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地域レビュー(中国):筒井彩評「第12回ヒロシマ賞受賞記念 メル・チン展」(広島市現代美術館)/KIT Miyauchi 02 篠藤碧空 「シノトー・イモータル・センター 死ぬのが怖い!美術研究所」(アートギャラリーミヤウチ)【2/2ページ】

「死にたくない」すなわち「生きたい」

夏休みプロジェクト KIT Miyauchi 02 篠藤碧空「シノトー・イモータル・センター 死ぬのが怖い!美術研究所」(アートギャラリーミヤウチ)

 続いて、物づくりや展示室からの脱却を図り、すでに国際的な評価を得ているメル・チンとは対極に位置づけられる作家の展覧会を紹介しよう。広島県・廿日市市のアートギャラリーミヤウチでは、広島出身の若手作家、篠藤碧空(1999〜)の展覧会が行われている。

篠藤碧空《Skullpture(明日のある死者たち)》(2026)、人型の骸骨2点が回転している様子 撮影:五十嵐ヨウ

 一番に目を引く、踊る骸骨の作品《Skullpture(明日のある死者たち)》(2026)は、造形性が際立つ作品だ。この骸骨たちは、モーターによって「死の舞踊(ロンド)」を踊っている。ダンス中の骸骨は騒々しくモーターの音をさせているが、時折挟まれる休憩では微動だにせず、まるで生と死の間をさまよっているようである。この骸骨は、細い針金で繊細な印象は受けるものの、激しいダンスに耐え、一目で人骨を想起できるほど精巧なつくりになっており、篠藤の形に対する鋭い感覚とこだわりを感じさせる。

手前が篠藤碧空《手動式跳ねネコ往復器》(2026)、奥が篠藤碧空《審判から逃げ出す心臓》(2026) 撮影:五十嵐ヨウ

 会場内は、踊る骸骨と害獣の骨格に加え、古代エジプト神話をモチーフにした《審判から逃げ出す心臓》(2026)、猫にまつわる迷信を形にした《手動式跳ねネコ往復器》(2026)、そして制作に用いる道具を埴輪と同じ方法で模って制作した作品群と、様々な角度から死後の世界と向き合った作品が展示されている。しかし、「死」という単語から想起させる暗さや不安感はあまり感じられない。むしろタイトルに「死ぬのが怖い!」とあるように、全体に「生」への活力がみなぎり、「生き続ける」ことへの純粋な期待、「明日がある」ことへの希望に溢れている。「不死」を求めることは死ぬことへの恐怖から生まれると思っていたが、ここではそうした恐れや不安は感じられない。

 会場全体に漂う微かに快活な雰囲気は、踊る骸骨や走るカノプス壺、時計の振り子のように動く猫たちのフィジカルな強さに加えて、篠藤が潜在的にもつ、「明日を生きたい」「生きたいに違いない」という生への迷うことなき肯定的な姿勢によってもたらされているのだろう。

モニターの映像は篠藤碧空《幽霊の作り方》(2024) 撮影:五十嵐ヨウ 
篠藤碧空《幽霊の作り方_2》(2026) 映像・机ほか 撮影:五十嵐ヨウ 

 篠藤はさらに《幽霊の作り方》(2024)、《幽霊の作り方_2》(2026)において、不死のひとつの可能性として幽霊になることを試みている。いずれも幽霊になろうと試みる様子を映像で捉えた作品で、1作目では幽霊の定義を試みているが、2作目では幽霊をつくり出すためには人の認識と出没する場所が欠かせないという考察から、事故物件の創出を試みている。小さな部屋の中をうろうろと歩き回る幽霊になりきった篠藤の姿は、1作目のヴァーチャル背景の前で逆立ちして朗読し続ける姿よりも、より身体性、物質性を帯び、不思議と映像越しでも生の気配が強く伝わる作品となっている。

 現代の日本においても幽霊の存在は有効だ。1000年以上さかのぼる話でも、菅原道真(845〜903)や平将門(903〜940)らはいまだ「生きた話」として我々の生活に息づいている。現代にまで拠り所となる場所を維持し、大衆の記憶に定着させられるほどの強い物語性を持つ彼らは、篠藤からしてみれば、いまも生きていることになるのだろう。篠藤の視点から見た不死の可能性が今後どのような展開をしていくのか、また篠藤の不死に対する関心が何によるのか、その全容が明らかになる日を楽しみにしている。

 メル・チンは、美術館が墓場にならないためには、変革が必要であることを指摘しつつも、その墓場に収められうる造形的な作品を制作した。いっぽうで、篠藤は美術館が墓場であるならば、作家は作品という幽霊をつくる存在、と制度を軽やかに受け入れている。数十年後、数百年後、美術館という場をどのような姿にしていきたいのか、改めて問いを投げかけられる2つの展覧会であった。

編集部