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相互に依存する世界を受け入れる。北欧発の新たな現代美術の国際展「ヘルシンキ・ビエンナーレ」が開催中

フィンランドの首都で初めて開催される「ヘルシンキ・ビエンナーレ」が、新型コロナの影響で丸一年遅れたものの、今年6月12日に開幕した。フィンランド内外から41名・組のアーティストが選ばれ、日本からは現在フランス・パリを拠点とする川俣正が参加している。メイン会場の旧軍用島、ヴァッリサーリでの主要な作品をいくつか選びながらリポートする。

文=飯田真実

展示風景より、川俣正《Vallisaari Lighthouse》(2021) (C)Maija Toivanen/HAM/Helsinki Biennial 2021

北欧地域での国際展の取り組み

 著者もパリ在住だが、2019年のヴェネチア・ビエンナーレ取材の前後から、北欧での新たな国際展について聞くようになった。美術手帖でも以前、ヘルシンキ・ビエンナーレの概要を開幕前に詳しく伝えていたので、ここでは同地域で先行する国際展との位置関係を簡単に踏まえたい。

 北欧では1979年にソ連の占領下にあったリトアニアで「バルティック・トリエンナーレ(旧称バルティック・トリエンナーレ・オブ・ヤング・コンテンポラリー・アート)」が、同地域における主要な現代美術の国際展のひとつとして創設された。1998年からは「MOMENTUM(ノルディック・ビエンナーレ・オブ・コンテンポラリーアート)」が、スカンジナビアの若手アーティストと彼らが活躍する国際的な状況を紹介してきている。また、2001年以降「ヨーテボリ国際現代美術ビエンナーレ(GIBCA)」が、スウェーデン最大のアートイベントの一つとしての地位を確立。さらに、2016年にはラトビアの首都で「リガ・インターナショナル・ビエンナーレ・オブ・コンテンポラリー・アート(RIBOCA)」が始動した。

 ヘルシンキ・ビエンナーレがその開幕を待つ間に実施したオンラインプログラムで、これら先行する国際展の最新回を担当したキュレーターを招き議論されたように、昨今の北欧地域では、各独立国やその都市の複合的な成り立ちと積極的に向かい合い、国境を越えたつながりを強調している。ときに中東欧までを含む地域の多義的な境界線と多様な生物空間にまつわるイデオロギーやエコロジーについても掘り下げながら、欧州や世界との定期的な交流機会の刷新にも熱心だ。同じく今年6月の開幕となった冒頭の「バルテック・トリエンナーレ」の第14回展(ビルニュス)では、フィンランド国立の現代美術館であるKIASMAのジョアン・ライアがコキュレーターを務め、この地域の引力について発言をしている。

「Helsinki Biennial Talks – Biennials in Conversation 2」の様子。左上から時計回りに、モデレーターのDr. Paul O’Neill、登壇者のNav Haq、Gabi Ngcobo、Rebecca Lamarche-Vadel、João Laia。Helsinki Biennial digital (https://helsinkibiennaali.fi/en/hb-digital/) から視聴できる。

フィンランド湾に浮かぶ島から

 ヘルシンキ・ビエンナーレは同市が2017年から取り組むビジュアルアートを通じた都市と周辺の島々の再開発事業のひとつ。ヤン・ヴァパーヴオリ市長は開催にあたり、市民のために多様な芸術文化を促進し民主主義の原則と質の高い生活基盤を築くうえで、パンデミックに面しても揺らぐことのない規範を見直し、世界的な将来の発展のために国際的に協力する姿勢がますます必要だと強調する。そして、世界の社会的時事的な問題を喚起するだけでなく、地球的長期的な海洋環境や群島の重要性にも光を当て、旧軍用島ヴァッリサーリがメイン会場として開放された。ビエンナーレの展示は本土で実施されるものも含め、すべて無料で鑑賞できる。

 ヴァッリサーリはロシアの旧都サンクトペテルブルクやエストニアの首都タリンにもつながるフィンランド湾に浮かぶ。ロシア兵やフィンランド国防軍の施設が今も残り、1996年に最後の住民が島を離れて以来アクセスが制限されていた。2012年に国防軍は撤退し、国の自然管理下のもと2016年に一部公開を開始。レクリエーションエリアと自然保護区からなり、今後は2年に一度の夏の間、訪問者は青い海と空を背景に生い茂る草木のなか、古い大砲の道に沿ってそびえ立ち誰もいなくなった火薬倉庫や住居の内部を満たす芸術作品を探索することができる。

