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ミヤギフトシ連載15:ジュリー・オーツカ『天皇が神だったころ』『屋根裏の仏さま』 いなくなった人びと、残された断片

アーティストのミヤギフトシによるブックレビュー連載の第15回。今回取り上げるのは、第2次世界大戦中にアメリカで暮らした日系人たちを題材とした、ジュリー・オーツカの『天皇が神だったころ』と『屋根裏の仏さま』。ギャラリー小柳(銀座)で開催中の個展「How Many Nights」にもリンクする2つの物語を、アメリカの広大な風景とともにたどる。

マンザナー国定史跡内の砂利道 撮影=ミヤギフトシ

 ジュリー・オーツカの初小説『天皇が神だったころ(When the Emperor Was Divine)』(Alfred A.Knopf、2002)は、第2次世界大戦中、カリフォルニアに暮らす日系アメリカ人一家が住んでいた家から退去させられ、ユタ州の収容所に送られ、そこで暮らし、そして戻ってくるまでを描く。まるで彼らに個がないように、「母親」「女」「彼」「彼女」「少年」「少女」などといった三人称で語りが進められる。彼らには、名前がない。

 物語は、一家に立ち退き令が届くところから始まる。すでに父親は数ヶ月前にFBIに連行されていた。立ち退きの前日、母親はまず、金物屋にゆき、大きめのハンマーを買う。お金は後でいい。事情を知っている店主は言うが、彼女はきちんと代金を置いてゆく。家に戻り、部屋の片付けをする。家にはペットがいる。猫は隣人に引き取ってもらった。庭を走り回っていた鶏の首を折って絞めてそれを使って夕食の準備をする。老いた犬に餌を与えてからショベルで叩き殺して庭の木の下に埋める。子供たちが帰ってきてからカゴの鳥も放す。一連の行動は、淡々と描写される。彼女が何を感じていたのかは、決して語られることはない。

 それから一家はユタの収容所に暮らすことになる。少しずつ、彼らに変化が訪れる。次第に子供たちの友人からの手紙も届かなくなり、母親は一日中ベッドに入ったまま。少年は父親に手紙を書く。

“大好きなパパへ。ユタのここも、とても天気がいいよ。食べ物はそんなに悪くないし、毎日牛乳が出る。食堂では、アンクル・サムのために釘を集めてるよ。昨日フェンスに凧が引っかかった”
ジュリー・オーツカ著、近藤麻里子訳『天皇が神だったころ』(アーティストハウス、2002)

マンザナーへ向かう道 撮影=ミヤギフトシ
マンザナーへ向かう道 撮影=ミヤギフトシ

 釘集め、という箇所で思い出す。2年前に初めてマンザナーを訪れたときに僕の目を引いたのが、荒地となったかつての収容所跡の地面にキラキラ輝くガラス片と、錆びた釘だった。そこには、かつて暮らしがあったことをはっきり伝えていた。粗雑につくられて隙間だらけで、砂塵や雨が入り込むような間に合わせの掘っ建て小屋を、日系人たちは自分たちで少しずつ手を加え、白壁を張り、衝立をつくり、家具をつくった。そのような場所で、鉄不足の不安を解消するため、なけなしの釘を集めて、国に納めていた。

 戦後、『天皇が神だったころ』の名のない一家は自宅に戻るが、庭や中は荒らされて見る影もない。隣人たちとの関係性もすっかり変わり、皆冷ややかだ。そして、父親が戻ってくる。彼は、まるで人が変わったように怯えた様子で、表情すらも変わってしまった。最後、語り手は「僕/私たち」となり、一家の子どもたちが語り手となり、変わってしまった街や両親について語る。最終章「告白」は父親による諦めたような独白で、「あなた」に語りかける。自分が危険分子であると。「あなた」の聞きたいであろうことを、嘘の供述をするように独白し続け、小説は終わる。

私はずっとここに住んできた。息をひそめて、あなたのそばで、何年も。そしてトージョーが合図を送るのを待ちかまえていた。
ジュリー・オーツカ著、近藤麻里子訳『天皇が神だったころ』(アーティストハウス、2002)

