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地域レビュー(東北):村上由鶴評「風間サチコ展:方丈ルームの1000里眼」展(弘前れんが倉庫美術館)/「日比野克彦 ひとり橋の上に立ってから、だれかと舟で繰り出すまで」展(八戸市美術館)

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では村上由鶴(写真研究/美術批評)が、東北エリアで開催された展覧会から「風間サチコ展:方丈ルームの1000里眼」展(弘前れんが倉庫美術館)と「日比野克彦 ひとり橋の上に立ってから、だれかと舟で繰り出すまで」展(八戸市美術館)の2つを取り上げる。

文=村上由鶴

「日比野克彦 ひとり橋の上に立ってから、だれかと舟で繰り出すまで」展の展示風景。手前に広がる《on the bridge》(部分、2002 / 2025-26)と、壁面の《忠節橋》(2002) 撮影:神智 写真提供:八戸市美術館

個の隠棲と全体主義の誘惑

「風間サチコ展:方丈ルームの1000里眼」展(弘前れんが倉庫美術館

 本展の会場になっている弘前れんが倉庫美術館は、1900年代初頭に建造された煉瓦造りの酒造工場を改修した美術館である。風間サチコ(1972〜)の大規模個展が、この日本の近代化の遺産を活用した美術館で行われていることは示唆的だ。その展示室の中心にあるのが、今回の展覧会のタイトルにもなっている「方丈ルーム」である。風間の作品のリファレンス元となった近代の遺物が並ぶ小さな部屋は、彼女の頭のなかを具現化したような空間だ。

「風間サチコ展:方丈ルームの1000里眼」展の展示風景。中央にあるボックス状の空間が「方丈ルーム」 ©︎Sachiko Kazama Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production Photo by Ryo Narita
「方丈ルーム」の内部。古本や古雑誌、古絵葉書など、風間のアトリエから運び込まれた資料の一部が並ぶ ©︎Sachiko Kazama Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production Photo by Ryo Narita

 本展のタイトルにある「方丈ルーム」は、鴨長明(1155〜1216)が『方丈記』(1212)を執筆した四畳半ほどの部屋に由来するという。鴨長明はこの「方丈」に住み、隠棲生活を送りながら、地震や大火、末法の世を観察したエッセイストであった。『方丈記』にある「恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震なりけり」という言葉は、約800年の時を超えて、まさに今日の災厄の光景を物語っているかのようでもある。いっぽうの風間もまた、東京の四畳半の居室と六畳のアトリエがある日本家屋で過ごしながら、過去と現代の社会のシステムを煮詰めたパラレルワールドの災厄を、あたかも現実に起こったかのように(あるいは未来を予言するように)鑑賞者の目の前に立ち上げている。

風間作品のなかでも最大規模のサイズを誇る《ディスリンピック2680》(2018)木版画(和紙、油性インク) ©︎Sachiko Kazama Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production Photo by Ryo Narita

 風間の木版画には、近代化のなかで生じた、人間をランクづけし、動員し、排除し、使い捨てる社会システムが繰り返し登場する。例えば、代表作《ディスリンピック2680》(2018)は、「優生思想」や、国家権力が労働力・戦力として活用しやすい「健康な人間」を求める管理システムをモチーフとした、本展のハイライトだ。風間は小中学校時代に体が弱く、義務教育をきちんと受けていないという(*1)。義務教育は、もちろん必要な教育を受けさせる場であるが、その根底には集団への同一化のために「健全さ」を求める社会の価値観がある。風間の子供の頃のエピソードや作品からは、集団のなかで個人性が剥ぎ取られ、人間がシステムの一部として組織化されていくことへの強い嫌悪がうかがえる。しかし同時に、その集団性を象徴するマスゲーム的な集団行動や人間ピラミッドなどが好んで描かれてもいるようにも見える。さらに、昭和後期の少年/青年マンガ的なタッチと、変身、攻撃、戦闘といった身体的かつ攻撃的な要素もそれに拍車をかけている。「人がゴミのようだ!」というセリフは映画『天空の城ラピュタ』(宮崎駿監督、1986)に登場するムスカ大佐のものだが、細かく彫り込まれた一人ひとりの小ささを見ると、この言葉が思い起こされる。あの悪役のような心性を鑑賞者に抱かせる力が、風間の作品にはある。

