美術館は「実験室」になれるのか
「第12回ヒロシマ賞受賞記念 メル・チン展」(広島市現代美術館)
今年、美術を通して「ヒロシマの心」を広く世界へアピールすることを目的とするヒロシマ賞に選ばれたのは、アメリカ生まれのアーティスト、メル・チン(1951〜)である。環境問題をはじめとする様々な社会問題に着想を得て、多様な手法を用い、地域住民を活動に巻き込むことで、複雑な社会問題への市民意識を喚起してきたことが受賞理由だ(*1)。展示内容については、「美術手帖」のレポートで詳細が述べられているので、ここでは「ヒロシマの心」とチンが結びつくことによって本展がどのようなものになったのかを見ていきたい。

本展は、第1章「奇妙な花の下で」と第2章「逃れられない歴史」から構成される。第1章は、アメリカ軍の巨大爆弾「デイジー・カッター」を竹と紐でつくった《私たちの民主主義の奇妙な花》(2005)を中心に展開する。展示会場に足を踏み入れてすぐ目の前にそびえるこの作品は、民主主義を爆弾という破壊の形で表すことで、民主主義を守りたいのは一体誰なのか、そしてどのように暴力が正当化されるのか、考える機会をもたらしてくれる。

第1章の作品は、共通して民主主義とそれを正当化するための軍事行動に結びつくもので、2001年9月11日の同時多発テロをひとつの契機に、チンが国家による暴力や社会の支配構造が残す傷跡に目を向けたことがうかがえる。そのまなざしは、南北戦争やベトナム戦争、原爆投下、そしてアルカイダまで、国や時代を問わず繰り返されてきた暴力の歴史を浮き彫りにする。《カロライナの亀(ヒルビリーの鎧)》(2005)では、スクラップ材料に潜むスーパーのカートが、間に合わせの装備を強いられる兵士への国家の非情さと、戦争が日常の延長であり、戦争の傷跡が生活に潜むことを示唆している。

また、《許されざる者の十字》(2002)は、AK-47自動小銃によって中世の十字軍が形づくられている。「聖戦」の名の下に掲げられてきたシンボルと、反西洋・反体制の抵抗運動のなかで用いられてきたAK-47が組み合わさること、そしてそれが広島で展示されることによって、戦争による暴力に明確な被害者/加害者は存在しえないことを思い起こさせる。
こうして見ると、チンの社会的・政治的メッセージを造形的な手法で表現する点が際立つが、実際にもっとも評価されているのはこうした造形作品ではなく、アートの枠組みを超えて人や知識、制度や物質をつなぎ、変質させていく点にある(*2)。そうしたチンの多面性をすくい上げるのが第2章だ。

自身のルーツに言及する作品があるかと思いきや、言葉や知識、権威がもつ力に警鐘を鳴らしたり、マルセル・デュシャンへのオマージュがあったりと、一言でまとめられることを拒むように様々な作品が並べられている。なかでも代表作である《リヴァイヴァル・フィールド》(1991〜)は、汚染された土壌を、重金属を集積できる植物を用いて浄化していくプロジェクトだ。アートだけでは超えられない壁を、科学の力を用いて試行錯誤しながら乗り越えていくその姿勢は、アトリエと展示室で完結する関係性の限界をも示唆している。
私はコミュニティ・プロジェクトを始めるとき、展示を念頭に置いたことは一度もありません。この作品を展示する美術館は、単に「証拠」を展示するだけではいけない。行動に参加しなければならないのです。(*3)
チンは、アーティストを「思索者、実験者」と位置づけるとともに、美術館にも「実験室」となる可能性を問うている。「制度(美術館)はより良いプレイヤーへと進化できるのか?(Can the institutions evolve into better players?)」(*4)と。
チンのまなざしは国際政治や環境問題だけでなく、アート業界の制度内にも向けられている。業界の変革を見守るばかりの制度そのものに、変革の責任を問う一面もあるのだ。

