「新生アメリカ」に対峙した画家たちが描くもの
本号では、アメリカ人画家のホーマー、ホッパー、ロックウェルが特集されている。いずれも19~20世紀に活躍したアメリカの「国民的画家」たちだ。身近な生活や自然を描いた写実主義の画家ホーマー、アメリカの大衆生活をコミカルなタッチで描いたロックウェルなどに対して、ホッパーだけは決してナイーブに「アメリカ」を描いていたわけではなかった。むしろホッパーは「アメリカ」に対して複雑な感情を抱いており、自ら率先してというよりも社会の求めに応じるようにして、その表現を変化させていった経緯がある。どういうことだろうか?
数代続くアングロ=サクソン一家に生まれたホッパーは、青年時代からフランス文化に強い憧れを抱いていた。それと同時にホッパーは、工業化や移民の増加によって転換期に差し掛かっていた20世紀初頭のアメリカを「ひどく野暮った」いものととらえており、忌避さえしていた。そのため、ホッパーの初期作品にはアメリカでなくフランスが描かれていたが、彼の周囲では「アメリカ的芸術」を求める声が優勢だったため、15年以上にわたる不遇の時代を過ごすことになる。しかしやがてこの扱いに耐えかねたように、ホッパーはニューヨークの街角などを描くようになり、現在よく知られた画風を獲得していったのだった。
そんなホッパーの作品では、物思いに耽ったり、何かを待ったりしている人物がよく描かれている。彼らは鑑賞者に気づく様子がなく、私たちは絵の中の人物を好きなだけ一方的に眺めることができる。それは窃視的な行為であり、どこか背徳的な快楽を伴うまなざし──いわば「消費社会化されたまなざし」──だ。つまりホッパーの絵では、消費社会の旗振り役となった新生アメリカが描かれるとともに、その鑑賞体験にもまた、消費社会的なまなざしが重ね合わされていたのだ。これが、ホッパーをアメリカの国民的画家に押し上げたゆえんである。
こうして彼はアメリカ社会でブレイクし、アメリカは世界覇権国の座を確かなものとしていった。こうして「アメリカの世紀」とも言える20世紀の美術史が幕を開け、私たちが普段慣れ親しんでいる戦後美術の枠組みもつくられることとなる。
しかしそのいっぽうで近年の国際情勢を見ると、アメリカの覇権的な地位が脅かされるとともに、各地で紛争が激化するなど、世界全体が不安定化している。これからの世界がどこに向かっていくのかは、まだ誰にもわからない。しかしそんな時代だからこそ、誰よりも早く「新生アメリカ」に対峙した彼らの作品から、新たに見出されるものがあるかもしれない。

(『美術手帖』2025年1月号、「プレイバック!美術手帖」より)