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REVIEW - 2020.1.30

光を見ることは可能か? 菅原伸也評 イズマイル・バリー「みえないかかわり」

素材の本質から事物をとらえ、見るという行為そのものを問いかけるイズマイル・バリーの日本初個展が銀座メゾンエルメス フォーラムにて開催された。展示会場全体を光学装置とし、映像作品を中心に、ドローイング、インスタレーションなど、さまざまな形態の作品が発表された。最小限の状況設定から生み出された繊細な作品群を通して、視覚への実験的なアプローチを行った本展を、美術批評家の菅原伸也が紐解く。

文=菅原伸也

出現 ヴィデオ 3分 2019 © Nacása & Partners Inc. Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

見るものと見えないもの 

 どうやったら手首の脈拍を見ることができるだろうか。通常、脈拍は手首の動脈に指で触れることによって測られる。だが、それは触覚的に測定しているのであって、目で見て認識するのとは異なる。《線》という映像作品においてイズマイル・バリーはこの困難な問いに対して、手首の動脈の上に水滴を置けばよいと解答するだろう。こうすることで、脈拍に呼応した水滴の震えを通して脈拍を間接的に見ることが可能となるのである。

 「みえないつながり」と題された本展はこの作品が示しているように、見えるものと見えないものとの関係、そしていかにして見えないものを見えるようにすることができるかを探究する展覧会である。改めて確認しておけば、見えないものを直接的に表象することはできない。もしそうしたならば、見えないものは見えないものであることを止め、見えるものとなってしまうからだ。したがって、見えないものを見えるようにするためには、見えないままでありながら見えるようにすること、すなわち、動脈の上の水滴のように、見えないものを間接的なやり方で視覚的に示唆することが要請される。

みえないかかわり 水、木片、ヴィデオカメラ、wi-fi サイズ・時間可変 2012-19
© Nacása & Partners Inc. Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

 ここでもう一つ問いを提示してみよう。光はいかにして見ることが可能になるだろうか。光それ自体は見ることができない。つまり、光は見えないものである。しかし、光を放つライトの前に一片の紙をかざすならば、その紙が光を孕み反射する様子を通して光を間接的に見ることが可能になる。だが、紙が光を反射し光が可視化されることによって見えなくなるものもある。その紙が写真紙であったならば、その強烈な光によってそこに映る画像は見えなくなってしまうだろう。このように、あるものを見えるようにすることはまた別のものを見えなくしてしまうという結果を時に生み出してしまう。そこで写真紙の裏側に手をかざしてライトからの光を遮るならば、光が遮られた部分にその画像が再び出現することとなるであろう。しかし、それは完全に光を見えないようにしてしまうのではなく、光を間接的に示すと同時に、画像をも部分的に出現させているのである。このようなやり方で、展示冒頭にある《出現》という映像作品は本展のテーマを十全に表している。

 会場の大きいほうの展示室は大部分、箱状に覆われていて、比較的暗い内部と窓に面した明るい外部とに分割されている。箱の内部から外部空間を直接見ることはできないようになっており、鑑賞者は内部空間にある作品を見た後、会場スタッフに促されて外部空間の存在をようやく認識することとなるのである。したがって、内部にいるときは外部は見えず、外部にいるときは内部が見えず、見えるものと見えないものとの反転構造が生じていることとなる。だが、ここでもまた、前者2作品と同様、見えるものと見えないものとの関係は完全に遮断されてしまうのではなく、内部と外部の間にある壁にはいくつかの穴が開けられていて、そこには紙などが貼られ直接その穴を通して向こう側を見ることはできないものの、内部と外部はその半透明な紙を通して不可視である互いの存在を視覚的に感じ取ることができるようになっているのである。

展示風景
© Nacása & Partners Inc. Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

 内部空間には、テーブルのような平面の台の上に砂が敷かれ、そこにボールの転がったような跡が線状に付けられた《ボールの跡》と題された作品がある。こうした痕跡、つまりインデックスもまた、見えない不在のものを間接的に示す一つの方法であると考えることができよう。実は、その痕跡を付けたと思しきボールがエレベーターの裏に置かれているのだが、そのボールと砂上の痕跡は同時に見ることができないような場所に配置されている。すなわち、片方を見るときは他方を見ることができないようになっており、ここでもまた見えるものと見えないものが反転する構造となっている。だが、この作品においても見えるものと見えないものとの関係は断絶しておらず、砂上の痕跡を見るときにはその痕跡を通して見えないボールの存在を思い浮かべるだろうし、エレベーター裏のボールにたまたま気づいたときには(このボールは作品リストには記されていない)、先ほど見たばかりの、いまは見えない砂上の痕跡を想起することとなるのである。ここでは、見えるものと見えないものとの関係において記憶が果たしている大いなる役割が明白な形で現れていると言えるだろう。


《ボールの跡》(2019)の展示風景
© Nacása & Partners Inc. Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

 実を言えば、これまで記述してきたような構造は、本展会場である銀座メゾンエルメスという建築自体が持っていたものである。半透明のガラスブロックで覆われたメゾンエルメスは、内部から外部を直接見ることはできず(逆もまた然り)、ガラスブロックを媒介として、見えない外部をつねに間接的に示唆する建物なのである。したがって、本展が対象とする空間は、大きな展示室にある箱状の内部空間と、その外部空間、さらにメゾンエルメスの建物の外といった入れ子構造となっていると考えることができるだろう。そして、鑑賞者は展示を見終えてメゾンエルメスの建物から外に出たならば、今度は新たに現実空間において、そこにもあるであろう見えないものを見えるようにするための探究を継続することとなるのである。