展覧会の最後では、ヒロシマ賞受賞を記念して制作された《招待》(2026)が展示されている。マンガ『はだしのゲン』の作者、中沢啓治(1939〜2012)へのオマージュとして、陣太鼓の上に立つ少年が前方に手を差し伸べている作品だ。様々な手法を用い、環境問題や政治問題と向き合うことで、社会に働きかけてきたチンが、ここで具象的な造形作品という手段を選んだ点が興味深い。チンがこの新作に託した思い、そして今後、「より良いプレイヤー」によって、この作品が広島でどのように位置づけられていくのかにも注目したい。
*1──広島市現代美術館公式サイト。https://www.hiroshima-moca.jp/info/hiroshima-art-prize(最終閲覧日:2026年8月24日)
*2──メル・チンの活動については、アーティストのホームページ(https://melchin.org)に加え、以下を参照した。Saul Ostrow, “Interview: Mel Chin,”B OMB Magazine, 2016/9/15 https://bombmagazine.org/articles/2016/09/15/mel-chin/(最終閲覧日:2026年8月24日); Seph Rodney, “Mel Chin and Art that Is Proof of Life,” Hyperallergic, 2018/7/26 https://hyperallergic.com/mel-chin-all-over-the-place-queens-museum/ (最終閲覧日:2026年8月24日)
*3──Ostrow, op. cit.
*4──Ibid.
「死にたくない」すなわち「生きたい」
夏休みプロジェクト KIT Miyauchi 02 篠藤碧空「シノトー・イモータル・センター 死ぬのが怖い!美術研究所」(アートギャラリーミヤウチ)
続いて、物づくりや展示室からの脱却を図り、すでに国際的な評価を得ているメル・チンとは対極に位置づけられる作家の展覧会を紹介しよう。広島県・廿日市市のアートギャラリーミヤウチでは、広島出身の若手作家、篠藤碧空(1999〜)の展覧会が行われている。

一番に目を引く、踊る骸骨の作品《Skullpture(明日のある死者たち)》(2026)は、造形性が際立つ作品だ。この骸骨たちは、モーターによって「死の舞踊(ロンド)」を踊っている。ダンス中の骸骨は騒々しくモーターの音をさせているが、時折挟まれる休憩では微動だにせず、まるで生と死の間をさまよっているようである。この骸骨は、細い針金で繊細な印象は受けるものの、激しいダンスに耐え、一目で人骨を想起できるほど精巧なつくりになっており、篠藤の形に対する鋭い感覚とこだわりを感じさせる。

会場内は、踊る骸骨と害獣の骨格に加え、古代エジプト神話をモチーフにした《審判から逃げ出す心臓》(2026)、猫にまつわる迷信を形にした《手動式跳ねネコ往復器》(2026)、そして制作に用いる道具を埴輪と同じ方法で模って制作した作品群と、様々な角度から死後の世界と向き合った作品が展示されている。しかし、「死」という単語から想起させる暗さや不安感はあまり感じられない。むしろタイトルに「死ぬのが怖い!」とあるように、全体に「生」への活力がみなぎり、「生き続ける」ことへの純粋な期待、「明日がある」ことへの希望に溢れている。「不死」を求めることは死ぬことへの恐怖から生まれると思っていたが、ここではそうした恐れや不安は感じられない。
会場全体に漂う微かに快活な雰囲気は、踊る骸骨や走るカノプス壺、時計の振り子のように動く猫たちのフィジカルな強さに加えて、篠藤が潜在的にもつ、「明日を生きたい」「生きたいに違いない」という生への迷うことなき肯定的な姿勢によってもたらされているのだろう。


篠藤はさらに《幽霊の作り方》(2024)、《幽霊の作り方_2》(2026)において、不死のひとつの可能性として幽霊になることを試みている。いずれも幽霊になろうと試みる様子を映像で捉えた作品で、1作目では幽霊の定義を試みているが、2作目では幽霊をつくり出すためには人の認識と出没する場所が欠かせないという考察から、事故物件の創出を試みている。小さな部屋の中をうろうろと歩き回る幽霊になりきった篠藤の姿は、1作目のヴァーチャル背景の前で逆立ちして朗読し続ける姿よりも、より身体性、物質性を帯び、不思議と映像越しでも生の気配が強く伝わる作品となっている。
現代の日本においても幽霊の存在は有効だ。1000年以上さかのぼる話でも、菅原道真(845〜903)や平将門(903〜940)らはいまだ「生きた話」として我々の生活に息づいている。現代にまで拠り所となる場所を維持し、大衆の記憶に定着させられるほどの強い物語性を持つ彼らは、篠藤からしてみれば、いまも生きていることになるのだろう。篠藤の視点から見た不死の可能性が今後どのような展開をしていくのか、また篠藤の不死に対する関心が何によるのか、その全容が明らかになる日を楽しみにしている。
メル・チンは、美術館が墓場にならないためには、変革が必要であることを指摘しつつも、その墓場に収められうる造形的な作品を制作した。いっぽうで、篠藤は美術館が墓場であるならば、作家は作品という幽霊をつくる存在、と制度を軽やかに受け入れている。数十年後、数百年後、美術館という場をどのような姿にしていきたいのか、改めて問いを投げかけられる2つの展覧会であった。






























