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書評:絵画の制作過程に潜り込む美術史家の独白。ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『「それ」のあったところ:《ビルケナウ》をめぐるゲルハルト・リヒターへの4通の手紙』

雑誌『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート本を紹介。2025年1月号では、美術史家ジョルジュ・ディディ=ユベルマンによる『「それ」のあったところ:《ビルケナウ》をめぐるゲルハルト・リヒターへの4通の手紙』を取り上げる。この美術史家の視点と4通の手紙からリヒターの代表作《ビルケナウ》の制作過程を綴った本書を、中島水緒が評する。

評=中島水緒(美術批評)

絵画の制作過程に潜り込む美術史家の独白

 2013年12月、ひとりの美術史家が画家のアトリエを訪ね、4枚の巨大なキャンバスを目撃した。キャンバスはいずれも真っ白。手をつけられず放置されたままのそれらを、美術史家は「イメージを待つ絵画」と呼び、作品化の契機を辛抱強く探り続ける画家に最大の敬意をはらった。絵の完成はそれから約1年後。ドレスデンの美術館で初めて一般公開され、その後、展示形態を変えながらいくつかの美術館を巡ることになる。作品タイトルは《ビルケナウ》。言うまでもなく、「最後の画家」と評されるドイツの巨匠、ゲルハルト・リヒターによる渾身のシリーズを指す。

 本書は、美術史家のディディ=ユベルマンが、描かれる前の《ビルケナウ》を見たのち、年月を挟んで間歇的にリヒターへと書き送った私的な4通の手紙で構成される。アトリエ訪問直後に書かれた最初の手紙では、イメージを潜在させる白いキャンバスに着想を得たユベルマンが、画家にとって「計画の外に出る」ことがいかに意味を持つかを熱っぽい調子で語る。その1ヶ月後には早くも2通目の手紙を書き、リヒターが長く関心を抱きながらも作品化しえなかった主題──ゾンダーコマンドと呼ばれるユダヤ人捕虜がアウシュヴィッツの強制収容所で撮影した4枚の記録写真──へと思い切って踏み込んでゆく。第二次世界大戦終結時に少年だったリヒターと、著書『イメージ、それでもなお』(原著2003年)でゾンダーコマンドの写真を論じた戦後生まれのユベルマン。境遇の違いはあれど、この2人が、アウシュヴィッツの惨劇とそれを語ることの可能性に幾多もの思索を費やしてきた事実に変わりはない。

 手紙はユベルマンが完成した《ビルケナウ》を見た後に筆を執った3通目、それからアトリエ再訪問後に書かれた4通目に至って、美術史、哲学史、自然史のハイブリッドとも言うべき歴史的思考を存分に発揮してゆく。なかでも、芸術作品に写真のイメージを採用したリヒターの選択を細かく検討するくだりからは、「イメージをつくり、消す」という行為に最大の理解を示すユベルマンの肯定的な態度が伝わってくるかのようだ。

 表向きには主題が消されたように見える《ビルケナウ》を「表象不可能性」の袋小路に入り込ませて終わるのではなく、絵画の層の奥深くに封印された記憶を、じっくりと時間をかけて救済すること。本書に刻印されているのは、画家の制作過程と伴走した美術史家の思索の軌跡である。

『美術手帖』2025年1月号、「BOOK」より)

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