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REVIEW - 2020.2.26

教育と娯楽の融合、その先に何があったか。仲山ひふみ評 「目 非常にはっきりとわからない」展

空間そのものを変容させるサイトスペシフィックなインスタレーションなどを手がける現代アートチーム・目【mé】。昨年末に開催され、大きな話題となった美術館での初個展「目 非常にはっきりとわからない」について、批評家の仲山ひふみが考察する。

仲山ひふみ=文

展示風景より Photo by Max Pinkers

これはレビューではない ceci n’est pas un compte rendu d’exposition

 昨年末に千葉市美術館で開かれた現代アートチーム「目」による個展「非常にはっきりとわからない」について、一人の観客として素朴な感想を述べておきたい。批評ではなく感想である。

 本展は少なくとも私のようなタイプの観客にとって、居心地の悪い展示だった。その居心地の悪さは本展が現代美術にありがちな、多くの前提知識と文脈判断を要求する「わからない」展示だったからではない。むしろ本展の基本的な仕掛けはこれ以上ないほどに明快だった。具体的に言うと、本展のインスタレーションは、展示設営中であるかのようにブルーシートや養生シート、梱包材や脚立などが散らばった千葉市美術館のなかで、作品が置かれている7階と8階のエリアに関して見た目上まったく同一の、あたかもコピー&ペーストされたかのような空間が広がっているというものであった。

展示風景より Photo by Max Pinkers

 この仕掛けがもつ鮮やかさは、展示タイトル前半部の「非常にはっきりと」の部分に対応する教育的な要素だったと言える。他方でそのような教育的明晰さによって包まれている娯楽的不確定性──何が起こるかわからない遊園地のマジックハウス的な不確定性──は、盛況時には来場者が列をなすほどだったという本展の人気ぶりを説明してくれる。「「わからない」収集プロジェクト」と題された一種の観客アンケートでは「140字以内」という制限からも察せられるようにTwitter上でのマーケティング的利用があらかじめ想定されており、コミュニケーションの重視という最近の博物館における社会教育的課題が果たされると同時にゲーミフィケーション的広告戦略への参加というかたちで観客に小さな娯楽の機会が与えられもする。このように本展では教育(「非常にはっきりと」)と娯楽(「わからない」)の融合が試みられており、それは現代美術というそのルールの大部分が「わからない」ことがプレイヤーにとって標準的な状態である特殊なゲームへの入門編として、つまりはチュートリアルとして優れていたと言えるかもしれない。

展示風景より Photo by Max Pinkers

 だが、ゲームを作品として批評することはできてもチュートリアルをそのように批評することはできない以上、結局のところ目はこの「非常にはっきりとわからない」展において、各々の観客に対して批評家になる権利をソフトに禁止するような展示を作り上げたのだと言わざるをえない。私が本展に居心地の悪さを感じたのはそのせいである。実際、会期初日に展示を見に行った私が本展を展評で取り上げることを提案した際には、掲載媒体であるWeb版「美術手帖」編集部を通じて、レビューでは展示の中心的部分に関しての「具体的な展示内容の描写」を避けるか、あるいは会期終了後にレビューを公開するかたちにしてほしいという「依頼」が、「作家からの強い希望」を背景として美術館側から伝えられるという椿事が生じた。私は別の機会に美学的な視点から「ネタバレの政治学」について語ったことがあるが、まさか自分がその種の状況の当事者になるとは思ってもみなかった。エンターテインメントの世界では観客の体験が批評の自由よりも優先されることは決して珍しくない(娯楽の文脈)。また小学校の教室で教師が問題を出し生徒が答える場面において、指名されてもいない生徒が答えを言って叱られるのも珍しくない(教育の文脈)。いずれの文脈で捉えるにせよ、この出来事からは、本展における観客の役割や批評的経験の位置づけについてさまざまな考察を引き出すことができるだろう。

 しかし本当のところ目が私たち観客に期待していたのは、そういう現在の美術館と観客の関係をめぐる社会的かつ政治的に不安定な状況(それはあいちトリエンナーレ2019以降の状況でもある──「AUDIENCE」と書かれたシールを体に貼りつけ、千葉市美術館の各階で混乱と興奮の入り混じった表情で練り歩いていた観客たちの雰囲気はたしかにあの「あいトリ」を想起させるものだった)について反省を深めることだったのだろうか。そうではないだろう。

展示風景より Photo by Max Pinkers

 「非常にはっきりとわからない」展は千葉県市原市の養老川沿いにある約77万年前の地磁気逆転(松山−ブリュンヌ逆転)の痕跡を示す地層エリア(この地磁気逆転イベントを境界として定まる新たな地質年代の名称が「チバニアン」である)を、目のメンバーが実際に訪ねたところから着想された。気候変動や人新世といった最新流行のキーワードにも紐づけ可能なうまいモチーフ選択だが、本展の場合はそこにさらに「鑑賞者の動きや気づきを含む千葉市美術館の施設全体の状況をインスタレーション作品として展開」するというアイデアが付け加わる。そこから浮かび上がるのは、美術館(博物館)の人間学的時間スケールが地層のもつ地質学的時間スケールによって相対化されると同時に、美術館もまた一種の地層として捉えられるのではないかという直観だ。同じものが二つあって不思議に思うとか素直に驚くといった、本展における教育的ないし娯楽的デザインの次元をはるかに超えた芸術上の思弁的な野心が、この直観にはたしかに含まれている。「非常にはっきりとわからない」展がもつそうした野心につながる要素は、同じ位置を進んでは戻るだけの時計の秒針を球体状に組み合わせたものを天井から星のように吊るした作品や、観客に扮して7階と8階の展示空間に定期的に変更を加えては元に戻す「スケーパー」と呼ばれるパフォーマーの存在など、インスタレーションのなかにもいくつか組み込まれてはいた。だがそうした要素は「ネタバレの政治学」の前でかなり霞んでしまっていたようにも思われる。時代遅れな批評への欲望をもつ観客の一人としては、そのことが残念でならなかった。