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2018.6.11

2700年前の死の瞬間を「再現/再演」する。
相馬千秋が見た、藤井光のアテネ最新作
《第一の事実》

アテネのオナシス文化センターで毎年5月に開催されている、国際演劇祭「ファースト・フォード・フェスティバル(FFF)」。ここで発表された藤井光の最新作である演劇的インスタレーションについて、演劇とアートを横断して活動するアートプロデューサー・相馬千秋が考察する。

文=相馬千秋

藤井光《第一の事実》(2018)より
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藤井光《The Primary Fact(第一の事実)》 考古学と芸術の間で古代ギリシャを「上演」する 相馬千秋 評

 ギリシャ・アテネで毎年5月初旬に開催されるファースト・フォード・フェスティバル(FFF)は、今回で5回目となる国際演劇祭である。海運王A.S.オナシスの遺産を原資とする民間財団、オナシス財団/オナシス文化センターが主催し、演劇舞踊部門芸術監督カティア・アルファラがプログラミングを行うこの演劇祭は、毎回テーマ性を強く打ち出し、国外からもアーティストを招き入れてアテネ固有の歴史や都市空間に応答する作品を創作している。前回も高山明、藤井光、Chim↑Pomらが招かれたが、土地の固有性と最先端の芸術が交わる地点で大胆なプログラムを編み上げるアルファラの手腕は、政治的な正しさの答え合わせのような退屈なキュレーションが多い昨今の欧州演劇シーンにおいて、美しい例外と言っていいだろう。

 今回はテーマとして、考古学と芸術の緊張関係と、その間に生まれる新たな可能性に焦点が当てられていた。国土全体が発掘現場とも言えるギリシャにおいて、考古学が科学として実証しようとするファクトと、芸術が想像/創造するナラティブやレトリックは簡単には相容れない。しかしその両者が歩み寄り、ファクトの探求先に、膨大な正史を個人の身体レベルで経験しなおす複数の芸術的アプローチをいかに提示できるのか。藤井光の新作《第一の事実》は、演劇祭における映像作品という位置付けにもかかわらず、間違いなくこの問いへの中核をなす作品として、演劇祭のプログラム全体に循環し酸素を供給する血液のような役割を担っていたように思う(実際、演劇祭に参加していたアーティストや関係者の多くが、鑑賞後に興奮と嫉妬の入り混じった感想を熱く語り合っていた)。以下の文章は、ギリシャという遠い場所で生み出された藤井光の最新作かつ最大規模の演劇的インスタレーションについて、筆者の経験をもとに報告するものである。

2700年前の死者を演じる

 はじめて訪れたアクロポリス(高い丘)は、たしかに小高い丘の上にあった。アテネの街が360度眼下に広がり、遠くには地中海が青く光る。丘全体が天然の岩場で緑は極端に少なく、斜面を上がるごとに太陽との距離が近づく。5月だというのに太陽と岩の間に挟まれて、焼けるように暑い。くらくらしながら見上げたパルテノン神殿は、想像をはるかに超える巨大さで、天空に向かって垂直に立っていた。

 ここはアテネの守護神を祀る神殿であり、その聖域である。敵から迫害された者、亡命者、罪に問われた者であっても、この聖域に駆け込んで神に嘆願すれば、一時的に庇護され、即時的な暴力や処刑から逃れられたという。嘆願者の処遇は、アテネ市民の合議的な判断に委ねられていた。自由と人権を重んじるアテネ市民にとって、このシステムは民主制を担保するための基盤であったという。たしかにギリシャ悲劇にも「嘆願シーン」は数多く登場し、窮地を打開しようと嘆願する者、それを迫害する者、庇護しようとする者、それらを見守り判決を下す市民たちの弁明や葛藤が、ヒリヒリするようなドラマを生み出してきた。アテネに民主制が花開いたのは紀元前5世紀、ソフォクレスやエウリピデスがおびただしい数の戯曲を書いた時期とも合致している。

麓から望むアクロポリス 撮影=相馬千秋

 そんなことを考えながら、2500年後の都市アテネの雑踏へと戻る。藤井光の作品が展示されているという場所は、「ロースクール・ライブラリー/オールド・ケミストリー・ラボラトリー」とある。その建物はたしかに2階まではアテネ大学法学部付属の図書館として活用されているももの、3階部分は以前に使われていたであろう古ぼけた化学実験室がそのまま残されており、藤井の作品はその複数の部屋で展開されていた。

