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モネが愛したジヴェルニーの庭を再現。本家モネの庭が世界で唯一公認する高知県北川村「モネの庭」マルモッタンの庭づくりとは

モネが愛したフランス・ジヴェルニーの庭を再現した、高知県北川村にある「モネの庭」マルモッタン。本家モネの庭が世界で唯一「モネの庭」の名称を公認する本施設を、モネの作品に登場する睡蓮の様子とともにレポートする。

文・撮影=大橋ひな子(ウェブ版「美術手帖」編集部)

「水の庭」の様子

 印象派の巨匠であるクロード・モネ(1840〜1926)は、列車の窓から見た景色の美しさに感動し、43歳でフランス・ジヴェルニーに移り住んだ。「絵を描いていなければガーデナーになってた」というモネは、ジヴェルニーでつくりあげた自身の理想の庭をこよなく愛し、代表作である「睡蓮」シリーズをはじめとした数々の名作を、その庭で生み出してきた。

 そんなモネが愛した庭を再現した「モネの庭」が、高知県の東側に位置する北川村にある。じつは本家モネの庭がジヴェルニー以外で唯一「モネの庭」の名称を用いることを公認した施設である。

 本施設は、本家モネの庭の庭園管理責任者であったジルベール・ヴァエのアドバイスのもと実現したものとなるが、なぜ日本の高知県北川村に「モネの庭」をつくることになったのか。その経緯が大変興味深い。北川村では、1990年代に村のさらなる発展のために、北川村の特産である柚子を使ったワイナリー事業の誘致を検討していた。しかしその構想はうまく進まず、観光と文化の拠点作りとしてフラワーガーデン造作構想が持ち上がり、それが転じてモネの庭を再現するアイディアが生まれた。

 しかしモネとかかわりのない北川村は、1996年当初、何の伝手もない状態で担当者を現地に派遣。本家モネの庭責任者であるジルベール・ヴァエを訪問するが、当初は会うことも叶わなかった。

 しかしその後もチャレンジを続け、翌年当時のクロードモネ財団理事長ヴァン・デル・ケンプより、「小さな村の頑張りに協力しましょう」と合意をもらい、本プロジェクトが始動した。北川村に視察に来たジルベール・ヴァエのアドバイスをもとに造園を行い、ついに2000年に本施設が開園。北川村の熱い思いがクロードモネ財団の心を動かし、モネが愛した庭を再現した貴重な施設となっている。

「水の庭」の様子

編集部