一針に記憶を、細部に美意識を。アーティスト・菅野湧己が出会うDS「N°4」の手仕事

お菓子のパッケージや着古された衣服など、日常にあるものを糸でかたちづくる菅野湧己。その作品がとどめようとするのは、ものの姿だけではなく、誰かと過ごした時間や忘れかけていた記憶の気配だ。フランスの職人技術「サヴォア・フェール」をものづくりの礎に据えるDSオートモビルの「N°4」を前に、糸と向き合うアーティストが、細部の仕立てと、ものに積み重なる時間について語った。

聞き手・文=倉持佑次 撮影=morookamanabu

DS 「N°4」と菅野湧己

 素材の選び方から細部の仕上げまで、フランスに受け継がれる職人技術をクルマづくりに取り入れるDSオートモビル。その姿勢を表す言葉が、「匠の技」を意味する「サヴォア・フェール」だ。新型ハッチバック「N°4」は、幾何学的な造形と光を組み合わせたフロントフェイスを備え、室内には柔らかな感触のアルカンターラ®や、パリの伝統装飾に着想を得た「クル・ド・パリ」パターンを採用。乗り込む人が目を向け、手で触れるところにまで、素材と意匠への配慮を行き渡らせている。

  このクルマに、糸を扱う作家は何を見るのか。今回N°4と向き合った菅野湧己は、「記録されなかった記憶の気配」をテーマに、身近なパッケージや衣服などを刺繍によって表現している。見覚えのあるロゴやかたちを保ちながら、輪郭からは糸が垂れ、ところどころに隙間が残る。その姿には、確かに覚えていることと、いつの間にか忘れてしまったことが入り交じる、私たちの記憶にも似た曖昧さがある。制作のなかで大切にしているのは、ものを完全に再現しきることではないという。手を動かす時間を通して何を縫いとめ、どのような余地を残しておくのか。まずは、糸を使った表現の始まりから話を聞いた。

星をかたどったような「N°4」の「アロイホイール」

日常のものから、記録されなかった記憶へ

──お菓子のパッケージや衣服などを糸でかたちづくる、現在の表現はどのように始まったのでしょうか。

菅野湧己(以下、菅野) いろいろなメディアで制作するなかで、いちばん自分の手になじんだのが糸でした。糸でつくると、すごく時間がかかるんです。そのぶん、目の前のものに時間をかけて向き合うことになる。「縫いとめる」という行為自体も、自分の考えていることにしっくりきました。

 実物を見ながら最初につくったのは、iPhoneのホーム画面をモチーフにした《離れられない》という作品です。当時は自分でもスマホを触りすぎかなと思っていて、その画面を見ながら制作していました。最初は発表もせずに壁に掛けていたんですが、あるときふと見て、意外と面白いかもしれない、と後から気づいたんです。

《離れられない》(2025) 刺繍、糸 13×6.5×0.5cm  ©wakumikanno

 「記録されなかった記憶の気配」というテーマも、最初からはっきり決まっていたというより、うっすら考え続けてきたことでした。私も出かけた先で写真を撮りますが、写真という瞬間的な記録には収まらないものがあります。誰かと一緒にお菓子を食べたことや、遊びに行った夜のこと。身近なものにひもづいた、そういう些細な記憶を拾い上げたいと思っています。

──たくさんの身近なものから、モチーフを選ぶ基準はありますか。

菅野 いちばん大きいのは、自分が好きなもの、よく食べるもの、昔使っていたものです。食べながら「これを作品にしよう」と思うこともあります。そのときどきに気になっているものを選ぶので、決まった基準があるわけではないですね。ただ、記憶や思い入れと同時に、そのもののかたちやデザインが好きだということも大切です。ものとしての面白さが、自分の記憶に直結しているところもあります。

 デニムを作品にしたときには、扱う時間の軸が大きく変わりました。モチーフにしたのは1980年代の古着で、当時それを着ていた人がいて、その後にも別の誰かが着ていたかもしれない。擦れたところには、私ではない誰かの記憶や気配がある。それを、いまの自分がもう一度とどめるんです。自分が食べたお菓子とは違って、ものがすでに持っている他者の記憶を扱うことになる。さらにデニムには労働にまつわる歴史もあって、個人的な記憶だけではない時間が含まれていると感じています。

