批評の歴史で振り返る、「近代美術」から「現代アート」への変遷
「10ヶ月で学ぶ現代アート」の第4回目となる今回は、前回(「現代アート」の「現代」は何を意味する?──現代アートの「意義」)の議論を引き継ぎつつも、少し違った角度から現代アートの「特性」について考えます。ここでポイントとなるのは、「近代美術」と「現代アート」を隔てる、曖昧な、しかし確かに存在する境界です。本連載の初回(そもそも「現代アート」って何?──現代アートの「定義」)で、あまり耳慣れない学術用語を援用すれば「自己言及性(再帰性)」──自分自身を行為や指示の対象に含めること──という観点から、近代美術と区別される現代アートの定義を導出しました。すなわち、「自分自身=芸術とは何か?」を恒常的に問い続ける営みが、現代アートの実践であるというとらえ方です。
これまで本連載では、具体的な芸術作品を例に挙げながら、現代アートにまつわる様々な議論を展開してきました。本稿ではやや趣を異にして、近代から現代へと至る芸術論や美術批評の歴史的流れを概観することを通じて、現代アートの特性を抽出してみようと思います。つまり、今回は現代アートの実践面ではなく理論面に着眼します。学者や批評家が「芸術」なるものをどのように理解し、いかなる仕方で論じてきたかに関する変遷の大筋をたどることで、僕は「近代美術」から「現代アート」へと変化を遂げる瞬間をおぼろげながらも画定することを目論んでいます。ただし、その変化は必ずしも直線的な「進歩」とは断言できないこと、そして当然ながら本稿が描く「大筋」の例外を構成する論者や著作も複数存在することは一言申し添えておきます。