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REVIEW - 2020.2.22

構造化されたキャンバスが生み出す「子供の情景」とは。池田剛介評「岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ」展

造形作家でありながら、教育活動、批評、研究、展覧会企画など、あらゆるジャンルにおいて深淵な洞察力をもって活動を展開してきた、岡﨑乾二郎。その活動の全貌を展覧する個展が、豊田市美術館で開催。初期作品「あかさかみつけ」シリーズから最新の絵画作品までを俯瞰することで浮かび上がる、その本質とは? アーティストの池田剛介が迫る。

池田剛介=文

靜かな場所だった。聴こえているのは存在しない音楽。賑やかなのはわたしの耳のせい。波止場のざわめきは遠く、しとやかに聴こえる。ま《ごまごしてここに迷い込んだ。眩しい光。こまごました磯の香り、イナサの風。あの島に行くつもり?舟の名は?アイオロス、一緒についていくさ。》(2019)の部分(部分撮影=筆者)

机・回想・モジュール

 教室では子供たちが賑々しい。なぜだか先生はおらず、本を読んでいる子もいれば隣に話しかけるのもいる。工作をし始めたのがいるかと思えば、窓の外を眺める子もいる。そうこうしているうちに机の列もすっかり乱れて、形や色もバラバラになってきた──はじめのフロアに展示された岡﨑乾二郎の近作絵画を眺めながら浮かんでくるのは、そうした「子供(たち)の情景」だ。絵画全体を覆うほどに大きくはないが、しかし放縦で落ち着きのない存在たちが絵画のなかで騒めいている。タブローは複数に分割されているので、並び替えれば新たな作品へと早変わり。そんな想像は不謹慎だろうか。

靜かな場所だった。聴こえているのは存在しない音楽。賑やかなのはわたしの耳のせい。波止場のざわめきは遠く、しとやかに聴こえる。まごまごしてここに迷い込んだ。眩しい光。こまごました磯の香り、イナサの風。あの島に行くつもり?舟の名は?アイオロス、一緒についていくさ。 2019 
2点組 キャンバスにアクリル  210×130×6.7cm  作家蔵 

 作品の脱着式の可変性は、階層をひとつ上がった次のフロアでも見られる。有機的な形状をした複数の塊が組んず解れつしながらひとつのボリュームをなす彫刻たち。これらの要素もまた、それぞれに閉じられた形を持っており、取り外して組み替えることができそうだ。岡﨑も好んで取り上げる熊谷守一のネコのごとく彫刻はテーブルの上でくたりと休らい、そのなだらかな曲面をそっと撫でたくなる。ネコもまた脱着式──とまでは言えないながら、きわめて可変的な形態を持つことで知られる。さらに階層を上がったフロアでは、ビリビリと紙をやぶって巻き上げながら色鉛筆を走らせた《ポンチ絵》(2014)が現れる。ここでもまた、風景や静物といった絵画の古典的な題材に交じって、子供や動物たちの姿と出会うことができる。

ハンバウとそむきにぐるものを ホクワクととらへえたり 2000 石膏 26.5×77×51.5cm 作家蔵

 子供や動物といった要素の強調はしかし、誤解を招くものでもあるかもしれない。岡﨑の作品を大人=人間的な作為から逃れた、純真無垢にして原初的なエネルギーを放つものと見なすことにもなりかねないからだ。だが岡﨑ほど、そうした非知性的なイノセンスから遠い存在もないだろう。氏の理論家としての活動もさることながら、その作品においてこそ形態の「操作」に極めて自覚的であることが見て取れるからである。

淡水水産物つまりおサカナ、といっても人の放流したアユやニジマスを穫って暮らしている。水面から水の裏を見透す(背後に食客三千)。水を飲み、氷を食べる暮らしと違わない(水は凍って大きく膨らむ)、だからサカナたちから税を奪う。 2008 2点組 キャンバスにアクリル 各 91×72.7×5.8cm 作家蔵

 展示の終盤、代表作と言える同一サイズによる二幅対の絵画群が現れる。一見すると画面全体にわたって乱雑に、偶然性をもって散らされているかのようなストローク。しかし2枚をよく比較してみると、即興的に描かれたように見えた筆触は、キャンバスを跨いで色彩や大きさを変化させながら反復されていることがわかる。一方のキャンバスに張り付いている絵具の形が、反転しながら他方のキャンバス地の塗り残しとして現れるさまは、脱着式のパーツを組み合わせるパズルを思わせもする。奔放な身振りをもって描かれているかのような作品は、その実きわめて分析的な操作の徹底によって構造化されていたのである(*1)。

 階層を下り、もう一度はじめのフロアの近作絵画に立ち戻ってみよう。筆致はますます無尽に 横溢 おういつするかのようであり、二幅対のシリーズで見られたような同じ筆触が反復/反転するパズル的な性質は、見えなくなってきているようだ(*2)。パズルの原理と入れ替わるように前景化するのは、「ゼロ・サムネイル」シリーズとして展開されている、限られた色と筆触で構成された小さな絵画単位が、ひとつの作品のうちに ひしめき合うさまである。いくつもの絵画単位を隣接させながら、しかしそれらがひとつに統合されることのない多数性を保つこと。これを可能にするうえで、それぞれの単位相互の「接合部」が鋭く輪郭づけられている点はとりわけ重要である。これら接合部は、個別の絵画単位を閉じると同時に、隣接する別の単位へと連結するためのインターフェイスとなる。