 最初の部屋でまず目の前に現れるのは、おびただしい数の白骨群の映像である。発掘現場と思しき白い大地と一体化した白骨群は、明らかに人間のものであり、露骨に集団で埋葬されたものであることを物語る。不自然なまでに整然と折り重なった白骨群は、数千年という時間によって血と肉が削ぎ落とされ、一種の静謐感さえ漂う。いったい、このおびただしい数の人骨は何を物語っているのか。彼らは誰なのか。

展示風景より

 人骨の映像と背中合わせに映し出されるのは、80名の男たち――若く、健康的で、それゆえ美しく、均整のとれた身体を持った男たちである。数名ずつ列をなし、同じ鎖に縛られたような数珠繋ぎの状態でこちらにゆっくりと向かってくるが、一撃で床に突き落とされる。そしてひとりずつ衝撃を受けて床に倒れ込む。その屍体は数名の死刑執行人によって事務的に移動され、折り重なるように打ち捨てられていく。映像は80名もの男たちが、組織的かつ集団的に殺害される様子を淡々と映し出す。展示室には男たちが床に崩れ落ちる音と、死刑執行人役の男たちの靴音だけが規則的に響き続ける。

 この映像が、白骨遺体の現場を「再現/再演」したものであることは、その状況からすぐに想像できる。現代のギリシャに生きる男たちが、古代に集団で処刑された男たちをその身振りと動きだけで演じているのだ。彼らはなんらかの理由により集団で処刑され、集団で埋葬された。その殺害の手続きは抽象化されていると同時に緻密に振付られており(*1)、その規則的な身振りが一切の注釈なしに連なっていくこの「上演」を前に、観客はその殺戮がいかに組織的なものであったかを想像し、戦慄を覚える。いったい、彼らは誰なのか。なぜ殺害されたのか。

藤井光《第一の事実》(2018)より

 その謎は、別の展示室の映像で早々に明らかにされる。処刑場へと連行される男達の映像に重ねて、考古学者と思しき女性の声が語り始める。これら80体の白骨遺体は、2016年にアテネ近郊で発掘されたものであり、その骨の状態から80名全員が健康な若い男性であったこと、そのような健康状態を維持できるに十分な食事がとれた上流階級に属していたこと、よって彼らは都市国家において名の知れた人物たちであったことなどが推察されるという。埋葬時期はアテネの民主制が花開く200年ほど前の紀元前7世紀中葉で、その時代はちょうどキュロンという貴族によるクーデーター事件が発生した時期と一致する。古代歴史家たちが残した記述によれば、キュロンは若く逞しい青年でオリンピック競技でも優勝し賞金を獲得、隣国メガラの僭主の娘と結婚することでさらに富を増強し、アテネの僭主になるべく反乱を企て、追随者とともにアクロポリスを占拠した。しかし企ては失敗し、彼らはそのままアクロポリスに幽閉される。キュロン自身は単独脱出するものの追随者たちは取り残され、アクロポリスの祭壇に逃げ込み救済を嘆願した。だが当時キュロンに敵対していたアルコン(最高執政官)たちはそれを聞き入れず集団処刑を執行したという。アテネ郊外から発掘されたこの遺体群は、このときに処刑されたキュロンの追随者ではないかという説が有力で、現在も考古学的調査が進められている。

 考古学者の声は続く。祭壇に庇護を求める嘆願者は神、そして都市国家の構成員たる市民の意志によって裁かれるべき存在であり、その意志に背いて嘆願者を殺すことは古代ギリシャにおいてもっとも大胆不敵で忌むべき行為であったこと。キュロン一派の処刑後、アテネには飢饉、戦争、疫病が続発し、多くの人口が失われてしまったこと。キュロン一派の処刑を執行したアルコンの一族を市街に追放し、墓の骨まで市街に遺棄したが災厄は収まらず、その災禍を浄化するためにクレタ島から祭司が招かれたこと。その祭司がアルコンたちの権力闘争を終わらせ、法律や行政の制度を整えていったこと。

