第4章 生活の美の理想郷を求めて
第4章「生活の美の理想郷を求めて」では、1934年に50歳を目前にして没した夢二の、晩年10年間の営みに光を当てる。展示は、1923年の関東大震災直後に、被災した東京の街を歩き回って捉えたスケッチ群から始まる。情緒的な女性像や華やかなデザインで知られる夢二だが、これらの作品群からはジャーナリストとしての一面もうかがえる。


震災以降、夢二は「生活と結びついた芸術」の追求をより一層深めていく。その具体例が、自宅兼アトリエ「少年山荘」での創作人形への取り組みや、群馬県榛名山麓における「榛名山美術研究所」の構想である。この構想は、大量生産される粗悪品に対抗し、身の回りの日用品を制作・流通させることで、生活と美術が調和したコミュニティの形成を目指すものであった。外遊による延期や体調悪化により実現には至らなかったものの、会場では春の女神を描いた《榛名山賦》(1931)と秋の女神を描いた《立田姫》(1931)という作品が、14年ぶりに揃って展示されている。これらの作品からは、夢二が抱いた理想郷への強い思いが伝わってくる。
第5章 着物と洋服のモダンガール
第5章「着物と洋服のモダンガール」では、大正末期から昭和初期にかけて都市空間に登場した、新しいファッションに身を包んだ「モダンガール」を描いた作品が紹介されている。かつて「夢二式」で大流行を巻き起こした夢二は、時代の変化とともに新たな女性像を描き出していった。当時の流行の発信源であった雑誌『婦人グラフ』や『若草』の表紙・挿絵からは、時代の最先端を見つめ続けた姿がうかがえる。


本展の最後を飾るのが、異なる季節や装いの女性像を六曲屛風に貼り合わせた《四季の女》(1929)だ。舞妓からスキーに励むモダンな女性までを描いた本作からは、夢二が手がけた女性像の多様な展開を見ることができる。これまでほとんど公開されることのなかった本作も、本展における見どころのひとつだ。
専門的な美術教育を受けず、官展や公募展とも距離を置いた竹久夢二。しかし夢二は、多岐にわたる分野で創作を展開し、明治・大正・昭和の時代を通して人々の生活に寄り添い続けた。本展は「近代美術」という既存の枠組みにとらわれない、表現者としての夢二の全体像をたどる機会となっている。



