靜かな場所だった。聴こえているのは存在しない音楽。賑やかなのはわたしの耳のせい。波止場のざわめきは遠く、しとやかに聴こえる。まごまごしてここに迷い込んだ。眩しい光。こまごました磯の香り、イナサの風。あの島に行くつもり?舟の名は?アイオロス、一緒についていくさ。 2019 2点組 キャンバスにアクリル 210×130×6.7cm 作家蔵
(右が全図、左3点は部分。部分の撮影は筆者による)

 先に記した印象において「バラバラな色や形の机」として見られたそれを、より正確に(1)色彩、材質、筆触といった有限な要素によるひとつのまとまりを持ちながら、(2)他の部分と接合するためのインターフェイスを持つ「絵画モジュール」と言い換えることができるだろう。パズルの原理に代わって、あるいはそこから展開するように現れているのは、それぞれの絵画単位の閉鎖性を保ちつつ隣接する別の単位へと接合していく、こうした絵画モジュールによる分離・接合の原理である(*3)。先述したキャンバスの可変性への予感は、タブローの分割のみならず、こうした作品内部のモジュール性にもまた起因しているはずだ。

 しかし、である。このような分析を経てもなお、作品は「子供たちの情景」をとどめているようにも見える。それぞれの個別性を持った「机」の共立には、「みんな」として統合されるのではない諸領域が輪郭づけられている。一度は何気なく見過ごした《ポンチ絵》の、左上の角に置かれた作品が思い出される(*4)。

ポンチ絵 2014 紙に色鉛筆 29×40.5×40cm 個人蔵

 ビリビリと破られ巻き上がった紙に隠れるような、おかっぱ頭の少年。回想の岡﨑自身であるかもしれないその少年の、突っ伏すように机に置かれた両腕は、彼の秘密を守るかのような閉域を形づくっている(*5)。机とは、知性を育む場であると同時に、他とは容易に共有しえない感性的な領域を守る場でもある。小さく閉じられた個別の「机」たちには、1枚の平面から立体へと立ち上げられたレリーフ「あかさかみつけ」の姿を重ねることもできるはずだ(*6)。

 近作を見ることが、そのままかつての作品群の想起となる。そしてそのとき、本展に託された「回想」のかたちが浮かび上がってくるだろう。いまのなかには過去があり、過去のなかには未来がある。整序されえない錯乱的な時間が、 回想=回顧展 レトロスペクティヴのなかでいくつもの渦を巻いている。

*1──同一サイズ2枚組の作品構造については以下が詳しい。『ART TODAY 2002 岡﨑乾二郎展』(セゾン現代美術館、2002、3頁、石岡良治による扉頁の解説)。および上崎千「岡﨑乾二郎のディプティック」『Saison art program journal : SAP No.10』(セゾンアートプログラム、2002)。
*2──二幅対に関して、本展および充実した氏のウェブサイトを確認する限り、2008年の作品を最後に現在に至るまで、同一サイズのそれは見られなくなっているようだ。それ以降にも「ゼロ・サムネイル」のような小品と大作を2枚組とする例はあるが、明らかに同一サイズの2枚組とは性質を異にしている。その違いを雑駁に言うなら、同一サイズの場合は「二」の関係を扱う(ことによって「一」としての絵画を相対化する)のに対し、小品と大作の組み合わせの場合は「一と多」の関係が問題となっているように思われる。
*3──それぞれの絵画領域の個別性を保つうえで、加えて重要なのは絵具を塗られることなく残されたキャンバス地の存在である。一定程度絵画に接近すると筆勢を持ったマチエールが強く現れるいっぽうで、作品全体を見渡せるほどに引きを取った状態では、複数の絵画単位を分離しつつ結びつける地の作用が見てとれる。もう一点、近作にしばしば見られるタブローの分割線を挟んで左右反転するような絵画単位もまた、それぞれの領域を閉じながら同時に隣り合う領域へと接続していく作品構造を強化している。以上、さしあたり(1)筆触による接合部、(2)キャンバス地、(3)タブローの分割、という3つの要素によって絵画モジュール相互の分離・接合が行われていると考えられる。
*4──細部まで目の届かない高さに設置された本作の詳細確認に関しては、企画担当学芸員の千葉真智子氏にご協力をいただきました。記して感謝します。
*5──子供の頃、母親の服づくりのための男女共用のモデルとなるため、おかっぱ頭だったことが自身によって語られている。インタビュアーは中村麗。『Kenjiro Okazaki 1979-2014』BankART1929、2014、183頁。
*6──机で想起されるものとしてもうひとつ、本展には出品されていないが、初期の「あかさかみつけ」シリーズに先行するプロトタイプとして《こづくえ》という作品があったことも思い出される。

こづくえ 1979 色紙、ボール紙 作家蔵