科学実験教室での展示風景

繰り返される、民主主義の失敗

 続く2部屋は、かつての化学実験室の実験台がそのまま残されており、もう何年も使われないまま時間が止まってしまっているかのようだ。そこに、複数の科学者や考古学者が映像越しに語りかけてくる。頭蓋骨の歯の状態が非常に良いことから、処刑された当時の年齢や健康状態について分析する歯科医。80体の遺体は、ワインを用いた古代ギリシャの埋葬儀礼を経ていることから、敵や犯罪者としてではなく一定の尊厳のもとに葬られたと推察する考古学者。頭蓋骨の状態から彼らが鈍器で頭を一撃されて殺害されたことは実証できるが、それを歴史的な出来事と結びつけるのは危険だと警鐘を鳴らす人類学者。合計5人の科学者たちのギリシャ語と英語による語りは、廃墟となった化学実験室の中に響き合い、完全に時間が止まってしまった空間の中に、異なる時間をつくり出す。彼らは2700年前の殺害現場に残された証拠から、「第一の事実」だけを引き出し、分析しようとする。どこまでが事実で、どこからが推論なのか。どこまでが自然科学の領域で、どこからが人文科学の範疇なのか。科学者たちの間でも、その境界線は揺らぎ続ける。

藤井光《第一の事実》(2018)より

 もうひとつの展示室で、観客は再び、現代のギリシャ人男性によって演じられる映像と対峙する。だが彼らはもう処刑され、絶命後の屍体として無造作に打ち捨てられている。目を見開いたまま硬直した男たちの表情を、カメラはゆっくりと追い、考古学者の声は問いかける。

 アテネにおいて、アルコン、すなわち地主であり戦争を起こす経済力を有していた者たちによる代表政治から、市民による直接民主制へと移行したのはなぜか? キュロン一派の処刑後、度重なる災厄を経験したアテネ市民たちは、共同体の外部から招き入れた祭司のもとアルコン政治による内紛を停止させ、誰もが平等に従うべき法律を整える基盤をつくっていったという。貧しい者/富める者、土地を持つ者/持たない者、労働者/貴族など、身分の隔てなく、誰もが法のもとに平等に裁かれるべきであるという民主主義の理念は、あの80人の男たちの犠牲をひとつのきっかけとして、人類史上初めて誕生したのではないか。たとえそれが80年後には消えてしまう儚いものであったとしても――。

 実証の域を超えて推論を展開する考古学者の声に重ねて、藤井のカメラは、屍体となって打ち捨てられた男たちの肉体と表情の細部をゆっくりと切り取っていく。まるでギリシャ彫刻のように造形が整った顔や身体は、死の瞬間から止まったまま動かない。彼らの生の時間は死によって完全に断ち切られている。だが、そのひとりの眼球から一筋の涙が流れ落ちた瞬間、この壮大なインスタレーションを貫く、どこまでも静謐で硬質な時間が揺らぎ、私を激しく揺さぶった。2700年前に無残にも生を断ち切られた青年によって流された涙は、現代のギリシャに生きる男性によって再び流される一筋の涙としてここに蘇ったのだ。そしてその一筋の涙は、その後2700年の間に、民主主義を求めて世界中で流されてきた、計り知れないほど多くの涙にちがいない――。

 そのような感情のカタルシスが、作家が意図するところだったかはわからない。ただたしかに言えるのは、この演劇的インスタレーションによって、途方もなく遠い存在であった2700年前の死者たちが、この場に無言の語り手/アクターとして召喚されたということだ。それは、考古学者によるファクトの積み上げと、それらを実証的に再演/再現するという演劇的身振りによって初めて成功したと言っていいだろう。そもそも考えてみれば、この作品のタイトルは《The Primary Fact(第一の事実)》なのだ。ファクトを積み上げた事実よりも、人々が信じたいものが真実とされ現実化するポスト・トゥルースの時代において、このタイトルはどこかシニカルにも響く。考古学者たちが実証的に積み上げるファクトの先に、死者を私たちへと繋げる想像力を起動すること。ファクトの積み上げだけでは聞こえてこない死者、敗北者の存在を、民主主義の失敗を繰り返す私たち自身として経験しなおすこと。藤井が死者と生者、実証とフィクション、科学と芸術の間で再現/再演した2700年前の「第一の事実」は、ポスト・トゥルースの時代を生きる私たち自身が乗り越えていくべき未来の課題を、静かに、しかし雄弁に語りかけているのだ。

脚注
*1――主催者によると、実際この映像の制作にあたっては、現地のコレオグラファーPatricia Apergiと考古学者の協働のもと、遺骨の状態から殺害されたときの身体の動きを細かく推測し、80人の出演者(ダンサーや一般公募の男性)に振付けを行ったという。その作業は3週間にも及び、ひとつのダンス作品を創作するほどの時間と労力が費やされたそうだ。