ローンパイン、入り口 撮影=ミヤギフトシ
ローンパイン、ダウンタウン 撮影=ミヤギフトシ

 2作目となる『屋根裏の仏さま』(新潮社、2016)では、送られてきた結婚相手の写真だけを頼りに太平洋を渡った「写真花嫁」と呼ばれる女性たちが語り手で、人称は「わたしたち」になる。女性たちの集合体が主語として日系人女性の体験、そして時には個々の誰かの物語について語る。

 彼女らは、文化も言葉もまったく違う新たな土地での暮らしへの不安といくらかの期待に胸を膨らませて海を渡る。しかし港で待っていたのは、もらった写真の男とは似ても似つかない老人だったり、みすぼらしい男だったりした。日本で見せられたのは、若い頃の写真や別人の写真だった。それでも「わたしたち」は暮らしに順応しようと努力する。差別があり、また彼女らも中国系の人々や沖縄出身者を差別し、出産や家族との死別がある。どのようにすれば「彼ら」と語られるアメリカ人(白人)のような立ち振る舞いを得られるのかと苦慮する。世代が代わり、アメリカの暮らしに定着していたところで、戦争が起こり、「わたしたち」は収容所に送られることになる。そして、街から日本人がいなくなる。『天皇が神だったころ』と同じように、この小説でも最終章で語り手が変わる。「わたしたち」はアメリカ人女性たちとなり、かつて隣人であった、おとなしいけれどもどこか信用できない日本人たちについて語る。戦時中は彼らに騙されていないかと怯え、戦争が終わった後も、どこかに日本人が隠れているのではないかと怯える。

マンザナー国定史跡内の砂利道 撮影=ミヤギフトシ

 去る5月にマンザナーを再訪した。新作《How Many Nights》の撮影も兼ねていたため、近くの町で2泊することにした。撮影は夜のみなので、昼の間は同行者に車で周辺の観光に連れていってもらう。マンザナーから車で2時間ほど走ると、広大なデスヴァレー国立公園に入った。岩山があり、沼地があり、アメリカでいちばん標高が低い砂漠がある。海抜下86メートルから標高3368メートルと高低差も大きい。砂漠はからからに暑いものの、山の方に行くとずいぶん涼しくなる。

 そんなデスヴァレーの荒地に、ハーモニー・ボラックス・ワークスの史跡があった。ボラックス(ホウ砂)を砂採掘跡するための施設跡地で、19世紀末、わずか5年ほど運営されていた。そこでは、中国人労働者たちが働いていたようだ。灼熱の荒野には石造りの小屋がいくつか残っていて、彼らはそこで寝食をしていた。彼ら以外のアメリカ人労働者や管理者たちは、近くのファーナス・クリークというオアシスのような緑あふれる場所に居住していた。しかし、5年ほどでホウ砂採掘計画は中断され、中国人労働者らもこの過酷な地から去っていった。彼らは、どこへ行ったのだろう。

デスヴァレー、低地 撮影=ミヤギフトシ

《How Many Nights》では、マンザナーで見た風景やジュリー・オーツカの小説から着想を得て、収容された日系人女性の物語を組み込んだ。彼女は、収容所のフェンスの外、LAにいるアメリカ人女性に手紙を書いている。かつて、大学生として、時間をともに過ごした親友のアメリカ人女性に。東京ローズことアイバ・トグリの青春時代のエピソードも一部参考にした。前回の連載(https://bijutsutecho.com/series/4314/)でも引用したドウズ昌代の『東京ローズ』には、以下のような記載がある。UCLA時代の同級生が記憶するトグリの若いころ、1940年ごろのことだ:

