じゆうとほう
銀座メゾンエルメス ル・フォーラムで「メタル」と題した展覧会が開かれている。冒頭でこの企画についてふれたのは、出品作家のひとりである榎忠について、同時期に出版された書籍『Savoir & Faire 金属』(岩波書店)にわたしが寄稿しているからで、そもそも本展はエルメス財団が手がける自然素材についての「スキル・アカデミー」の成果であるこの書籍の刊行を記念して企画された。ゆえにここからは「メタル=金属」に着目して文章を進めたい。
というのも、この「メタル」という言葉にわたしは奇妙な既視感があって、それはわたしが自分の署名で37 年も前に初めて書いた評論が、ほかでもない本誌に発表された「メタル・メタフィジックス 乱調金属の存在論」という文章(*1)だったからなのだが、そこでわたしは次のように書いている。
「一九二二年、ポール・ストランドは『写真と新しい神』と題するエッセイの中で、われわれ人類は、『新しい創造的な芸術と新たなる三位一体、すなわちマシーンという名の神と唯物論的経験論という名の子、そして科学という名の聖霊によるトリニティをなしとげた』と記し、マシーンという、人類が初めて直面した脅威的なるリアリティに対する全面的讃美を表明した。しかし彼はそれに続けて慎重にも次のようにつけくわえるのを忘れなかった。『ただし、この三位一体は、人間を非人間化する方向ではなく、人間化されねばならない』と」(同前、298頁)。
言うまでもなくマシーンの原材料はメタル(金属)だ。金属なくしても形式としての「メカニズム」は成り立つが、著しく耐久性を欠く。とりわけ、のちにふれるような殺戮を目的とし対象を貫通する、もしくは爆発するメカニズムは高い剛性を備える金属なくしては成り立たない。それならストランドの言明は次のように言い換えることができる──ただし、金属は人間を非人間化する方向ではなく、人間化されなければならない、と。
ところで、わたしがかつて書いた文章で「メタル・メタフィジックス」と呼んだ、すなわち金属という物性を超えた金属としての「メタ・メタル」こそは、金属が徹底的に非人間化された帰結としての武器、兵器のことであった。金属が人類によって地球から鉱物資源として掘り起こされて以降、地表に露出した石などに代わって、それまでは潜伏的であった金属(鉄)が急速に武器として活用されるようになり、やがて近代となり内燃機関が発明されると、金属はシリンダーの形状を取るようになって、自動車のエンジンや銃に応用され、急速に非人間化の道を突き進み、やがてそれは戦車や機関銃(マシンガン)へと至ることになる。言ってみればわたしは、そこで金属のメタ・メタル化をめぐる進化論について具体的な例を出しながらふれていた。その導入は、こんなふうだ。
「それ(地中に眠る鉱物資源としての金属・筆者補足)に対して、徹底的に速度の頂点を目指し、あくことなき空間的拡張をわがものとし、時にわれわれ人類の殺戮へとそのもてる全エネルギーを費やす、そのような金属が存在する。自動車、船舶、飛行機、拳銃、戦車、ミサイル……、これらは金属のあの度しがたい重量を否定するかのように速く動き、速く到達し、速く殺す。それらはみずからがその速度にはつり合わぬマッスとしてのボディを所有すればするほど、それだけよりいっそう速くあろうとするかのようである。それらは重力をいたぶっているのだ。これらこそがメタ・メタルと呼ばれるにふさわしい」(同前、299-300頁)。
これに続いてわたしは、「西部開拓地での対インディアン戦争からの要求を背景に、アメリカのサミュエル・コルトによるレボルバーの実用化を具体例」として挙げ、さらには「犯罪における車の果たす役割とそれを撃たねばならない銃の強度の要請」から「二十世紀にはいっての自動拳銃時代の到来を経て、銃はサブ・マシンガンと呼ばれる金属へのアプローチを開始し、第二次世界大戦では、陸上におけるメタ・メタル的金属変成の最終形態とも言うべき『戦車』を中心とする機甲部隊と結合して、数えきれない生命をなきものとした」(前302-303頁)と書いている。そのようなことを書いたのをすっかり忘れていたわたしは、「メタル」展を見て、そのタイトルから浮かんだ既視感のおおもとに眠っていた、自分がかつて書いた「メタ・メタル」をめぐる殺戮金属(乱調金属)の進化(存在)論を不意に思い出すこととなった。そしてそのような余韻を残したまま、その数日後に歌舞伎町で開催された「BENTEN 2」の会場である王城ビルへと向かったわたしは、地下にセッティングされた宇川直宏率いる「DOMMUNE KABUKICHO」の特設会場でふたたび、かつて書いた乱調金属の進化論ときわめて近しいパフォーマンスに出会った。
このパフォーマンスは飴屋法水による「GUN」と名付けられたもので、過去に何度か行われ、そのうちの少なくともひとつをわたしは見ている。が、今回はVMO(Violent Magic Orchestra)とのコラボレーションの形態を取っており、ソロに始まり、やがてVMOと飴屋との共演へと至る。が、ここでは「メタル」展とのつながりから「GUN」に絞って話を続ける。

