KEYWORD 1:方丈ルームに宿る千里眼
「風間ランド」と、過去・現在・未来を見通す視点
展覧会タイトルの「方丈ルームの千里眼」は、風間サチコさんご本人から提案された言葉です。「方丈」とは、鎌倉時代の随筆家・鴨長明(1155〜1216)の『方丈記』(1212)からとったもので、長明が方丈(四畳半ほど)の小さな空間に好みのものを置き、俗世から距離を置いて過ごした姿に由来しています。風間さんもご自身のアトリエを「風間ランド」と呼び、自室に身を置きながら、スマホやテレビ、古い雑誌などを手がかりに世界を見つめています。その引きこもる環境や創作活動の在り方が長明の空間を連想させたことから、「方丈ルーム」という言葉が誕生しました。
もうひとつの「千里眼」は、風間さんの思索をめぐらせる力を表しています。風間さんは黒⼀⾊での⽊版画を主な表現手段とされており、描かれるモチーフは、過去の歴史をリサーチし、それに触れた現在の彼女の感情を織り交ぜながら、未来を想像することで生み出されます。過去・現在・未来を見通す風間さんご自身の視点こそが、この「千里眼」なのです。風間さんは大型の木版画もすべて自らの手で彫り、刷るスタイルを初期から続けています。最初から大きな紙や板を扱うのは難しいため、板を何枚かに分割して彫り、最終的に刷る段階で1枚の紙に結合させて大型作品を完成させています。
KEYWORD 2:空想と現実のズレ
社会・政治との距離、そしてロマン主義的な目線
風間さんはテレビや新聞などで伝えられるニュースや歴史上の出来事に目を向けながら、近代化の過程で生じた様々な違和感を出発点に制作を行うことで知られています。ただ、歴史や社会問題をそのまま再現・描写しているわけではありません。絵のなかで起こっていることはすべてが現実ではなく、独自の視点や想像を介在させています。ここがルポルタージュ作家とは異なる重要なポイントです。

風間さんは過去のインタビューで「社会的役割を担っているから美術家でいられるという安心感を持つのは危険」(*1)と語っています。歴史や社会問題を扱うからこそ作品に価値がある、という認識とは一線を画しており、はっきりと善悪や政治的判断を下すような表現はしていません。画面に現れるのは、あくまで作家個人の内側からあふれ出る想像や感情が入り混じった世界です。この「空想と現実のズレ」は、社会問題をテーマに据えつつも、自身の内面から生じるロマン主義的な要素を重視しているからこそ生まれるものだと言えます。
このズレを生むインスピレーションの源泉となっているのが、古書店やネットオークションなどで自ら蒐集を続けている古書や古雑誌、絵葉書などです。蒐集の対象は多岐にわたりますが、主な関心は、戦前から戦後にかけての文化や歴史を俯瞰できる資料などです。こうした資料の蓄積が、国家や社会のシステムに対する違和感と融合し、独自の画面が生み出されていくのです。コレクションの過程で芽生えた作家自身の生々しい感情を、生きたまま画面のなかに留めておきたい。その強い想いがあるからこそ、たんなる事実の記録を超えた「空想と現実のズレ」が立ち上がってくるのではないでしょうか。
KEYWORD 3:油彩画への挑戦
弘前来訪が生んだ新境地のロマン主義
本展のテーマが生まれるきっかけは、およそ11年前の2015年に遡ります。当時、風間さんが青森国際芸術センター[ACAC]のレジデンス期間中に弘前を訪れた際、古書店で出会ったのが、19世紀フランスの幻想小説、ヴィリエ・ド・リラダン(1838〜89)の『トリビュラ・ボノメ』(渡辺一夫訳、白泉社、1940)でした。本書は、本展の構想の手がかりとなり、「白鳥」のモチーフの源泉となっています。弘前での個展にあわせて制作された油彩画の新作《ありがとう、我が愛する白鳥よ!》(2026)は、青森県夏泊半島にある白鳥の飛来地の伝説と、風間さんが愛するリヒャルト・ワーグナー(1813〜83)のオペラ『ローエングリン』(1850)といったモチーフがさらに重なり合うかたちで、その世界観が描かれています。

風間さんが油彩という手法に取り組むのは美術学校以来のことで、展覧会での発表は今回が初めてです。「ロマン主義といえば油絵」という発想からこの手法を選ばれたそうですが、多色を扱う画面づくりにはかなり試行錯誤されたようです。いっぽうで、その筆致には彫刻刀で削ったような版画由来のタッチも意識的に取り入れられています。純粋な関心によるロマン主義的な表現と、弘前で出会ったものが結晶化した、新たな境地と言える作品です。
*1──「ARTIST INTERVIEW 風間サチコ」(聞き手=藪前知子)『美術手帖』2018年8月号特集。https://bijutsutecho.com/magazine/series/s31/24494
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