弘前での個展のために制作された新作「黒札」シリーズ ©︎Sachiko Kazama Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production Photo by Ryo Narita

 黒白の木版画で知られる風間だが、本展では油彩画の制作にも新たに挑戦している。木版画は、緻密な下絵をあらかじめ設計する厳密な計画性に基づいている。それに対し、油彩やアクリルの絵具を用いた制作のプロセスは対照的だ。そのためか、本展で見られる油彩画は木版画の硬質なコントラストとは異なり、絵本のような柔らかく爽やかな色調となっている。筆者がとくに印象的だったのは、地方札である「黒札」をモチーフにした新作のアクリル絵画の作品群だ。東北地方北部でかつて遊ばれていた黒札のデザインに着目したという本作は、風間の緻密な木版画作品の背景にあるコラージュ的な手法が、アプロプリエーションとして展開されている。しかしいっぽうで、どこか風間のオリジナルの図柄のようにも見える。

 また、風間は版画のアーティストでありながら、1点ものの作品をつくるアーティストでもあり、したがって版木も作品の一部となっている。版画というメディアにおいて、通常は複製を生み出す手段である版木は、オリジナルでありながら表には出ず、鑑賞者には意識されない存在だ。

 《ゲートピア No.3》(2019)では、額装された版画の隣にその版木が並べて展示されている。本作では、黒部川第三発電所建設を支えた労働者の歴史と、ダムの建設によって水没の危険性が生じたアブ・シンベル神殿の移設プロジェクトという2つのエピソードが重ね合わされている。版画ではダイナマイトを手にした朝鮮人労働者の姿が描かれているが、版木ではその姿が削り取られている。近代化を支えた人々とその過酷な歴史を語り継ぐ物語のなかでさえ、ある存在が黙殺され、抹消されていく現実を、風間は版木から削り取ることで表現している。

 「FLOW」シリーズでは、左右に版画と版木を鏡のように組み合わせて、1枚のイメージをつくり出している。刷った後の版木をさらに彫り進めることで生じる版画と版木の構図の違いと、それが対置されることで現れる全体像は、どれが「オリジナル」なのかを撹乱する。この版画というメディアへの探究は、風間が作中の虚構に社会の不条理なシステムの真の姿を映し出していることを、構造的に支えている。

左から《風雲13号地》(2005)文化庁、《噫!怒涛の閉塞艦》(2012)東京都現代美術館 ©︎Sachiko Kazama Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production Photo by Ryo Narita

 風間は社会批評的なアーティストとして知られているが、筆者のわたしは長らく風間について、社会的なテーマを扱いつつも、社会に対して何かを訴えることや政治的なメッセージを伝達することにはあまり関心がないのではないか、と感じてきた。ディストピア的な全体主義や、破壊、生贄、大量死……といった近代の災厄の光景を描くこと、あるいは、だじゃれやブラックユーモアが散りばめたイメージをつくることそれ自体が楽しくて仕方がない、というように見えていたからである。そのため、テーマは副次的なものなのだろうと感じてきたし、現実の社会的な課題をつまみ食いしているかのような印象を受けたことすらあったほどだ。

 しかし、「方丈ルームの1000里眼」と題された本展は、筆者が『方丈記』とのつながりから風間の制作を再考するきっかけとなった。災厄の時代に小さな部屋から応答し、その光景をかき留める姿は、確かに鴨長明と重なる。風間の制作がつまみ食い的なものではもちろんありえないこと(それは当たり前のことである。あれほどの手数をアシスタントの手を借りずにひとりでこなすこと、あの信じられないような作業量が「つまみ食い」なわけはないのだけども)も、過去作から近作までを概観できる本展で確認した。「つまみ食い」どころか、近代の「毒を食らわば皿まで」飲み込むようにして、「毒」としての出来事(ソフト)と、それを象徴して下支えする「皿」としての構造や建築物(ハード)の双方が、作品へと同時に出力される。だからこそ風間の作品は、壮大な虚構を描きながらも頑強さを感じさせるのだろう。