このパフォーマンス(というより芝居)は、舞台右に設置されたテーブルに着席した飴屋がマイクでぼそぼそと話を始めるところから幕を開ける。声が小さく聞き取りにくいせいか、最初は「じゆうとほう」の違いについて何か語っているくらいしか聴き取れない。自由と法? しかしそれは話が進むにつれ「銃」と「砲」の違いのことだということがわかる。そしてその頃、録音されていた銃声が唐突に会場に鳴り響く。
この銃声はかつてリンカーン元アメリカ大統領の命を奪ったもので、飴屋は射程距離が数メートルしかないというこの極初期の(わたしの言葉で言えば)メタ・メタルを皮切りに、拳銃がリボルバーからオートマチックへ、さらにはライフルからショットガン、機関銃へと至るまで、具体的な銃声と歴史的な犠牲者たちの名(例えばジョン・レノンやジョン・F・ケネディ)を挙げ、ときに現場の寸劇を踏まえながら、殺傷能力の飛躍的な「進化」を追っていく。その間飴屋は、白いロープで吊られた空っぽの鳥籠を、鳥の鳴き声を流しては思いついたように頭上に落とす。

ところで、先にふれたように飴屋が冒頭で語ったのは「銃と砲」の違いだったので、話はおのずと「砲」へと及ぶ。銃と砲の違いは、銃が装填された弾丸の発射によって目標(敵の身体)の貫通・破壊を目指すのに対し、砲は内部に爆薬が仕掛けられ、目標に到達するとその衝撃で爆発を起こす。いわゆる大砲のことだ。しかし大砲にも様々な種類があり、大幅に端折るが最終的にはミサイルに至り、終極的には原爆・水爆となる。この頃になると音と芝居との対比はもはや意味をなさなくなり、飴屋の自演も大量殺戮や遠方での不可視性ゆえ不可能となる。そしてこれらがひと段落すると、飴屋はこうしたメタ・メタル(乱調金属)によって命を奪われてきた過去のすべての犠牲者、動物たち(昨今の立て続く被害で「駆除」された熊も含む)をはじめとする命のすべてに向けて8分間の黙祷を呼びかける。ただし、目を閉じての黙祷ではない。目を「カッピラいた」(飴屋)ままの黙祷だ。そう呼びかけられた来場者のうち、はたしてこの黙祷を実際にできた者がいたのかどうかは知らない。しかしスポットライトを浴びた飴屋は実際に瞬きひとつせずこれを実行した。

思うに、そうすると銃と砲をめぐるこのパフォーマンスは、実際には当初、聞き間違いのように受け取れた「自由と法」と直に結びつくものであった。というのも、これらの暗殺事件や大量殺戮の多くにアメリカの影がよぎるからだ。そこには銃を所有、携帯する「自由」があり、戦争での殺戮を合法化する「法」がまぎれもなくある。その意味では「銃と砲」を扱ったこのパフォーマンスは、同時に、やはり「自由と法」をめぐるものでもあり、その点で両者を掛けるならば「じゆうとほう」と呼ばれてよいものかもしれない。
それにしてもなぜ「8分間」だったのか。それはその際に背景で流された音源の長さがほぼ8分だったからなのだが、これはかつて飴屋が主宰した劇団「東京グランギニョル」による芝居「ライチ光クラブ」(1985)の劇中で流されたもので、三上晴子がそれ以降、飴屋と活動をともにするきっかけとなった。

示唆的だったのは、1980年代に三上と密接なつながりのあった飴屋による、同時期に開催された「MIKAMI MEME 2025|三上晴子と創造のミーム」展での資料展示が、都市の残骸としての大量の鉄屑をめぐるものであったことだ。鉄屑とは言うまでもなく、都市を破壊する重機をはじめとするメタ・メタルがもたらしたものであり、都市を「大量殺戮」した結果としての亡骸・残骸にほかならない。三上ならそれを「滅ビノ新造形」と呼ぶだろう。
急いで言っておかなければならないのは、本文の冒頭でふれた「メタル」展で榎が一貫して扱ってきたものこそ「法」で規制される「銃と砲」であり、それらの対極にあるおのれの生身の身体をめぐる「自由」であったことだ。メタルとメタ・メタルをめぐるこの数日の連鎖は、はたして偶然だろうか。この間、わたしはほかにも金属をめぐるいくつかの印象深い展示(原口典之、やなぎみわ)を見た。きっと金属をめぐる「なにか」が私たちの身に迫っているのだ。
*1──特集「マシーン・エイジ 美術機械の疾走」、『美術手帖』1988年5月号。引用はその後本稿を加筆修正のうえ収録した『増補 シミュレーショニズム』(ちくま学芸文庫、2001)より
(『美術手帖』2026年1月号、「REVIEW」より)

























