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ソー・ソウエン インタビュー。温もりや知恵を分かち合い、ともに「生き延びるための実践」をつなぐ【2/2ページ】

ウクライナ・キーウで制作した「Air condition」

──今年、熊本市現代美術館での個展で発表された「Air condition」プロジェクトについてもおうかがいしたいです。ソウエンさんご自身がウクライナのキーウへ渡航して制作された本作。プロジェクトのタイトルや構想は、渡航される前から決められていたのでしょうか?

ソウエン: はい、渡航前から《Air condition》というタイトルを決めていました。「私たちは空気を介して不可分な状況のなかにいる」「『呼吸』という行為は、その不可分な状況のなかで少しだけ風向きや状況を変えていける行為なのではないか」という思考から出発したプロジェクトです。

 ただいっぽうで、VOCAでの《Pain things - ペイン ティングス》の制作を経てから、「私たちは皆、不可分に空気を共有している」と一括りに語ってしまうことに対して、どこか危うさや危機感も抱いていました。それはともすると、現実の痛みを覆い隠してしまうような、「楽観的な全体主義」にもなりかねないからです。

 現実には、空気のなかにすら明確な「階層」が存在します。戦争や過酷な環境下で、いまにも息絶えてしまいそうな、呼吸すら満足にできない状況に置かれている人々が確かに存在しています。もし呼吸が風向きを変える行為であるならば、そうした場所へ真に空気を届け、風を巡らせる循環(サーキュレーション)を生み出さなければならないのではないか、どうすればそれが実践できるだろうか、と考えを深めていきました。

「ソー・ソウエン Air Condition」展(熊本市現代美術館、2026)での展示風景より、ソー・ソウエン《Air Condition》(2026)映像インスタレーション 

──実際のキーウへの渡航や現地でのプロジェクトは、どのような背景から始まったのでしょうか?

ソウエン もともと2022年頃から、ウクライナのアーティストであるマリア・クリコフスカと連絡を取り合っていました。彼女は自身でシェルターやギャラリーのような場を運営しながら非常にアクティブに活動している方で、彼女の実践や取り組みに強く感銘を受けていたんです。その個人的なつながりを信じ、現地で彼女やその周囲に集う人々が発する「呼吸音」を採取・記録するプロジェクトを行おうと決意しました。

 現地には同行のコーディネーターとともに入ったのですが、滞在をより有意義なものにしてくれたのが、プロジェクトの立ち上げ時に現地でサポートしてくれたのがN(エヌ)という若い女性でした。マリア自身は都合により現地へ来られなくなってしまったのですが、このNとの出会いをきっかけに、彼女との協働制作へとプロジェクトが大きく展開していきました。

──戦時下のキーウに自ら足を運ぶというのは、非常に大きな決断だったのではないかと思います。実際に現地に滞在し、その場の空気に触れたからこそ見えてきたことや、実感されたことはありましたか?

ソウエン これだけ情報があふれる社会でも、現地のリアルな状況というのは実際に行ってみないとわからないものだと実感しました。実際にキーウの街に入って一番驚いたのは、人々がごく当たり前に日常を継続していたことです。しかし、それが「絶対に日常を譲らない」という人々の強い抵抗の表れなのだとすぐにわかりました。街として生き続け、文化的な営みや日常の営みを決して諦めないという覚悟の表れだったのです。

 緊張感のあるキーウの現地に入ったとき、より濃く自分の安全を感じる瞬間がありました。それはひとりで頑丈なホテルのシェルターにいるときではなく、暗い撮影空間で、プロジェクト参加者と一対一で向かい合い、呼吸音を録音するプロセスの時間でした。撮影中、参加者の呼吸とシンクロするように呼吸を行うと、お互いに身体がほぐれていきます。言葉を介さずに、そこにある空気を共有できたのです。そして、撮影が終わると参加者も思い思いに、自身の戦争体験などを共有してくれました。また現地で暮らす様々な知恵や励ましをくれ、ある種双方的な「癒え」と「温もり」が確かにそこにはありました。そのときに、空襲警報がなっていても「わたしはいま大丈夫」と切に感じました。

 実際、滞在中は奇跡的にロシアからの激しい攻撃の合間にあたり、身の危険を直接感じるような機会はありませんでした。しかし、街で出会うすべての人々の経験が戦争と地続きでつながっており、彼らの言葉に触れるなかで、自分が普段どれほど安全な場所にいたのかを深く実感させられました。

──Nさんとの制作は当初予定になかったものかと思いますが、何をきっかけに制作することを決めましたか? また制作はどのように進行したのでしょうか?

