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風間サチコが語る「私をかたちづくった5つのもの」──ニーチェ、ドイツ表現主義、ザ・レジデンツ……。

風間サチコは、近代化の過程で生じた様々な違和感を出発点に、自身のイマジネーションを介在させた作品を制作してきた。白黒の大型木版画にくわえて、開催中の弘前での個展では新作の油彩画も発表している。その風間の制作スタイルや思想、インパクトのある画面づくりは、いったいどこから生まれたのだろうか。彼女を形成する5つのものに迫る。※6月19日24時まで、すべての方に全文お読みいただけます。

談=風間サチコ 構成=三澤麦(編集部)

映画『カリガリ博士』(1920) 写真提供:マツダ映画社

1. フリードリヒ・ニーチェ

 哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844〜1900)との出会いは、高校時代に詩人の萩原朔太郎(1886〜1942)がとても好きだったことがきっかけです。彼の随筆のなかでニーチェについて書かれたものがあり、「私の推しである萩原朔太郎が影響を受けた、ニーチェについて知りたい!」と思って、初めてニーチェの本を手に取りました。

フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』(氷上英廣訳、岩波文庫、1967)。個展「風間サチコ展:方丈ルームの1000里眼」の展示室には、風間が日々蒐集している資料などがコメントとともに紹介されている 撮影:編集部

 どの本を一番初めに手に取ったかは覚えていませんが、とにかく『ツァラトゥストラはこう言った』(氷上英廣訳、岩波文庫、1967)を読んだとき、ものすごく感銘を受けましたね。私自身、幼い頃から社会に対して鬱々と考えたり、反抗心を燃やしたりしていたんです。そういった経験もあり、「社会に対する批判を、こんなふうにきちんと表現している人が世のなかにいたんだ。しかも19世紀に!」という感激と喜びが、ワーッと湧き上がってきました。それからは、ピンク色の色鉛筆を片手にどんどん読み進めて、自分の心に響く言葉に線を引いたり、その言葉を紙に書き出して壁に貼ったりもしていましたね。自分の考えていることの後ろ盾ができたような、そんな感覚がありました。

 彼の言葉のなかに「嘔吐感そのものが翼を生み、泉を探しだす力を創造する!」というものがあります。私は現在アーティストとして、ネット上にあるネガティブな情報に対して嫌悪感を抱いたり、それを原動力に批評性をもって作品をつくっています。そのときに、このニーチェの言葉がいつも頭のなかにあります。

2. 19世紀末文化(世紀末芸術)

 この時期の文化芸術に惹かれ始めたのは、中学生の頃でした。私は小学校3年生のときに喘息を発症し、そこから中学校2年生あたりまで引きこもりと不登校を繰り返していたんです。入院生活を送ることもありました。その頃に「いかに周りから変な人に見られるか」ということを意識し始めてしまって……いわゆる「中二病」ですね(笑)。「この本を枕元に置いておいたら、みんなギョッとするはず」と思って選んだのが、エドガー・アラン・ポー(1809〜49)のアメリカ怪奇小説全集でした。やたらと退廃的な小説を、しかもニヤニヤしながら読んでいるという……。そうやって自分を演出していました。オスカー・ワイルド(1854〜1900)の小説や、シャルル・ボードレール(1821〜67)の『悪の華』(堀口大学訳、新潮社、1953)も愛読書で、アクセサリーのように持ち歩いたりもしていました。

ヴィリエ・ド・リラダンによる幻想小説『トリビュラ・ボノメ』(渡辺一夫訳、白水社、1940)は、風間が11年前に弘前へ訪れた際に古書店で出会った一冊 撮影:編集部

 今回の個展でも登場する19世紀のフランス人作家ヴィリエ・ド・リラダン(1838〜89)もそうですが、もともとは貴族や上流階級だった人たちが、近代化していく社会についていけずに脱落していくものの、心のなかでは「自分は貴族だ」という誇りを持ちながら美を追求していた。そういうイメージが19世紀末文化にはあって、すごくシンパシーを感じていたんです。中学生ながらに「私もこういう人になりたい!」と思っていました。

 加えて、私は歌手の大貫妙子(1953〜)さんがすごく好きでした。彼女の曲の歌詞には「デカダン(退廃的)」「リラダン」「メフィスト」といった言葉がいろいろと出てくるんです。そういったコンテンツを入り口に、19世紀末文化というものにたどり着きました。「私の進む方向性は普通の一般人ではなく、デカダンで、なおかつ高等遊民だ!」と本気で信じていたのですから、いま振り返るとだいぶヤバいですよね(笑)。

3. ドイツ表現主義

 20世紀初頭にドイツで展開されたこの芸術運動に出会ったのは、比較的遅くて、22〜23歳くらいのときでした。この領域もある意味でニーチェの世界に通じるものがあります。「人間的なもの」を凝視して、その内側と外側の両面を、シャープな線や、ギクシャクした不穏な構成、激しい色などで表現している、ドイツ表現主義の絵を見たときに大きな衝撃を受けました。

 当時、私は「いかにして胸の内にある想いやイメージを、具体的に表したらいいか」と少し悩んでいた時期でもありました。自分の表現したいものは、写実的に描くには毒々しすぎるし美的な要素も足りない。そう感じていたときに、ドイツ表現主義の木版画を見て、「自分が思っている近代性への批判や、そこにイマジネーションをミックスさせるような表現ができるのではないか」とひらめいたんです。私の作品にあるシャープな線や、白黒のコントラストといった強烈な画面は、このドイツ表現主義における版画の影響が大きいです。ドイツのドレスデンで活動をしていた「ブリュッケ」(Brücke、日本語で「橋」を指す)というグループの画集を、アルバイトで貯めたお金で買って模写をしていた時期もありました。

映画『カリガリ博士』(1920) 写真提供:マツダ映画社

 ちなみに、個展の関連イベントとして、サイレント映画『カリガリ博士』(ロベルト・ヴィーネ監督、1920)の上映会も実施します。奇怪なカリガリ博士が眠り男チェザーレを操り殺人事件を起こすのですが、それは精神病患者の妄想であったというもので、世界初の本格的ホラー映画とも称されるているドイツ表現主義の名作です。

 この映画は、美術学校時代に東京の小さな映画館で観ました。閑散とした場内で、見知らぬ男性客とふたりきりで観た映像は、三角形の白黒の断片が浮かんでは消え、思い出せない夢のような曖昧な記憶です。おすすめしたい作品のひとつです。

編集部