ジャケットは《いないかたち》、パンツは《ぬけたあとに》(ともに2026) 糸 78×73×3cm、102×41×2.5cm  ©wakumikanno

変わり続ける記憶を、「仮縫い」する

──ものに結びついた記憶を、写真で記録することと、糸で縫いとめること。その違いをどのように考えていますか。

菅野 例えば、お菓子のパッケージなら、企業のホームページに昔のデザインがアーカイブされていることがあります。でも、小さい頃に親に「買って」と頼んで食べた記憶は、どこに保存されるんだろうと思うんです。私が「記録されなかった記憶」と呼んでいるのは、そういうものです。

《味は同じって、わかってたはずなのに》(2025)刺繍、糸 14×18×1.5cm  ©wakumikanno

 写真は全体を比較的均等に写せるメディアだと思うのですが、私のなかで記憶は均等ではありません。印象に残っているところもあれば、少しずつ忘れてしまうところもある。だから作品でも、よく覚えているロゴなどはしっかり縫いますが、裏面の成分表示のようにあまり覚えていないところは、曖昧なまま縫っています。実物を見ながらつくっていても、すべてを同じように再現するわけではないんです。頭のどこかにはあるけれど、きっかけがなければ思い出せない。そうした記憶を、ものを通して引き出せたらと思っています。

──作品に残る糸やほつれも、記憶のあり方と関係しているのでしょうか。制作のキーワードとして「仮縫い」という言葉を挙げていました。

菅野 残っている糸を「切らないんですか」と聞かれることもありますが、あれは意図的に残しています。完全なかたちになりきるのではなく、少し変容できる要素がほしいんです。完成か未完成かという話でいえば、私は「完成していないぎりぎりの状態」を完成と呼んでいます。

 その感覚に近いのが、服をつくるときの「仮縫い」です。しつけ糸のように、とめてあるけれど外すこともできるし、そのままとどめておくこともできる。まだ変わる余地がある状態ですね。

 ただ、制作の最後に少し糸を残せば仮縫いになる、ということではありません。自分の記憶でもあり、他者の記憶でもある。過去でもあり、未来でもある。そういう曖昧で不安定な状態を、仮にとめる。私にとっては、制作そのものが仮縫いのような行為なんです。ぐっとつかまえるというより、本当にひと針、縫うような感覚です。

一針一針に対する熱い思いを語る菅野

──その状態をつくるために、糸の選び方や、手を動かす時間をどのように考えていますか。

菅野 基本的にはポリエステルの糸と綿の糸を組み合わせています。ポリエステルは発色が強く、綿は落ち着いた表情になるので、混ぜることでバランスやメリハリが出てくる。200色以上の糸を色見本帳のように並べて、そこから近い色を選んでいます。同じ糸でも、混ぜ方で雰囲気が変わるので、単純にモチーフと同じ色を使えばよいわけではありません。

 糸は重ねれば重ねるほど、色が濁ったり、分厚くなったりもします。だから、糸が絡まってかたちを保てるぎりぎりのところでとめる。その加減を見ながら制作しています。複数の作品を同時に進めることもありますが、日常でもいろいろなものを見ているので、モチーフの切り替えは自然にできますね。

 手を動かすことは、私にとって、自分の時間を強制的にかけることでもあります。いまはSNSであらゆるものが流れて、すぐに消費されていく。私が扱っているモチーフにも、そういうものが多いんです。その速さからこぼれ落ちるものに対して、自分がどれだけ時間をかけて向き合えるかを大切にしています。もちろん、完成した作品もSNSでは速く流れていく。その様子も面白いと思いますが、だからこそ、ものすごく時間をかけることが、自分にできるひとつの抵抗なのかなと考えています。

感覚に触れる細部、ものに重なる記憶

──ものの姿だけでなく、音や言葉も記憶を呼び起こします。作品のタイトルには、どのような思いを込めていますか。

菅野 私は小さい頃からピアノをやっていて、記憶が甦るときには、音を伴うことが多いんです。作品そのものに音を入れているわけではありませんが、お菓子の箱を振ったときの音からタイトルを考えたこともあります。