 アシスタントを雇わず、すべてをひとりで緻密に構築する方丈の「風間ランド」での個人の制作スタイルは、全体主義や集団性への抵抗の現れにも感じられる。しかし作品からは、ファシズムの美学への切望もやはり同時に感じざるをえない。そして、この絵画に魅入られているわたしもまた、健全な肉体、優良さ、有用さを誇り、それに当てはまらない人を排除する思想を暗に肯定し、惹かれてしまうところがあるのではないか。そう指をさされた気がして恐ろしくなった。

*1──「風間サチコインタビュー[横浜市民ギャラリーあざみ野]」浜市民ギャラリーあざみ野  Yokohama Civic Art Gallery Azamino、2016年10月6日[最終閲覧2026年8月13日]https://www.youtube.com/watch?v=1AEbSUovlf4

「ひとり性」の否定と蘇生

「日比野克彦 ひとり橋の上に立ってから、だれかと舟で繰り出すまで」展(八戸市美術館

 わたしのSNSのアルゴリズムは、「美大に行かなくてもアーティストになれる」「美大に行くことがアーティストには必須」という、「アーティストはどのような存在か」という信念をめぐる応酬をたびたび差し出してくる。わたし自身は美術大学に勤めていて、望もうが望むまいが、美術大学の必要性および権威性を維持・温存する側に立っているので、直接その論争に参加することはない。けれども、わたしはこの論争そのものを、日本で美術がどう捉えられているかを示すある種の指標のように観察し、そこで立ち上がってくる素朴な「美術」観や「アーティスト」像を興味深く、そして、美術大学が提示するそれとのすれ違いをどこか面白いものとして見てもいる。先日足を運んだ「日比野克彦 ひとり橋の上に立ってから、だれかと舟で繰り出すまで」展(八戸市美術館)を鑑賞しながら、まさにこの論争を思い出していた。

 日比野克彦(1958〜)は東京藝術大学の学長である。言わずと知れた美大中の美大、この国でもっとも権威ある芸術大学の長だ。本人が望むと望まざるとにかかわらず、彼は日本のアート界の最高権威におけるひとりである。しかしその日比野は、ダンボールで作品をつくるアーティストとして知られているし、わら半紙などの身近で素朴というよりは質素な支持体を絵画に用いてもいる。さらには、他者の手が自身の作品や展覧会に入り込んでくることにも抵抗がないように見える。ここには、例の論争で立ち現れる「美術」観や「アーティスト」像とのねじれがある。

「日比野克彦 ひとり橋の上に立ってから、だれかと舟で繰り出すまで」展の展示風景。手前はダンボールで制作された《オートバイ》(1984) 撮影:神智 写真提供:八戸市美術館

 「アーティスト」とは優れた能力を備えた個人だと考えられている。頭のなかにあるビジョン、独自の技巧、自身の内面から湧き出るイメージをうやうやしく作品化して美術館に鎮座させ、鑑賞者はそれをありがたく拝む。「アーティスト」という言葉には、こうした「秀でたひとり性」の含意が否応なくつきまとう。これに対して本展は、タイトルの「ひとり橋の上に立ってから、だれかと舟で繰り出すまで」が示すように、日比野がアーティストとしての「ひとり性」を退けようとしてきた企みを振り返るものと言えるだろう。日比野の作品は偶然性を取り込み、高尚さを排している。ひとりで美の道を求道するものではないし、絵画も一見すると技巧を誇るようには見えないかもしれない。にもかかわらず、日比野は権威である。というか、だからこそ日比野は権威である。いわば、この「ひとり性」の否定こそが、現代において美術を学んだ先にたどり着く王道なのである。

