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REVIEW - 2020.3.21

どこまでも続く答えのない謎解き。椹木野衣評 目[mé]「非常にはっきりとわからない」展

空間を大規模に変容させるインスタレーションを手がける現代アートチーム、目[mé]。その美術館では初となる個展「非常にはっきりとわからない」が、千葉市美術館で開催された。2019年12月末から約半年間の休館に入る同館の状況を活かした会場構成で大きな話題を呼んだ本展を、椹木野衣はどう見たのか?

文=椹木野衣

千葉市美術館の目[mé]「非常にはっきりとわからない」展(2019)の展示風景 Photo by Max Pinckers

どこまでかはっ「きり」わからない

 本展については、その是非についてかなり意見が割れている。否定的な人たちの意見はおおむね、いくら凝っているとはいえ、「間違い探し」のようなたわいもない仕掛けではないかというものだ。間違い探しとは、よく似た二つの図があって、パッと見には瓜二つなのに、よく見ていくうちに細部の違いがわかってきて、そのことに一喜一憂するというもので、そういう点では、そんな見方ができることを確かにやっている。

 会場は高層ビルのうち床面にして二階分(7階と8階)を占める雑居施設で、通常ならエレベーターで向かうのだけれども、今回は1階のビルに入ってすぐのところに受付が設けられ、展示はそこから始まっている。その時点で気がつくのは、設営中というか、公開前を思わせる状態のまま始まっていることだ。この趣向はエレベーターで本会場に着いても同様で、そこまではその手の試み(ワーク・イン・プログレスとか)なのかな、で終わってしまう。しかし、いつもなら吹き抜けの階段を通じて行き来ができる別階との通路は今回ふさがれていて、別の階に行くには面倒でもいま一度エレベーターに乗るしかない。

 そんなやっかいな動線を経てもうひとつのフロアに足を踏み入れると、さっき見た階と何から何までがそっくりなのだ。展示されている作品はもちろん、作品の設営をしている作業の様子や、淡々とそれを進めるスタッフの動きまで瓜二つなのだ。そこで思い返すのは、最初にエレベーターに乗り込んだとき、どちらのフロアで降りるかについてあまりよく考えなかったことだ。だから、もしかしたらもう一度同じ階に戻ってしまったのではないかと疑うのだ(そんなことはありえないのだけれども)。言い換えれば、見に来た人にこの効果をもたらすため、目[mé]はわざわざ、展覧会の入り口を二つの階の外に設けたことになる。そのことで、いつもならどちらかに受付があるはずのこの美術館の二つのフロアは、まったく同格に位置付けられることになる。

千葉市美術館の目[mé]「非常にはっきりとわからない」展(2019)の展示風景 Photo by Max Pinckers

 そのことに気づいてしまえば、あとはもうやることは決まっている。二つの階を行ったり来たりしながら、やれどこがどこまで同じだったとか、いやさすがにあそこだけは違っていたというような、「間違い探し」を楽しむことになる。親しい者同士で行っていれば、二手に分かれて見比べてみるのも楽しいかもしれない。できることならSNSで同時に連絡を取り合いながら……と言いたいところだけれども、残念ながらそれはできない。受付で携帯電話やスマホの撮影はご遠慮ください、とあらかじめ告げられているからだ。それなら通話はもちろんショートメッセージのやり取りもできない。いや、仮にできたとしても、二手に分かれた二人が目にできる展示は時間差で刻々と変化しているので、厳密に言えば両者を比較すること自体が意味をなさない(しかも会期を通じて同様の変化が起きている)。そもそも、二つの会場をめぐる図を一挙に視野に収めることが静的にも動的にもできない以上、少し考えれば、これが「間違い探し」となるために必要な条件を最初から欠いていることに気がつくはずだ。しかし、勝手にそう思い込んで浅薄だと非難する者も出てくるかもしれない(もっとよくあなた自身の「目」で見てください、という逆批判?)。

千葉市美術館の目[mé]「非常にはっきりとわからない」展(2019)の展示風景 Photo by Max Pinckers

 ちなみにネットなどでは、この「仕掛け」が事前にわかってしまう「ネタバレ」を避けて、あるいは恐れて(ネタバレした者への世間の「目」はとても冷たいから)、わかったようなわからないような感想ばかりが並んでいた。しかし実際には美術館のホームページを見ても会場に行っても「ネタバレ」厳禁のようなことはどこにも書かれていない。だから展覧会としてネタバレを公式に禁止しているわけではないのだが、実際には写真の撮影ができないので、そのための条件は最初からかなり削られている。本展についての口コミ自体が「非常にはっきりとわからない」ものになっているのは、そのためでもある。デジタル機器の共有を通じてこれだけ情報の透明化が図られ、隠し立てができない世の中になってなお、よくもこんな性善説がまかり通るなと一瞬思うのだけれども、他方では「忖度」や「自粛」がこれだけ幅を利かす世情でもある(ネタバレで炎上したくないという心理?)。ある意味、当然なのかもしれない。

 いずれにしても、間違い探しのようで間違い探しとは根本的に違う(それこそが最大の「違い」なのかもしれない)のだから、最後までどこにも答えはない。私たちは結局、答えのない謎解きのなかに、見る者の目と記憶だけを頼りに放り込まれることになる。その結果どうなるかというと、すべてを疑うという態度だけが残るのだ。

千葉市美術館の目[mé]「非常にはっきりとわからない」展(2019)の展示風景 Photo by Max Pinckers

 私は大学のゼミでこの展覧会について取り上げ、学生たちからいろんな感想を募ったのだけれども、展示が下界へとはみ出している以上、どこまでが展示の一部かについての保証はまったくなく、千葉駅から美術館へ向かうあいだの工事現場(実際に調べたところ台風の直後で本当の工事だったようだ)まで含め、今回のために設えられているのではないかという意見があった。新宿の駅構内で珍しく目にした目[mé]のポスターは、新宿と千葉駅が総武線でつながっているから鉄道会社にわざわざ頼んで駅貼りしたもので、展示はそこまで延びているという声もあった。そこまで含めて疑い始めれば、どこまで展示が広がっているか、ひょっとして自分の住む家の近くまで(通う大学まで?)及んでいるやもしれない。

 ほかにも、二つの階で誰もがすぐに最大の違いとしてわかるのはミュージアム・ショップの有無だが、これについても、もとの場所から位置を変えていないか、お香を焚くなど品揃えそのものを今回の展示寄りに変えていないか、などと私自身疑った。あるいは、ミュージアム・ショップがないほうの階で、該当する壁に設置されていた広報用の掲示板には東山魁夷にまつわるものが多く、なかにはリニューアルオープン展を開催中の長野県信濃美術館東山魁夷館での、東山による森の池の前に立つ白い馬の絵のポスターが貼られていて、目[mé]がかつて「さいたまトリエンナーレ2016」に出した作品にそっくりだった。

さいたまトリエンナーレ2016より、目[mé]《Elemental Detection》(2016)

 もしや今回の展示では空間だけでなく、過去の時間的にも似たものが複数紛れていたのかもしれない。そう言えば、展覧会名のうち「はっきり」の「きり」は、目[mé]が別府で仕掛けたプロジェクトの「 きり 」に掛かっていたのかもしれない。考えすぎだろうか。いや、そうでなかったという保障は、会期を終えたいま、もうどこにもないのだ。

『美術手帖』2020年4月号「REVIEWS」より)