非構造化データとしての芸術資源と叫び
社会的営みのなかで、現代に生きるわたしたちが生産する様々な情報は、生活の隅々にわたって利活用されている。データベースとしての構造化が進むと同時に、あらかじめ定義することができない情報の取り扱いが議論されるようになる。文章、画像、音声、動画などにおいて多義的な意味をはらむ情報は、非構造化データと呼ばれ、そのデータの管理構造をつくり出すことが難しい。
芸術領野において、作品を資料とみなし、資源としての利活用を画策したとき、まさにこの困難に直面する。昨今のデジタル・アーカイヴ指向は、非構造化データとしての芸術資源にも、情報科学的な手法による解釈と分析を要請しているが、その非構造性を抱えたままの、データ構造構築への活路はいまだ見出されていない。
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで開催された田村友一郎「叫び声/Hell Scream」。田村は、芸術や地域における極めて定義困難な既存資源を取り扱いながら、構造性と創造性の同時代的な裂け目で、仕事を続ける美術家のひとりである。
150年前、江戸が東京と改称されたその頃、京都では奠都(てんと)にともなう文化基盤喪失の危機が叫ばれた。京都画壇の画家たちは、そのような状況に対して、近代に見合った芸術教育構築による新たな芸術文化の創出を目指し、京都府画学校(現・京都市立芸術大学、以下京都芸大)の設立に奔走する。「叫び声/Hell Scream」は、そのときの中心人物、田能村直入に焦点を当て、京都芸大が収蔵する資料体を媒介に、芸術資源として利活用すべく、田村が「演出」を試みた企画展である。
展覧会は、まず、ギャラリーエントランスに設置された映像作品《龍虎》から始まる。阪神タイガースと中日ドラゴンズの試合中継映像を編集した本作では、90年代に活躍したタイガース投手・田村勤が執拗にズームアップされる。そして、展覧会のメインスペースとなる展示室正面には、京都の町家を思わせるファサードが再現され、ガラス張りの見世棚に、京都府画学校創設のために、田能村直入らが当時の京都府知事に宛てた開学建議書と建築案図の巻子が陳列されている。
この時点で、田村友一郎、田村勤、田能村直入という言葉遊びが立ち上がり、田能村の足跡をたどるというステートメントの裏に張りつく、収蔵品演出のリンク構造が始まることに気づく。そして、民家入り口の梁には、田能村、田村、富岡、新平などの標札が並び、登場人物たちの名が宣言される。
標札の下をくぐり、通り庭のような空間を抜けると、冷蔵ショーケースの淡い光に目を奪われる。なかには、竹を模したデザインのペットボトル「お〜いお茶」が並ぶ。展示室中央には、鉄製の檻で囲われた茶室が配置され、田能村が所有していた茶会の道具、そして和菓子店とらやの生菓子(模型)などが無造作に置かれている。檻の外には、虎をモチーフとした軸(*1)が、檻の開口部から茶室を覗くように掛けられている。中国語のナレーションが響き、冷蔵ショーケースの対面にある田能村直入旧蔵資料の軸(*2)の足元に、日本語の字幕が表示されている。冷蔵庫の横にあるベンチに腰掛け、対面する軸に目をやる。監視員から、お茶を飲みながら鑑賞することを促される。紙コップには、茶室にある湯呑みの図柄が印刷されている。
ナレーションは、大江健三郎『叫び声』の書き出し(*3)から始まり、展示物に注釈を与えていく。田能村直入が小虎を通称としたこと。田能村が九州から大阪に来た当時、都が京都から東京に遷ったこと。京都御所の側に店を構えていたが、奠都にともない東京に移った和菓子店とらや。大阪から京都に来て画学校設立に紛糾した小さな虎による芸術教育の理念。同時期に東京で興った岡倉天心ら龍池会による南画排斥。田能村と同じく南画復興に尽力した富岡鉄斎が、ある月夜の林で出くわした虎の叫び。静岡出身でお茶に目がなく、自前の急須を持ち歩いたタイガース田村勤が投球時に発する雄叫び。そして煎茶を広めた田能村直入。
