)おり、わたしには、その熱源が美術館の周囲に広がる雪景色(北方性)と呼応し、肖像と風景の反復によってまるごと冷凍保存され、返済(場所と時間を借りたなら、利息が生じても写真を通じて同じ場所と時間に返さなければならない──たとえ分割返済であったとしても)の時を無限に待ち続けているように見えたのだ。
(『美術手帖』2026年4月号、「REVIEW」より)


























