米山舞インタビュー。アニメーターであり続けるからこそ見える新しい時代の表現

アニメーター、イラストレーター、映像ディレクター、アーティストと多岐にわたる活躍をみせる米山舞。その新作個展「YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”」(銀座 蔦屋書店 GINZA ATRIUM、12月6日〜28日)に際し、その創作について話を聞いた。

聞き手・文=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長) 撮影=手塚なつめ

スタジオにて、米山舞

 アニメーター、イラストレーター、映像ディレクター、アーティストと多岐にわたる活躍をみせる米山舞。その新作個展「YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”」が、銀座 蔦屋書店の店内イベントスペース「GINZA ATRIUM」で開幕した。会期は12月28日まで。この新作個展に際し、米山にその創作の原点や、個展で問いかけようとしていること、日本のアニメーション文化を継承していくことの意義などについて話を聞いた。

原点としてのアニメーション

──2010年代の後半より、本格的にアーティストとしての活動をされてきた米山さんですが、その活動の原点には過酷なスケジュールのなかで動画や原画を描き、キャラクターの動きをつくり出すテレビアニメのアニメーターとしての仕事があると思います。まずはご自身がアニメーターを目指すきっかけとなった作品や、受けた影響について、教えていただけますか。

米山舞 中学生の頃はイラストレーターを志望していましたが、高校生の頃に手にしたイラストレーション集『edge collection&paintings』(2004、ティー・オーエンタテインメント)を見たことが、アニメーターに興味を持つ大きなきっかけとなりました。もともと好きだったokamaさんや田島昭宇さんの作品を目当てに手にしたのですが、そこに参加されていた森本晃司さん、小池健さん、吉田健一さん、鶴巻和哉さん、今石洋之さん、吉成曜さん、すしおさんといったアニメーターの方々の絵のレベルの高さに驚愕したんです。そこからは『AKIRA』(1988)のような劇場アニメーションをはじめ、片っ端から名作と言われる劇場アニメやOVAを借りて見漁りました。

 当時、とくに衝撃を受けたのは押井守監督の『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993)や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995)といった、レイアウトがしっかりと決まった作品で、黄瀬和哉さんや大平晋也さん、沖浦啓之さんといったアニメーターのつくる硬質な身体描写のアニメーションに強く惹かれました。それからは精緻なデッサンにもとづいた身体描写を極めていくということの重要性は当時から強く意識しています。

 その後、ガイナックスにアニメーターとして入社し『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』(2010)で初原画を手がけ、トリガーに移ったあとの『キルラキル -KILL la KILL-』(2013-14)でも多くの仕事をしました。そのためか、デフォルメされた動きやキャラクターが得意なのだろう、という印象が強いかもしれませんが、私の根源には人体の骨格の動きにもとづく動きや重心の移動といったリアリティを追求したアニメーションがあります。独自のデフォルメのイメージが強い、トリガーの中核を担う今石さんや吉成さん、すしおさんたちによる「デフォルメの妙」に関しても、その基礎には素晴らしく高度なデッサンの技術があります。現在はアニメーションのみならず、多くのイラストレーションを手がけていますが、1枚の絵としての強度を持ち得る造形やデッサンの精緻さというのは、アニメーターになった当時から強く意識していた部分です。

スタジオにて、米山舞

アニメーターとして、アーティストとして

──20代前半からアニメの世界では原画や作画監督などで目覚ましい活躍をしていた米山さんですが、『キズナイーバー』(2016)ではキャラクターデザイン、『ダーリン・イン・ザ・フランキス』(2018)のエンディングでは演出と作画監督を手がけるなど、次第にテレビアニメの仕事でもご自身の作風を確立させていったように記憶しています。

米山 『キズナイーバー』でキャラクターデザインを担当できたことはとても大きな経験でしたし、さらにこの時期はレーシングミク(フィギュア・玩具メーカーのグッドスマイルカンパニーがスポンサードするレーシングチームのイメージをまとった初音ミク)のキャラクターデザインの依頼もいただけました。個人のイラストレーターとして初めてまとまった資金を得られて、これを機に個人での創作活動を始めようと決意したんです。「仕事を直接米山に頼むことができる」という認識が広がることにもつながり、大きな足がかりとなりました。

 『ダーリン・イン・ザ・フランキス』のエンディング映像の制作も、自分の進む方向を決めるうえでの転機でした。当時はまだ「イラストレーションをやるならアニメをやめるべき」「アニメをやるならイラストレーションは副業」というような、表現の領域を縛る通念に囚われていたのですが、あのエンディングで自ら絵を描き、色を塗り、デザインし、原画まで描くという一連の流れを経験したことで、自分の色を出しながらアニメーションとイラストレーションを両輪として行き来できるという実感を持つことができました。縛りから自分を解放できたように思えます。

──そして米山さんはイラストレーター/アーティストとして2019年より作品を発表するようになりました。当初はメディアとしてデジタルプリントを中心に据えていましたが、近年はキャンバスにアクリルなどの画材で描く肉筆作品にも意欲的に取り組んでいます。こうした新たな挑戦にはどのような意図があったのでしょうか。

米山 デジタルイラストをUVプリントで出力するという表現にはとてもこだわりがあります。もともとは、散逸していってしまう価値あるセル画への私の思いを表現すべく、透明素材やアクリルに作品を印刷しようとしていたときに出会った技法ですが、やがてこのUVプリントというメディアの表現力や幅広さ、デジタルイラストとの相性の良さに魅了されていきました。UVプリントの作品づくりでは、自分のイラストの持つコンセプトや質感を可能な限り具現化するために、版の作成や印刷のディレクションなどの細かな調整を行っています。でも、こうしたUVプリントによる作品の発表が一般化し、こだわりを持った表現ではなく、たんなる安価な手段として形骸化してきている状況も感じていました。

