池内ヨシカツ展「Liminal」が京都市京セラ美術館で開催。視覚と聴覚のあわいに立ち現れる「境界」の体験

作曲家・美術家として活動する池内ヨシカツによる個展「Liminal - 池内ヨシカツ展」が、京都市京セラ美術館 本館「光の広間」で開催されている。会期は10月25日まで。映画音楽をはじめ多岐にわたる作曲を手掛け、坂本龍一(1952〜2023)の手がけた映画『怒り』の劇中曲なども担当してきた池内。本展では、絵画や立体作品に加え、素数の周期を用いたサウンドインスタレーションが展開され、自然光の大空間のなかで視覚と聴覚のあわいに生じる知覚の変容を体感させる。作家へのインタビューを交え、注目の会場を紐解く。

聞き手・文=大原愛美(編集部)

「Liminal – 池内ヨシカツ展」会場風景より © Yoshikatsu Ikeuchi

 京都市京セラ美術館の本館1階に位置する大空間「光の広間」にて、作曲家・美術家の池内ヨシカツによる個展「Liminal - 池内ヨシカツ展」が開催されている。会期は10月25日まで。

 池内はこれまで坂本龍一(1952〜2023)が音楽を担当した映画『怒り』の劇中曲や文化庁移転記念楽曲の作曲などを手がけ、香港、ソウル、バンコクなどアジア各地で美術家としても精力的に作品を発表してきた。

 本展では、23点の油彩画をはじめ、ドローイング、立体作品、そして会場の音響特性を生かしたサウンドインスタレーションが一堂に展示されている。天井から自然光が降り注ぐ開放的な空間のなかで、視覚と聴覚という異なる領域のあわいに立ち現れる「隔たり」をテーマに、鑑賞者自身の知覚が絶え間なく組み替えられていく動的な体験が創出されている。

具象という入り口と解釈の揺らぎ

 展示会場の壁面に並ぶのは、淡く柔らかな色彩で描かれた子どもや少年の肖像群だ。

《A TRACE OF SEEING》(2026)

 《A TRACE OF SEEING》(2026)では、白いTシャツを着た少年の大きな瞳がこちらを見つめ返すいっぽうで、その身体の右側は矩形の単位で分断され、背景の淡い青色の中へと溶け込むように散らばっている。

《UNBECOMING SELF》(2026)

 また、青い服を着た少女が水辺の白い生き物にそっと手を添える《UNBECOMING SELF》(2026)や、画面いっぱいに描かれた顔の大きな瞳が光を湛える《ELUSIVE》(2026)においても、一見すると無垢で親しみやすいモチーフでありながら、輪郭の不整合や歪み、あるいは感情を特定できない眼差しが鑑賞者の認知を揺さぶる。

 なぜ具象的な人物像をモチーフの中心に据えるのか。池内は「『わかった』という感覚を揺らすための入り口」だと話す。

「パッと見て『可愛い子ども』と認識しやすいかたちがあることで、見ていくうちに『あれ、ここは何か違和感がある、違うかもしれない』と気づくことができる。かたちがあったほうが認識しやすく、そのぶんずれも立ち現れやすいんです」

 言葉で「子ども」や「悲しみ」と名づけた瞬間に理解できるものがあるいっぽうで、そこからこぼれ落ちてしまう気配や眼差しが存在する。画面全体が近い色調で溶け合う《PASSING》(2026)や、青紫色の生き物を胸に抱く《SURFACE MEMORY》(2026)、透明なシャボン玉の膜が少年の頭部を覆う《REMNANT OF LIGHT》(2026)にも、かたちが失われていく過程と新しいかたちが立ち現れる過程の共存が刻まれている。

《SURFACE MEMORY》(2026)

 画面全体が近い色調で溶け合う《PASSING》(2026)や、青紫色の生き物を胸に抱く《SURFACE MEMORY》(2026)、透明なシャボン玉の膜が少年の頭部を覆う《REMNANT OF LIGHT》(2026)にも、かたちが失われていく過程と新しいかたちが立ち現れる過程の共存が刻まれている。

「何か異なる表現に置き換えるとき、必ず生まれるものと失われるものがある。言葉によって伝わるものと、その外側に残されたもの。その変わるときの隔たりや、淡い境界のようなものに関心があるんです」

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