「日常という名の『混沌』」
本展は「日常という名の『混沌』」と「混沌という名の『日常』」と名づけられた、2つのセクションで構成されている。まずは前者のセクションから見ていきたい。このセクションの展示室は、喫茶店、ハンバーガーショップ、コンビニエンスストア、居酒屋といった店舗のイラストをあしらったプリント壁紙によって覆われており、そこに平面や立体の作品が展示されている。


Mr.はそのキャリアの初期から、アニメやマンガの美少女キャラクターをモチーフとした作品を制作し、所属するカイカイキキの代表・村上隆(1962〜)が提唱した、マンガとアニメーションを起点とする現代文化と日本美術史を接続する概念「スーパーフラット」の系譜に連なる作家として紹介されてきた。本セクションもまた、こうしたキャラクターをモチーフとした新作が並んでいるが、とくに平面作品において、過去作と比べてその絵柄が変化していることがわかる。アクリル絵具とシルクスクリーンを使って描くという手法は変わらないが、かつて円に近かった顔の輪郭はより凹凸を感じさせる大人びたものになり、瞳の中には星やハートの記号が複雑に組み込まれている。また、女性キャラクターのみならず男性キャラクターの存在感も増していることも特筆すべき点だろう。現実のアニメやマンガの絵柄の流行は絶えず変化していくが、こうした変化に呼応するように、Mr.もまた絵柄を変化させているといえる。
いっぽうで展覧会をキュレーションした工藤は、Mr. のこうしたアニメやマンガのトレンドに対する姿勢について、次のように指摘する。「Mr.はたしかに『オタク』的なモチーフを扱ってはいますが、自分が『オタク』であるというアイデンティティを作品に積極的に表面化するタイプのアーティストではないと考えています。トレンドの変化を冷静にとらえ、自身の作品に取り入れてきたアーティストではないでしょうか」。


本セクションで展示されている作品は、同じようなキャラクターをモチーフとしながらも、その表現は多岐にわたる。《コンビニカルチャーハッピーデイズ》《ときめきラブソング》《ミックスサンドメロディーやで》(いずれも2026)といった雑多な要素が混在する漫画雑誌の表紙を思わせる作品や、アニメ調の髪のハイライトの塗り分けと、撮影処理で表現したような背景のボケを表現した《買ってきましたよーお金返して一》(2026)など、現代の表象文化を貪欲に作品に取り入れている。


また、《さくら一春の日差しを浴びてー》(2026)をはじめとしたゲームのアバターを思わせる証明写真のようなキャラクターの肖像画の作品群、《こんな気持ちどうしたらいいの?》(2026)のようなキャラクターとストリート・アートのグラフィティ風の背景とを組み合わせた質感豊かな作品などからも、表現の幅の広さを感じられるだろう。

さらに、本展では木炭デッサンの《自画像デッサン─私の空間─》(1990)や、油彩画《人物像─これ描いたのは1浪のときだったと思う─》(1989)など、Mr.が美術予備校時代に描いた作品も並ぶ。本展は回顧展ではないながらも、公立美術館初個展を機に作家自身の出自やアイデンティティと、現在の作品とを結びつけようという意図も感じられる。
このセクションでもっとも目を引く作品が、展覧会のメインビジュアルにも使われている、幅2.5メートルを超える大作《何気ない時間一君といた街角一》(2026)だろう。コンビニエンスストアの前に集まり、店の内外で会話や飲食、買い物を楽しむ男女のキャラクターたちが描かれた本作は、このモチーフ自体が本セクションのテーマ「日常という名の『混沌』」にも呼応したものだ。

数多の商品が集まるコンビニエンスストアと、それを消費するキャラクターたちは、我々の生活と娯楽が大量消費によって成り立っていることを象徴的に物語る。いっぽうで、こうした消費に対するポジティブなイメージは、近年、想像しづらいのも事実だろう。格差の拡大、環境問題の深刻化、日本の国際競争力の低下、不安定な国際情勢などにさらされるなか、このような消費行動ができる日常がこれまでどおり維持されるのか、という問いは誰しもが持つはずだ。キャラクターという仮想の存在がモチーフになっている本作からは、あたり前に思えていた日常が、じつは非現実的で特別なことであったのではないか、という問いが生まれてくる。加えて本作には、イラストレーター・鈴木英人に代表されるような、80年代のポスターやレコードジャケットのイラストに頻出するリボン状のラインや、カラフルな光の玉も確認できる。こうした要素がノスタルジーを喚起させることも、前述した印象をより強調しているのではないだろうか。



















