大森俊克評「絵と、vol.3 村瀬恭子展」
「絵」をテーマとした連続企画「絵と、 」の第3弾として、「村瀬恭子展」がgallery αMで開催された。本展シリーズは、蔵屋美香(東京国立近代美術館企画課長)がキュレーターを務め、第1回は五月女哲平、第2回は藤城嘘の個展を開催。第3回目となる本展は村瀬恭子の個展であり、「洞窟」をテーマに全9点が展示された。テーマとキュレーション、そして作品との関係性について、美術評論家の大森俊克が切り込む。
沢山遼評「秋吉風人展 We meet only to part : 逢うは別れ」
7年にわたるベルリンでの生活を経て、今年より名古屋を拠点とする秋吉風人。秋吉は自身の制作において、ルールや偶発性の導入、多様な技法の混合、制作過程の可視化、物質性の強調といった手法を用いながら、絵画を絵画たらしめるものとは何かを問い続けてきた。「個人と個人」「個人と社会」がテーマの新シリーズを発表した個展「We meet only to part : 逢うは別れ」を、美術批評家の沢山遼がレビューする。
砂山太一評:田村友一郎「叫び声/Hell Scream」
京都市立芸術大学の150年におよぶ歴史を、同大学芸術資料館のコレクションからたどる「京都市立芸術大学芸術資料館収蔵品活用展」として、田村友一郎による展覧会「叫び声/Hell Scream」が開催された。土地や歴史のリサーチを通して、独自にコンテクストを見出し物語を紡ぐ作風で知られる田村が、本展でみせた手腕とは。同大学特任講師を務め、作家、研究者としても活動する砂山太一が読み解く。
ウールズィー・ジェレミー評「パープルーム大学附属ミュージアムのヘルスケア」展
梅津庸一が主宰する美術の共同体「パープルーム」が現代美術とそれに隣接する領域に携わっている人々の作品を収集し、茨城県常陸太田市の郷土資料とともに展示する展覧会「パープルーム大学附属ミュージアムのヘルスケア」が、茨城県常陸太田市郷土資料館梅津会館で開催された。この展覧会を、90年代以降の美術批評を専門とする東京藝術大学大学院生のウールズィー・ジェレミーがレビューする。
長谷川新評「時代に生き、時代を超える 板橋区立美術館コレクションの日本近代洋画1920s-1950s」展
群馬県立館林美術館で、関東大震災や金融恐慌、戦争を経験した作家に焦点を当てた展覧会「時代に生き、時代を超える 板橋区立美術館コレクションの日本近代洋画1920s-1950s」が開催されている。本展では、「池袋モンパルナス」に居を構えた麻生三郎、寺田政明、松本竣介のほか、男性偏重の美術界で貪欲に制作を続けた芥川(間所)紗織、桂ゆきなど女性作家や、群馬県出身の福沢一郎、鶴岡政男の作品を含む約130点を展示。この時代を生きた作家たちはどのような現実を抱えていたのか。この問いに対峙することを目指した本展を、インディペンデント・キュレーターの長谷川新がレビューする。
鈴木俊晴評 大塚泰子展「カラープール」
リトグラフやクレパスによるカラフルな色面を空間に構成し、展示室内をリズミカルで心地よい場所へと転換するアーティスト・大塚泰子。新作個展が名古屋の港町にある、元手芸用品店のBotão Galleryで開催された。本展ではギャラリー空間全体を使い、新作《カラープール》を発表した大塚。そのインスタレーションを読み解く手掛かりとは何かを、豊田市美術館学芸員・鈴木俊晴が読み解く。
大岩雄典評「マジック・ランタン 光と影の映像史」
プロジェクション・マッピングやパブリック・ビューイングなど、近年多様な広がりを見せる「映像」に焦点を当てた展覧会「マジック・ランタン 光と影の映像史」が、10月14日まで東京都写真美術館で開催された。映画の誕生以前に生まれた映像装置や資料、小金沢健人の作品などを通して現代の映像表現を考察するこの展覧会を、美術家の大岩雄典がレビューする。
清水知子評 ギムホンソック「EVERY, DAY, ACTS, LIKE, LIFE(=不適切)」展
90年代より映像、パフォーマンス、彫刻、絵画など多様なメディアを用いて、韓国現代美術を代表するコンセプチュアル・アーティストとして活動し、2005年の第51回ヴェネチア・ビエンナーレなど国際展にも多数参加しているアーティスト・ギムホンソック。その個展が、六本木のペロタン東京で開催されている。ユーモアを備えて美術史や近代史に言及してきた作家の日本初個展となった本展を、文化理論家の清水知子がレビューする。