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REVIEW - 2018.10.14

資料館でアートを発表したらどうなる? ウールズィー・ジェレミ―評「パープルーム大学附属ミュージアムのヘルスケア」展

梅津庸一が主宰する美術の共同体「パープルーム」が現代美術とそれに隣接する領域に携わっている人々の作品を収集し、茨城県常陸太田市の郷土資料とともに展示する展覧会「パープルーム大学附属ミュージアムのヘルスケア」が、茨城県常陸太田市郷土資料館梅津会館で開催された。この展覧会を、90年代以降の美術批評を専門とする東京藝術大学大学院生のウールズィー・ジェレミ―が読み解く。

文=ウールズィー・ジェレミ―

会場風景

会場風景

歴史を生むノイズ

 日本の近代とはいったいなんだったのか。2014年に結成されたコレクティブであるパープルームを中心とした「パープルーム大学付属ミュージアムのヘルスケア」展を見ていると、この問いについて考えざるを得ない。なぜならば、この展示は近代化の象徴のひとつとしての資料館、すなわちリニアな時間軸に従って物が総合的に集められ、ガラスケースの中に「歴史」として体系化される場所で行われているがゆえに、「美術」とその揺り籠となる博物館や博覧会の関係への新しい視点を提示しているからだ。また後述するように、この展覧会の試みは90年代に興隆した「制度論」の再読としてもとらえることができる。

 今回の展示は茨城県の常陸太田市郷土資料館で行われており、最寄の駅から歩いて15分ほどでたどり着けた。資料館の歴史に関して言えば、元々1936年に太田町役場として、梅津福次郎という起業家の資金によって建てられたが、78年からは郷土資料館として活用され始めたという。

会場となった常陸太田市郷土資料館梅津会館

 展覧会は1階部分と2階部分に分かれており、1階は「資料館」を体現する文化財を含むガラスケースと、美術の混淆であるのに対して、2階は現代美術家たちの作品のみで構成されていた。ここでは、とくに1階の展示空間について集中的に分析してみたい。

 堅牢な建築とは対照的に、内部の展覧会は騒がしく感じられるものだった。会場では繰り返しマンガ家・西島大介の「ここで逢えたら〜常陸太田市郷土資料館館歌〜」というテーマソングが流れているし、資料館の文化財を含むガラスケース上には様々な油絵やキャラクターイメージや彫刻などが暴力的にに散らばっている。外での静寂はたちまち崩れ、代わりに鑑賞者は知覚を全面的に攪乱させるノイズに攻められることになる。したがって、鑑賞者は落ち着いて鑑賞することができなくなってしまうのだ。ただ、ノイズに包まれるしかない。

梅津福次郎の胸像とともに並ぶのは小林椋のオブジェ《蚊帳をうめる(麓)》、《ガワと身のキウイ》ユアサエボシの絵画《占星術師》、《自殺未遂》

 では、このノイズが何を意味するのか、そしてどのような効果を生み出しているのか。このことを理解するために、北澤憲昭の『眼の神殿』(美術出版社)を補助線としてみよう(*1)。

 北澤によると、いわゆる近代的な造形のヒエラルキー(美術>工芸>工業)は、明治時代を経て博物館や国内勧業博覧会によって日本に定着したが、この啓蒙的な制度は視覚中心主義、つまりガラスケースという装置のもとで成立している。この制度以前、それぞれの造形は未分化な状態にあったことは言うまでもない。この点から考えると、今回の展示の構造が見えやすいだろう。彼らの展示は、ノイズをつくり出すことによって逆説的にも美術の制度をめぐる歴史的なプロセスを可視化しているのである。

展示風景

 これに関しては、パープルームの主宰者・梅津庸一は次のように述べている。「常陸太田市の郷土資料館『梅津会館』にも縄文時代のものっぽいレプリカから江戸時代の住居の模型、現代の常陸太田市の変遷みたいなものまで、政治と科学と地質学、芸術が渾然一体となって、しかも整理されないまま置いてある。これこそ、不完全かつプリミティブなミュージアムの姿だと思いました」。

 ここで「美術」と「美術じゃないもの」は共存しているが、あくまでも資料館におけるガラスケースの存在自体は近代的な分類を担っていることも見過ごしてはならない。「大地の魔術師展」(*2)に代表されるような、すべてのものを等価でフラットに扱おうとするポストモダン的な展示とは一線を画していることを強調したい。現代美術というきわめて脆く定義しづらいものたちは、この町に根ざしガラスケースによって保護されている「歴史」の上に浮遊しているだけだ、という印象を強く与えている。

ガラスケースの上に並ぶ作品はリスカちゃん《性格の見分け方:眠り込む知らない白兎の鮮度》など

 この展示は、近代を否定しているどころか、近代という安定したベース、つまり分類学の上に新しい展示の仕方を探すしかないという意識に基づいていると言えるだろう。ここで思い出したいのは『眼の神殿』を書くにあたって、北澤憲昭は美術を否定しようとしていたわけではなく、ただ、80年代のいわゆるニュー・ペインティングをはじめとする「美術回帰」を批判するために、美術を支える「さまざまな意匠の交替劇が展開する舞台仕掛け」自体を暴きたかっただけだという点である。北澤の問題意識をある意味では具体化しながら、パープルームはいま盛んになっている「地域アート」や、芸術祭に垣間見える芸術に救済を求める傾向への異議申し立てをしているように思われる。この展覧会が生み出しているノイズが、「アート」の特権的立場を揺るがしていくに違いない。しかも、この揺れはたんなるアイロニカルな態度に留まるのではなく、ある種の希望を感じさせるものとなっている。絶え間なく続くノイズ、言い換えれば雑居性において、20人以上の美術家、およびつくり手たちは近代との新しい関係性を結びなおそうとしているからだ。

展示風景

*1——よく知られているように北澤は、木下直之と佐藤道信とともに、近代美術批評においていわゆる「制度論」を導入した批評家かつ美術史家の重要人物である。彼らの制度論は要約すると、日本において美術が「物産会」や「開帳」や「見世物」などの前近代的なかたちや博覧会を経て、どのように博物館および美術館へと至ったのかというプロセスを細かく論じようとする試みである。
*2——1989年にポンピドゥー・センターで開催されたJ=H・マルタンによる企画展。世界中から100人の同時代作家を選定し、民俗資料と作品とを展示した。