 日比野はあらゆる方法で、「偉大な」「立派な」「高尚な」、そしてなにより「ひとりの」芸術家像から離れようと試みてきた。利き手ではない左手で描いて技巧の自縄自縛から逃れること。あるいは美大時代、講師に「わら半紙で描いたほうが日比野らしい」と言われ、「えーっ、わら半紙のほうがいいのか(笑)」と素直にその評を受けとめて自分の表現の道を見つけ出すこと。彼は小学生時代の習字の体験についてこうも語っている。

書道教室が盛んな時代でしたが、僕は習っていなかったから、字を書くと半紙が破れたりして、習字の時間は楽しくありませんでした。隣の席にとてもきれいな字を書く女の子がいたのですが、あるとき習字の先生がその女の子に「日比野みたいに書いてみなさい」って言ったんですよ。びっくりしましたが、それから習字の時間がすごく好きになりました(笑)。(*2)

 学校という場は、日比野を画一的な「正解」としての美術に押し込める場所ではなかった。それはきわめて幸せな教育の体験だったはずだ(それは、誰もが享受できるわけではない幸運でもあるし、そのことこそが冒頭の論争の火種になっているようにも思う)。出会いや他者の言葉に素直に反応することによって築き上げられた日比野のひとりの作家としての特質は、孤高の天才が内に潜って生み出す芸術ではなく、外部との関係性のなかで立ち現れたものであり、「だれか」なしには成立しえなかったものでもある。

ロックミュージカル『時代はサーカスの象にのって '84』のために制作された舞台美術(1984) 撮影:神智 写真提供:八戸市美術館

 「アーティスト」とは優れた能力を備えた個人である、と先に書いた。実際、それ自体は間違いではないし、否定されるべきことでもない。個人の秀でた能力を誇ることやそれに憧れることを禁じる社会は、きっとそのうち美術そのものの存在を許さなくなるだろう。

 本展において、日比野はダンボール作品やコラボレーションの場だけを展示しているわけではない。例えば福祉施設等との交流事業「TURN」の活動をまとめた「わたしはちきゅうのこだま」シリーズや、1993年の油彩画「消える時間」シリーズは、「ひとりにならざるをえなくなった」ときの彼の内面から立ち上がってきたイメージを捉えた作品だ。いずれも構図やモチーフ、配置や色調が、画角の中に絶妙な均衡を保って表現されており、日比野の画家としての突出した才能が現出している。なかでも「消える時間」のシリーズは、八戸市美術館の展示空間では小さな展示室の壁面のかなり上部に設置されているため、鑑賞者はアーティストの内的な世界を見上げる姿勢を取ることになる。ここでは、日比野のアーティストとしての「ひとり性」が蘇生されているようにも感じられた。

福祉施設等と取り組んだアートプロジェクト「TURN」での活動のひとつ「わたしはちきゅうのこだま」(2020)シリーズ 写真提供:八戸市美術館

 ところで、奇しくもこの原稿を準備しているとき、熊本でまた大きな地震があった。人的被害の少なかった最近の地震に慣れて、わたしは日本の災害を少し甘く見ていたのだと思う。本当は、ずっと復興の途上にある場所が日本国内にいくつもある。日比野が現在館長を務める熊本市現代美術館も、少しのあいだ休館を余儀なくされていた。2009年に同館で行った展覧会「HIGO BY HIBINO」に際して、日比野は「『一人では何も出来ず』という前提で生きていくために、一人ではないような状況を企てる。もしくは企てられた場所に身を委ねる」(*3)と書いていた。だからこそ、きっといまもその状況に応答しながら、そこに制作の可能性を見出しているのかもしれないと想像する。「ひとり」の「アーティスト」という権威性を回避して、「だれか」ありきの状態に身を置こうとする日比野は、この状況下にあるべきアーティストの在り方そのものをきっと制作しているのだろう。

 熊本の地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

*2──日比野克彦『日比野克彦 ひとり橋の上に立ってから、だれかと舟で繰り出すまで』Ballen Press、2025年、13頁。
*3──前掲書、107頁。

編集部