ヘルシンキ本土にあるフェリー乗り場。会期中は30分おきに定期便が出ており、20分ほどでヴァッリサーリ島に着く 撮影=筆者

相互に依存する世界

 ビエンナーレの各プログラムは、ヘルシンキ市立美術館(HAM)が中心となって企画された。ヘッド・キュレーターのピルッコ・シッタリとタル・タッポラはそのテーマを「The Same Sea(相互依存)」とした。エストニアを代表する詩人で仏教にも造詣が深いヤーン・カプリンスキの著作から取り、世界はひとつの海をもち、あらゆるものは互いに影響を与えあい存在しているとするヴィジョンを示す。ベトナムの禅僧ティク・ナット・ハン による「インタービーイング(inter-being)」の思想も引いている。

 フィンランド内外から41名・組のアーティストを選出し、44プロジェクト中39が島で展開されている。アーティストには環境に負荷をかけない運営指針がまず説明され、使用素材や会期後のリユースも事前に考慮されているサイト・スペシフィックなインスタレーションのほか、パフォーマンス、映像作品などが見られる。時間による変化に伴い、地上だけでなく地中にも根を下ろす人為と自然の関係などを問う、見えるものと見えないものなどの間をシームレスに行き来できるような仕掛けにより、鑑賞者の感覚は研ぎ澄まされる。

インガ・メルデレ、トピ・カウトネン

 島の港に到着すると、19世紀末に建てられた「水先案内人たちの家」と呼ばれる大きな赤レンガの集合住宅が現れる。庭には野生の植物が茂り、住居には何十年も前に日焼けした壁紙が剥がれている。この島を実際に訪れたアーティストたちは、ここにかつて住んでいた人々に接触し話を聞いた。人間の痕跡と再生する自然が今日の光の中で共存すると同時に、孤立した軍用島での日常の記憶がそこにあり、時を経て訪問した他者としてどう関わるかが熟考された。

ヴァッリサーリ島にある展示会場のひとつ「水先案内人たちの家」 撮影=筆者

 ラトビア出身のインガ・メルデレは、ここのD棟にアパートの壁を使って積層された時間をたどり、元住人らの子供時代の思い出を描く。1950年から70年にかけて孤立した軍用島で子供たちが何を見聞きしながら大きくなったか。周囲の海は美しいが、同時に国境が潜み自由を狭める境界線でもあった。いっぽうで「未来を明るいものとしてとらえることは、子供の本質的なものだ」というアーティストは、島での水泳教室や湖の存在を喜怒哀楽が交わるおとぎ話のようにつむぐ。

展示風景より、インガ・メルデレ《Repeating Pattern》(2021) ©Maija Toivanen/HAM/Helsinki Biennial 2021

 このアパートの隣室では、ここに実際に住んでいた軍隊の天気予報士トピ・カウトネン(1921〜2011)が描いた絵画が、制作された家に帰り展示されている。無料の美術学校で学び、1949年から65年までの島での生活中では気象現象を観察しながら、ヴァッリサーリの四季やアパートの室内、自画像を描いた。本土に移っても島の記憶を描き続け、92年に実施されたインタビューでは、人間が自然と切り離した存在として環境を破壊することで自滅する不合理を嘆いていた。

展示風景より、トピ・カウトネンの絵画群(個人コレクション) ©Maija Toivanen/HAM/Helsinki Biennial 2021

ヤーッコ・ニメラ、アリシア・クワデ

 フィンランドで船乗りの家庭に育ち、気候変動に警鐘を鳴らすヤーッコ・ニエメラの《Quay 6》(2021)では、建築現場の足場が持ち上げた赤い桟橋部分から、ポンプで汲みあげた海水が雨のように降っており、波と雨の音が合わさって聞こえる。グリーンランドの北氷床が完全に融解した場合、海面が約6メートル上昇し、この桟橋の高さになると推定されているという。また、作品全体を支えているのは部分であり、ひとつでもパーツを外すと作品は崩壊する。

