イメージを蒸留する
──インターネットやSNSによって、私たちは日々膨大な量のイメージに囲まれて生きています。そうした状況は、絵画にとってどのような意味を持っているのでしょうか。
タイマンス 問題は、イメージの量ではありません。インターネットそのものです。今日のインターネットはアルゴリズムやデータベースによって支えられていますが、それらの多くはイメージを均質化する方向へ働いています。かつて存在していた多様なイメージは減少し、全体として非常に均一なものになってしまいました。
その結果、膨大な数のイメージが存在しているにもかかわらず、創作の出発点となり得るイメージは、むしろ少なくなっています。だからこそ私は、些細で見過ごされがちなものに目を向けます。一見すると取るに足らないものですが、だからこそ誰にも注目されていない。そうしたイメージのなかから、何かを見出そうとしているのです。
──そうしたイメージは、どのようにして絵画へと変換されていくのでしょうか。
タイマンス 私はまずイメージを「蒸留(distill)」します。コンピュータ上で加工し、一部分だけを切り取り、ある要素を強調していくのです。こうした判断は、絵を描き始める前の段階で行われます。イメージを構築し、それを絵画へと翻訳する。
そのプロセスで重要なのは、すべてを説明しようとしないことです。私は長いあいだコントラストを強くすることを避けていました。過剰な表現になってしまうことを恐れていたからです。しかし40年近く描き続けるなかで、ようやくそのバランスを取れるようになりました。過剰な表現になった瞬間、絵画は容易にイラストレーションへと変わってしまいます。しかし、絵画はそうあってはならない。つねに曖昧さや両義性を保つべきだと思っています。
──近年の作品には、不確実性や不安定さ、容易には解釈できないイメージへの関心がより強く表れているように感じます。それは、いま私たちが生きている時代そのものを反映しているのでしょうか。
タイマンス もちろんです。私たちは非常に不確実な時代を生きています。ただ、私はそれを「危機」と呼ぶより、「移行期(transitional period)」と呼びたい。世界はいま、大きな転換のただなかにあります。現在の世界秩序は単極から多極へと移行しつつあります。その変化自体は避けられないものですが、現実には混乱や断絶、そして暴力を伴っています。
パレスチナで起きていることも、今回取り上げた強制収容所の壁画も、あるいはソ連崩壊と、その後のヨーロッパで続く戦争も、それぞれ異なる歴史でありながら、どこかで互いに結びついています。だから私は、そうした時代について説明するのではなく、それらが交差する瞬間をイメージとして描こうとしているのです。
──そうした時代を生きるなかで、ご自身の制作はこれからどのように変化していくと考えていますか。
タイマンス 変化というものは、自然なかたちで訪れるべきだと思っています。私の絵画はつねにイメージから始まります。あるイメージに出会ったとき、まず考えるのは「これをどう描くのか」ということです。だから同じ作品はひとつとしてありません。しかし同時に、私はひとりの人間に過ぎません。自分自身の限界のなかで制作しているからこそ、その限界を少しずつ組み替え、自分自身を更新し続けようとしているのです。
もし作品のすべてを意識的にコントロールできてしまったなら、それはたんなる仕事になってしまうでしょう。そこには情熱も感情も存在しません。芸術とは、ある部分が作者自身からも逃れ続けるものでなければならない。だから私にとって制作とは、答えを見つけることではなく、未知のものに近づき続けることなのです。




