このように、「虎」「茶」を基幹に収蔵品が語られ、結びついた「龍」「叫び」「田村」が、東京奠都、京都画学校と東京美術学校の関係、近代化における日本の美術動向のなかで奔走した美術家たちの姿を浮かび上がらせる。それと同時に、記憶のように呼び覚まされるあの入り口の、タイガースとドラゴンズがその意味範囲をぼやけさせ、展示構造の対象と主体に選択の余地を与えていく。
かくして、収蔵品たちは、文脈や背景でつながりながらも、異なる意味空間を与えられ、新たな叫びを上げ始める。鑑賞者は、展覧会を通過する身体を介して、非構造的なモノローグを拾い集め、ただの駄洒落なのかと引き裂かれながらも、語り口の審美性、構造的な側面へと意識を傾けていく。
展覧会は、さらに2階に続く。階段には、脱ぎ捨てられた浅沓(*4)が転がっており、階段の壁面に六道の文字が入った標識(*5)が掛かっている。六道と浅沓は冥府を行き来したと伝えられる平安時代の官僚小野篁(おののたかむら)を提起する。さらに別の「たむら」を召喚することで、地獄への扉がひらかれている。そして、2階には、《地獄変》(*6)と題された画が展示されている。
ところで、1階通り庭突き当りには、聖母マリアのレリーフが掛けられている(*7)。開催されたお茶会(*8)において、このレリーフに関連して、「アヴェ・マリア」がオペラによって歌われた。歌唱したカウンターテナーの村松稔之は、アイアン・メイデンのTシャツを着ていた。聖母マリアと鉄の処女、地獄、Tシャツの叫びが、脈絡なく結び付けられていることは、確かである。
田村は、複数の文脈と提示の方法とが、引証しあって間接的な意味を生み出す仕組みを構築する。この乱反射的な仕組みにおいて、言葉と物は同時に訪れることはなく、どちらも、どちらからも、いつも遅れてやってくる。その遅延は、収蔵品が持つ文脈と形態の静止状態に動きを与え、構造化も非構造化も逃れ、循環をつくり出し、価値の帰着を永遠に先送りし、「君は誰だ?」(*9)と叫び続ける。
*1――西山翠嶂《虎(竹内栖鳳の模写)》(1908)、西山翠嶂《虎(岸竹堂の模写)》(1908)
*2――王燾《米法山水図》(1877)
*3――「ひとつの恐怖の時代を生きたフランスの哲学者の回想によれば、人間皆が遅すぎる救助を待ちこがれている恐怖の時代においては、誰かひとり遥かな救いをもとめて叫び声をあげる時、それを聞くものはみな、その叫びが自分自身の声でなかったかと、わが耳を疑うということだ」。(大江健三郎『叫び声』より)
*4――平安時代の貴族や官人が装束を付けたときにはく靴。
*5――階段下に「押油小路町六道の辻上ル」、階段上に「押油小路町六道の辻下ル」(@KCUAの所在地)の標識。
*6――新平誠珠(絵仏師良秀)《地獄変》(2018)。田能村直入と富岡鉄斎が溶け合う。田村友一郎が、京都芸大出身の新平誠珠に依頼して制作された。
*7――作者不詳《レリーフ》(制作年不詳)。京都府画学校時代のものとされる。田能村と直接の関係はない。
*8――京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAにて2018年8月18日に開催された「拡張された場におけるアートマネジメント人材育成事業『状況のアーキテクチャー』2018」テーマ1《物質》「モノの演出」×「リサーチ」、第2回嘯く茶会、席主:田村友一郎、出演:森野彰人(陶磁器作家/京都市立芸術大学美術学部准教授)、村松稔之(カウンターテナー)。
*9――本展ナレーション音声より引用。「家がある。それは君の家だ。その家にいる人物、それが君だ。君の周りには何がある? 君は何処にいる? 君は誰だ?」。