展示風景より、ヤーッコ・ニエメラ《Quay 6》(2021) ©Maija Toivanen/HAM/Helsinki Biennial 2021

 ポーランド出身で現在ベルリンを拠点に活躍するアリシア・クワデの作品《Pars pro Toto》(2018)も、ラテン語で「全体のための部分」という意味で、宇宙の構造が原子から銀河にも同様に繰り返されているという、多層的な次元を表している。クワデは他にも、隣の島につながる細い道に、彼女の代表作とも言える《Big Be-Hide》(2019)をヴァッリサーリの石で再構成し設置。鏡の対向する面で元の石のイメージと複製の石が一致する。周囲の環境も取りこみながら没入感があり、現実と知覚のあいだにある認識についての示唆に富む。

展示風景より、アリシア・クワデ《Pars pro Toto》(2018) 撮影=筆者
展示風景より、アリシア・クワデ《Big Be-Hide》(2019) 撮影=筆者

川俣正、カタリーナ・グロッセ

 「寄生(パラサイト)」という概念をポジティブにとらえる川俣正。故郷にも似た寒空のもと訪れたこの土地には、宿り続ける自然の力と同時に人の不在があった。そこで、空想上の熱量を地下から組み上げ、現在の平和に祝福を捧げるようなランドマークを構想したという。島で見つけた木材などの廃材を使って、バンカーと呼ばれるコンクリート製の防護施設から伸びる灯台のような作品が、公共空間となった島の周囲を照らす。実際には太陽光発電が利用されている。

展示風景より、川俣正《Vallisaari Lighthouse》(2021) 撮影=筆者

 ドイツとニュージーランドを拠点に活動するカタリーナ・グロッセもまた、場所が起点となった行為の結果として作品がある。グロッセのペインティングは、床や壁などの構造物や自然素材を支持体とし、卵や腕、駅のホーム、雪や氷、ビーチなどどこにでも着地できる。今回は、絵画を野外に放置したエドヴァルド・ムンクの作法の延長として、島で1950年から80年代まで使われた学校の校舎とその庭をキャンバスにした。建物の内部には有毒な放線菌が生息し、人はもう過ごせない。挑発的な色がそこを包み、周辺の草木にも及んでいる。校舎は展覧会後に解体されるが、残された色の跡は植物が新しい季節のサイクルを始めるときにゆっくりと消えていくそうだ。

展示風景より、カタリーナ・グロッセ《Shutter Splinter》(2021)  Commissioned by HAM/Helsinki Biennial 2021 ©Maija Toivanen/HAM/Helsinki Biennial 2021

水とレジリエンス

 人間と自然とのつながりを、身体を構成する主な要素である水との関係における経験の中で検証している作品も多かった。

 ホンカサロ=ニエミ=ヴィルタネンは、それぞれ80年代後半に生まれた3人が2015年に結成したアーティスト・コレクティブ。旧武器庫に設置された精力的なインスタレーション《Lazarus》(2021)では、ビデオ、テキスト、彫刻、サウンドを組み合わせながら、生と死、存在と消滅の境界を曖昧にする。冷徹な科学者が海洋微生物以外を破滅させ、自らも海に没するというA. ベスターのSF小説『イブのいないアダム』(1941)をベースに、パンデミックや海軍の潜水士などの実体験も織り交ぜた。好奇心やトラウマを動機とした制作の過程では、科学的な検証のために古生物学者や外科医など様々な専門家の協力を得ており、作品を見るものをゾクッとさせる強度があった。

展示風景より、ホンカサロ=ニエミ=ヴィルタネン《Lazarus》(2021) ©Maija Toivanen/HAM/Helsinki Biennial 2021

 昨今の国際映画祭でも受賞し、表現の自由やアフリカのイメージを擁護する活動に対しても注目が高まっているケニアの脚本家・映画監督ワヌリ・カヒウによるSF短編映画《Pumzi》(2009)も上映されていた。東アフリカのマイツ族のコミュニティを舞台に、第三次世界大戦から35年後の荒廃した未来を描く。そこでは水が枯渇し、生存者は汗や尿をリサイクルするなど厳しい監視下に置かれている。

展示風景より、ワヌリ・カヒウ《Pumzi》(2009) ©Maija Toivanen/HAM/Helsinki Biennial 2021

 困難な状況でよく使われる「レジリエンス」という言葉が、冒頭のオンライン・プログラムの登壇者からも聞かれた。脆弱性に対する概念であり、回復力、自発的治癒力とも訳される。新たな人間性の定義や、自然との関わりが問われ続け、非規範的なナショナリズムやアイデンティティの抑圧などが台頭してくる絶え間ない緊張に面しても、他者とつながることを恐れず、循環する水のようなしなやかな弾性を備えていたい。

編集部

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