はじめに
「10ヶ月で学ぶ現代アート」と題された本企画の目的は、文字通り全10回の連載を通して、現代アートの「いろは」をできるだけわかりやすく解説することです。僕は普段「文化研究者」の肩書きを名乗っていますが、作品制作(「アーティスト」)や展示企画(「キュレーター」)に加え、アートの歴史について調べたり(「美術史家」)、展覧会や作家に関する批評文を執筆したち(「美術評論家」)もしています。研究者としての専門は東アジアの現代アート──とくに1990年代以降の実践と東アジアにおける戦争・植民地支配の過去との交わり──ですが、これまで専門家でない人たちに向けて現代アートについて語ることにも自分なりの仕方で取り組んできました。
例えば、最初の単著『現代美術史──欧米、日本、トランスナショナル』(中央公論新社、2019)は、学術書でなく一般書(中公新書の一冊)として出版されたものです。この本では「芸術と社会」という主軸を設定し、いかに現代アートが社会と密接に関わり合いながら進展してきたのかを歴史的に紐解きました。今回は同書と関連しながらもそれとは少し異なるアプローチを通じて、加えて刊行から3年間を経てアップデートされた知見や情報も織り交ぜながら、特別な前提知識を必要とせずに現代アートの魅力や可能性を伝えていきます。
そのため、この連載では毎回のメイン・テーマに「問い」をひとつ掲げ、それに応答する形式で議論を進めます。それらの問いは、専門家でないが現代アートに深い関心を持つ人たちから、よく僕自身が投げかけられるものです。また、各回のサブ・タイトルはいずれも「現代アートの○○」に統一し、それぞれの記事が現代アートのどのような側面について説明しているのかが一目でわかるようになっています。では、字数も限られていますし、イントロはこのあたりにしてさっそく本題に入ります(実際は限られていないのですが、あまり長いと読み通す気持ちが減退してしまうかもしれないとの危惧から、自分でおおよその字数制限を課しています)。
「現代アート」ってなんだ?
連載の幕開けとなる初回には、「そもそも「現代アート」って何?」という問いを選びました。結論から最初に述べますと、「現代アート」を定義することは原理的に不可能です。のっけから問いへの応答を拒むような態度を、期待はずれに──あるいは不愉快に──感じたかもしれません。でも、ここで文章を読むのをやめるのをいったん保留し、なぜそのように言えるのかもう少しだけ耳を傾けてください。なぜなら、(逆説的なことに)容易に定義ができないことにこそ、「現代アート」の本質に関わる重大な秘密が隠されているためです。