ソウエン Nと事前にオンラインでやり取りしていた際は、とても几帳面な仕事ぶりが印象的でした。しかし現地で初めて直接会ったときに、彼女がウクライナ東南部の占領されてしまった地域出身で、悲痛な過去を背負って現在を生きていることを知りました。

 そこで、展覧会のメインビジュアルのために、「瓶にキーウの空気を集めている手元の写真を撮らせてほしい」とNにお願いしました。撮影の朝、厳しい冷え込みのなかで彼女の口から真っ白な息が広がった瞬間、「彼女はいま、ここで熱を持って確かに生きているんだ」と深く感動しました。翌日、彼女が、自宅近くにあるバビ・ヤールという谷を案内してくれました。そこは、第二次世界大戦中に、ナチスがユダヤ人をはじめとした多くの人を大量虐殺した歴史をもつ土地でした。夕暮れどき、2人で並んで座りながら彼女が言葉を紡ぎ出してくれたとき、「いま彼女が喋っている言葉を、一音たりとも逃さず受け止めなければならない」と強く心に誓ったのを覚えています。

ソー・ソウエン《N: 20.04.26-04.05.26》(2026)シングルチャンネル・ビデオ、ガラス瓶、キーウの空気、日記、カーテン
「ソー・ソウエン Air Condition」展(熊本市現代美術館、2026)での展示風景より、ソー・ソウエン《N: 20.04.26-04.05.26》(2026)シングルチャンネル・ビデオ、ガラス瓶、キーウの空気、日記、カーテン

 当初キーウには短期間の滞在予定でした。しかしヨーロッパでのほかの予定をキャンセルしてでもキーウに留まり、Nとじっくり向き合って作品をつくるべきだと判断し、滞在を3週間ほど延長することを決めました。そうして2人でたくさんの対話を重ね、制作したのが《N: 20.04.26-04.05.26》という映像作品です。

──いままさに進行中の戦争のさなか、そうした切実な現実に向き合いながらの制作は、相当な緊張感を伴ったのではないでしょうか?

ソウエン 制作にあたって、専門の心理カウンセラーに入っていただき、相手の領域や尊重すべき境界線をつねに確認しながら進めました。彼女の安全や将来的なリスク(本名を明かすことによる危険性や発言による影響)を最優先に考慮し、作品のコアとなりうる痛みの描写をあえて削ぎ落とすという大きな判断もしました。

 それは表現として見せること以上に、「この作品が、彼女がこれから生き抜くためのものでなければならない」と思ったからです。実際、この作品を初公開する美術館での個展開始数日前に、Nが働いていた職場が爆撃に遭うということもありました。たまたまその襲撃は夜間で、彼女は自宅にいたため無事でしたが、つねにそうした状況と隣り合わせで彼女は生きているということを目の当たりにしました。そうした現実を前に、ただ作品を完成させること以上に、「ともに生き抜くことを選択し続ける」という、凄まじい緊張感に満ちた制作期間となりました。

「生き延びるための実践」

──現実に起きている危機に向き合い、アクションを起こすことのもつ重みを深く考えさせられました。それと同時に、ひとりで抱え込まないこと、そして外側の世界と出会い対話していくことの必要性を改めて感じます。今回そうした体験を経て日本に帰国されたいま、今後の制作や展望についてどのように考えていますか?

ソウエン 日本に帰国してから、わたしが芸術実践に求めるものがより明確になりました。芸術実践は、少なくとも私にとっては、一部の人たちだけのための「サクセスゲーム」ではありません。この困難な時代に、知恵や暖かさを持ち寄り、傷口を共有して、明日をともに考えていく行為です。世界や社会を劇的に変えることはできなくても、人の心を一時的に救ったり、温もりや知恵を分かち合ってともに生き延びるための「シェルターのような場」として、美術のもつ力を信じたいですし、それを実践していきたいと切実に思っています。

 そうした想いがあるからこそ、自身の表現を「生き延びるための実践」として行い、これまでマリアやNをはじめとした様々な人たちからもらった勇気を、今度は自分が作品や活動を通して次の人へ手渡していきたい。その生きた熱を途絶えさせないように活動していくことが、これからの自分の創作活動におけるテーマです。

ソー・ソウエン

編集部