当時、良心的参戦拒否者の立場を取っていた彼は、そのことでアイバと話し合った。「彼女は決して強い言葉を使わなかったが、『自分なら故国アメリカのために断固戦いに出る』という考えから一歩も引き下がらなかった」(中略)アイバは彼に、「あなたは戦うべきだ」という言葉を使うかわりに、「私なら戦う」と繰り返し、彼は自分が非難されていると感ぜずにはいられなかった。(中略)あいかわらずスポーツ好きだったアイバは、いつも大学のフットボール試合の応援に出かけた。自分ではテニスのほかに、ライフル射撃を得意とした。
ドウズ昌代『東京ローズ』(文藝春秋、1990)

 故国のために。当時の日本人がきっとそう言ったように、トグリもまたアメリカ人として同じように考えていた。そんな彼女も日本で東京ローズとして敵国のプロパガンダに加担することになり、帰国後は反逆者扱いをされた。もし日本に行っていなかったら、彼女もどこかの収容所に送られていただろう。そんなふうに思いながら、名もない《How Many Nights》の手紙を書く女性の物語をつくっていった。彼女が書いた手紙もきっと、検閲されてともすれば恣意的に黒塗り、もしくは切り取られてしまうのだろう。彼女の思いは、親友に伝わることはない。戦後、収容所を出た彼女はどこへ向かうのだろう。親友とは再会できたのだろうか。作品中で語られることはないままに、彼女は物語からいなくなってしまう。

デスヴァレー、高地 撮影=ミヤギフトシ
アラバマ・ヒルズ 撮影=ミヤギフトシ

 滞在最終日は、マンザナーを挟みデスヴァレーから反対側のアラバマ・ヒルズ、そして米国一高いホイットニー山があるシエラネバダ山脈まで車で回ってもらう。ごつごつとした赤い岩山が独特の風景を形づくるアラバマ・ヒルズの荒野、その向こう側にはまるでアルプスのような山脈が並ぶ。それらの地方へのゲートタウンとなっているのが、ローンパインという小さな町だった。かつてアラバマ・ヒルズは西部劇の撮影場所として栄えた。西部劇が人気で、地区が栄えていたのは戦前ながら、戦時中戦後もしばらく撮影は続いた。マンザナーに日本人が収容されていたころも、俳優や撮影クルーらがここに押しかけ、賑やかな西部劇が撮影されていたなんて、と同行者が言う。僕も、同じことを考えていた。それは、ごく普通の経済活動なのだろう。でも、そこに違和感を感じてしまわずにはいられなかった。

シエラネバダ山脈 撮影=ミヤギフトシ

 いつしか西部劇もすっかり廃れてしまい、いまその場所に映画業界の人間が来ることはほとんどない。彼らは別の場所へと移ってしまった。そんな風に、いくつもの移動がこの場所で起きていた。ハーモニー・ボラックス・ワークスもアラバマ・ヒルズも、マンザナーも、いまではだだっ広い荒野だ。様々な目的で人々はここを訪れ、もしくは連れてこられ、そして去っていった。それでも、例えば検閲された手紙やマンザナーの地に残る錆びた釘のような、断片は残る。それらが、確かにかつてあった物語を、その続きを語り続けている。

LAへ戻る道 撮影=ミヤギフトシ

profile

みやぎ・ふとし

アーティスト、XYZ collectiveディレクター。1981年沖縄県生まれ。生まれ故郷である沖縄の政治的・社会的問題と、自身のセクシャリティーを交錯させながら、映像、写真などを組み合わせたインスタレーションによって詩的な物語を立ち上げるアートプロジェクト「American Boyfriend」などを展開する。近年の展覧会に「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」(2016年、森美術館)、「蜘蛛の糸」(2016年、豊田市美術館)など。『文藝』(河出書房新社)2017年夏季号にて、初めての小説「アメリカの風景」を発表した。8月30日まで東京・銀座のギャラリー小柳にて個展「How Many Nights」を開催中。

information

『天皇が神だったころ』

著者:ジュリー・オーツカ
訳者:近藤麻里子
出版社:アーティストハウス
刊行:2002年7月31日
価格:1400円+税
 
『屋根裏の仏さま』
著者:ジュリー・オーツカ
訳者:岩本正恵、小竹由美子
出版社:新潮社
刊行:2016年3月25日
価格:1700円+税
 

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