人間と自然の危機に対する芸術論
本書で山本浩貴は「人新世以後」における「人間と自然の美術史」を主題としたという。「人新世」とは、現代を含む地球の地質学的な時代区分を指す。近代以降、地球規模の環境変動に、人類の活動が深く関与するようになったことからそう呼ばれる。
山本をこのプロジェクトに向かわせたのは、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックだった。コロナ禍は、グローバルな規模での人間の自然環境への進出がもたらした災禍である点において、人間と自然との関係の破綻という危機的状況をも暗示している。パンデミックは明らかに「人新世」の産物である。
本書は、今日の危機的現実を踏まえ、「人新世以後」の社会における自然と芸術との関係の在り方を、日本の芸術実践に限定して描き出そうとする試みである。それは必然的に、自然というエレメントを構成する動植物や気候や環境といった、人間が完全には制御することのできない要素を包含する。人間を超出した自然を問題の中心に据えることは、芸術の「脱人間中心主義」的な語りの契機となる、と山本は言う。
本書で山本は、「天地耕作」や「集団蜘蛛」といった地方のアーティスト・コレクティブを取り上げている。彼らの実践は、これまでの標準的な現代美術史のナラティヴから取りこぼされてきた。彼らは自覚的に都市と距離を置き、世俗的な現代美術の世界と関係をもたず、奥深い自然環境のなかで実験的な創作活動を行った。ローカルな実践を取り上げる本書は、従来の美術の大都市中心主義に対し、「脱大都市中心主義」的な現代美術史の語りを提示する。
こうした語りに対しては、いくつか素朴な疑問も浮かぶ。たとえば本書で言及されるリチャード・ロングやアンディー・ゴールズワージーの活動は、私には自然の人間化、自然の審美化としか見えない。また、グローバルな文脈のなかでローカルな実践を再発見することは、昨今の「グローバル美術史」の通例である。が、このような主張を行う美術史的実践は、しばしば新たな植民地主義や市場開拓を招く。さらに、本書だけではなく、さまざまな場所で語られる脱人間中心主義とは、結局のところ、自然を共存可能な他者としてとらえる新たな人間中心主義にほかならないのではないか、という懸念も残る。
が、そのような批判は、山本には折り込み済みだろう。そのような批判的論点は、果敢な批評的試みであればこそ、必然的にもたらされるものである。本書がきっかけとなり、さまざまな議論が生まれることを望む。
(『美術手帖』2022年10月号、「BOOK」より)