 そこで、手法を新しく開発するという観点からアナログ表現に挑戦することにしたんです。昨年の展示から本格的に肉筆の割合を増やし、とくに今年の5月に開催されたイラストレーター・寺田克也さんとのライブペインティングでは生の筆致の持つ力を改めて強く認識しました。

 ですが、完全にアナログに回帰したわけではなく、作品のシリーズやテーマに応じて、デジタルとアナログの分量を意図的に変えています。例えば「デジタル90パーセント、アナログ10パーセント」や「デジタル50パーセント、アナログ50パーセント」といった配分を実験的に行いながら、作品を制作しており、どちらもまだ様々な可能性があるメディアだと思っています。

──米山さんのアナログ表現で興味深いのは、アニメーション特有の質感を出すペインティングを追求されている点です。肉筆の技術はどのように体得されたのでしょう。

米山 高校時代は美術部だったので油彩画をやっていましたが、その程度の経験しかありませんでしたので、自分のアニメを描くときのスタイルを、アナログでどう再現できるかを色々と試してきました。今回の個展の出展作品でも試みています。セル画的な質感や、デジタルで慣れ親しんだ色彩を肉筆で実現するため、ベースとなるキャンバスの凹凸に鉛筆の線が持っていかれないように、ジェッソを数回塗り重ねて平滑に磨いています。UVプリントの樹脂に近い平滑な壁を塗料によってつくりながら、デジタルとアナログの中間的な質感を求めて制作しました。

スタジオにて、米山舞のスケッチ

表現の未来を見据えて

──そして今回の、満を持しての新作個展となる「YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”」ですが、展示のテーマや、出展作品の設定などについて教えてください。

米山 今回の個展は一貫して「時間」を表現しています。例えば作品の図案は、アニメーションで培った視線誘導の技術を応用し、鑑賞者に右から左の作品へと視線の道筋を誘導するように設計しています。静止した平面作品と対峙したときでも、鑑賞者の視線が感情とともに動くことで、そこに時間を生むことができるのではないかと考えました。

「YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”」メインビジュアル

 また「連続性」も個展のテーマです。アニメーションという「流れ」と、イラストレーションという「集積」の関係性を問いたいと思いました。映像で見る一瞬を、一枚の絵として立ち止まって見つめ直せるのではないかという試みです。今回の展示には、同じ図案でも「基準となっている時間が違う」作品や、「未来と過去」をテーマにしたセットの作品などがあります。アニメーターという出自を持つ私が、この「時間の連続性」や「流れ」をテーマにすることで、自身のアイデンティティを確立し、「時間を取り扱っている作家」として認識してもらいたいという意図もあります。

 さらに会場では、外壁で展開されるアニメーションの1コマ1コマを辿った先に、そのアニメーションとモチーフを同じくする3メートルほどの彫刻が会場の中心に現れます。これは原型師のpeipeiさんの協力のもと、自分の世界観の断片を立体化することで、新たな発見が生まれるのではないかと試みた結果生まれた作品です。さらにこの彫刻は、アニメーション作品からの「連続性」を持たせており、彫刻の周囲を飛び交う原画はその象徴となっています。

 これまで、自主制作した映像を作品として展示・販売することはしてこなかったのですが、アニメーションが私の出自であることを明確にし、その表現をアートの文脈で価値付けしようというこの試みの意図を汲んでいただければうれしいです。

 本展では、作品の技術的なコンセプトだけでなく、自分が思っていることや、本音では蓋をしてしまいたくなるような感情を、言葉でなく自身の「成長曲線」で表現したいと考えました。代謝し、新しい自分へと変身していく私の成長の過程を見ていただけたらと思っています。

スタジオにて、米山舞の作品データ

──米山さんはアーティストとしての評価を確立した後も、アニメーションという出自をつねに大切にし、いまもアニメーターとしてテレビアニメシリーズに参加されています。今年放送された渡辺信一郎監督の「LAZARUS ラザロ」のエンディングは米山さんの一人原画でしたが、横たわる登場人物たちの姿を、背景を動かしながらとらえていく迫力ある映像で強いインパクトがありました。高度な仕事をアニメーターとアーティストの両輪で実現していくモチベーションには、日本のアニメーション文化におけるある種の使命感のようなものが関係しているのでしょうか。

米山 その思いは強く関係しているでしょうね。私自身、商業アニメーションが大好きで、アートとアニメーションを分けて考えていません。日本のアニメーション、とくにリミテッド・アニメーションの持つ技術や文化は、個人として守り続けたい大切なものです。

 現在、日本のアニメーションは海外で熱狂的に愛されていますが、当の日本国内では「あってあたり前」すぎて、身近であるがゆえに評価を得づらい部分があると感じています。アニメーター出身の私が、イラストとファインアートの世界とを行き来することで、その壁を壊すことができたらいいですね。アニメーションの制作の裏側にある演出意図や技術の凄みを、美術展の解説を読むように、皆がひも解き、熱狂するようになってほしいと願っています。

──最後に、米山さんが今後挑戦してみたいと考えていることについて教えて下さい。

 将来的には、アニメーターやイラストレーターという枠に括られず、アーティストとして、自分でバランスを定めながら熟成していきたいと思っています。そのためにも、ライブペイントやメディアアートへの挑戦、イラストレーションのフェスのオーガナイズ、長尺の自主制作アニメーションへの挑戦など、やりたいことはたくさんあります。私の作品が次世代の表現の幅を広げていくきっかけになれば嬉しいです。

スタジオにて、制作中の米山舞の新作

編集部