失われた壁画から、新たな絵画へ
──《Apron(エプロン)》(2026)は今回の展示のなかでも、とりわけ抽象的でありながら、どこか身体性や暴力を感じさせる作品です。このイメージは、パリのルーヴル美術館で制作した壁画《L'Orphelin》(2024)から切り出された断片でもあります。なぜ、このイメージを独立した絵画として描こうと思ったのでしょうか。

タイマンス 私が関心を持っていたのは、抽象化という行為そのものです。このイメージは、もともとは巨大な壁画のごく小さな断片でした。しかし、その断片は鑑賞者の視線を導き、「何が知覚されているのか」という問いへ向かわせる重要な役割を担っていました。
これは人物でも胚でもありません。しかし切り離して見ることで、「死産されたイメージ(still-born image)」のような印象を帯び始めます。私がYouTubeの映像からこの断片を取り出したとき、そこにはある種の暴力性を感じました。映像全体からは読み取れないものですが、切り取られた断片にはどこか外科的な印象があり、無関心さや距離感と同時に、ある行為の痕跡も宿っていたのです。
──《Mural Skull》や《Mural Kitten》もまた、かつて存在した壁画から生まれた作品です。タイマンスさんは、場所に属していたイメージを繰り返し切り出し、新たな絵画へと変換しています。この「切り取る」という行為には、どのような意味があるのでしょうか。
タイマンス まず、その壁画自体はもう存在していません。つまり、これらの作品は、すでに失われてしまったものの記録から生まれた回想のようなものです。ある意味では、消え去ったものの痕跡を扱っているとも言えます。
それはイメージそのものについても同じです。ここにある作品が示しているのは、何かが失われたあとに残された痕跡であり、蒸発してしまったものの存在なのです。私が行っているのは「切り取り(cut)」です。壁画の一部を選び出し、断片化し、イメージを抽出する。その時点ですでに還元的な操作が行われています。
しかし、その断片はさらに絵画へと翻訳され、再び壁に掛けられることになります。ただし、それはもはや壁の一部ではありません。まったく別のオブジェクトになるのです。それが壁画と絵画のもっとも大きな違いだと思います。
また、絵画は移動することができます。壁画が場所と不可分であるのに対し、絵画は別の場所へ運ばれ、新しい文脈のなかで再び意味を獲得することができる。その可動性も、私にとって重要な要素です。

──近年はルーヴル美術館での壁画プロジェクトや、ヴェネチアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂での新作コミッションなど、建築空間と密接に関わるプロジェクトも続いています。壁画という形式は、キャンバスによる絵画とは異なる可能性を持っているのでしょうか。
タイマンス もちろんです。じつは現在ベルギーでも、パレスチナをテーマとした展覧会で、私の壁画が展示されています。巨大なウジ虫を描いた作品で、暴力に対する人間の反応を扱っています。嫌悪や恐怖を引き起こしながらも、同時にどこか人を惹きつけてしまう。その両義的な感覚に関心がありました。
ただ、壁画の制作と絵画の制作はまったく別のものです。壁画は絵画ほど親密ではありません。ルーヴル美術館では、美術館が開館したまま制作を続けていました。私は高所作業車の上で制作していましたが、人に見られること自体はまったく気になりませんでした。むしろ壁画は非常に協働的です。アシスタントとともに作業し、複数人の視点からフィードバックを受けながら進めます。いっぽう、絵画は完全にひとりで描くものです。
だから不思議なことに、公共空間で制作することには抵抗がありませんが、アトリエで誰かに制作を見られるほうがずっと苦手です。そして壁画はきわめてサイトスペシフィックな存在です。その場所だけに存在し、その場所とともに消えていく。これまで私が制作してきた60〜70点ほどの壁画は、すでに存在しなくなっています。しかし、それが興味深いのです。ある意味で、それらは「幽霊のようなイメージ(ghost images)」なのです。



