 言葉はすごく大事だと思っていて、タイトルはいつも候補をたくさん出して悩みます。自分の作品には、番号だけを付けるよりも、ちゃんと言葉で向き合いたい。言葉だけでも何かを想像できるというのは、いいですよね。個展に「気配」というタイトルを付けたときも、英語では近い意味の「trace」を使いましたが、日本語とまったく同じではない。曖昧なままとどめておける日本語の面白さも、自分の制作とつながっていると感じます。

──今回、DS「 N°4」を実際に見て、とくに目が留まったところを教えてください。

菅野 最初に感じたのは、圧倒的な存在感でした。どこを見ても、クルマ全体にこだわりが詰まっている。そのなかでもとくに気になったのは、室内のデザインです。座席やハンドルのステッチ、生地の切り替え、ボタンの部分など、細かいところに目がいきました。

ドアロックボタンの形状やトリムのテクスチャーなど、細部にも幾何学的な意匠が取り入れられている

 自分も糸を扱っているので、どこで生地を切り替えるのか、それが構造のためなのか、デザインのためなのか、と考えながら見てしまうんです。N°4は、見た目だけでなく、実際に座ったときの機能性まで考えられていると感じました。

 とくに生地の切り替え部分の、端の処理ですね。ステッチが少しもずれていないように見える、その仕上げにこだわりを感じます。普段から糸ばかり触っていると、なんとなくやっているのか、意図を持ってやっているのかが見えてくる。こういう細部を見ると、どれほど手が込んでいるかが伝わってきますし、自分が持ったときの高揚感や、わくわくする感じにもつながると思います。

シートのステッチをじっくりと見つめる菅野

──N°4の室内では、異なる素材や細かな意匠がひとつの空間にまとめられています。ご自身の制作と照らし合わせて、どう感じましたか。

菅野 素材は、重ねれば重ねるほどコントロールが難しくなると思っています。私の糸の作品でもそうですが、どこでとめるのか、その判断がすごく難しい。N°4はいろいろな素材を組み合わせながら、全体としてまとまっていて、そのうえで細部にも手が入っている。そこには、繰り返し試行錯誤してきた時間があるんだろうなと感じました。

 私は、細部にこだわればこだわるほど良いと思うタイプで、それは必ず全体の印象に出ると考えています。作品なら端をどう処理するか、糸をどれくらい残すか。クルマなら糸の太さやステッチの幅、生地をどれくらい配分するか、どこに職人の手を入れるか。そういうところにこだわらなければ、そもそも全体がつくれないのではないかと思うんです。このクルマも、外側はもちろんですが、室内を見ると、時間をかけて向き合ってつくられたものだと感じます。

レザーで覆われたステアリングも手触りは抜群だ
ひし形を基調としたスケールパターンが印象的なテールランプにも強いこだわりが感じられる

──手をかけてつくられたものが、誰かの手に渡り、使われていく。そこには、菅野さんが扱う「記憶」と重なるところもありますか。

菅野 自分の制作と、違うところも、すごく近いところもあると思いました。私がよく扱うのは、すぐに消費されてしまうものです。いっぽう、クルマは長く愛され、乗り続けられることで、記憶を内包していく。瞬間的な記憶だけではなく、長いあいだ乗ることで生まれる記憶や、出会いもありますよね。

 DSの場合は、つくられる過程にも職人の手が入っている。そこには、つくった人それぞれの記憶がすでに含まれていて、それが別の人の手に渡ることで、また記憶が積み重なっていく。そう考えると、自分の作品とも近しいところがあります。

 私の作品を買ってくれた方から、子供が喜んでいると聞くこともあります。自分が食べているお菓子と同じものが、作品としてそばにある。その子が10年後に作品を見て、「小さい頃にこれを食べていた」と思い出すこともあるかもしれません。作品には、それを持っている人の記憶も少しずつ生まれて、蓄積していく。記憶は自分だけのものではないんだと感じます。

 はっきりとしたロゴと、曖昧に縫われた裏面。かたちを支える糸と、あえて残されたほつれ。菅野の作品は、その違いのなかに、一人ひとり異なる記憶のあり方をとどめている。N°4のステッチを見つめる視線も、ものの表面から、その背後にある判断や時間をたどるものだった。つくり手が細部に注いだ時間の先に、乗る人の日々が重なっていく。菅野の言葉は、クルマの魅力を、完成した瞬間の造形だけでなく、これから生まれる記憶へと広げてくれる。

編集部

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