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2018.2.17

副田一穂が見た、「没後40年—伊藤久三郎展幻想と詩情」展

文=副田一穂

合歓の木 1939 京都市美術館蔵
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副田一穂 年間月評第8回 「没後40年─伊藤久三郎展幻想と詩情」展 シュルレアリスムの歿年調査

 22年ぶりとなる伊藤久三郎の回顧展は、かつて二科・九室会に所属したシュルレアリスムを代表する画家のひとりという評価の「戦前」偏重を是正すべく、そのスタイルの幅の広さを十全に示すものであった。フォーヴからシュール、そして戦中期の微温的な風景画を挟んで、アンフォルメルを経由しポップな抽象へと向かう伊藤の多彩な展開は、しかしひとたび同世代の吉原治良や鶴岡政男、あるいはやや年少の阿部展也、杉全直(すぎまた・ただし)らの画業と重ね合わせてみれば、日本のシュルレアリスム絵画そのものの足跡へと敷衍できそうだ。

会場風景

​ もしこの多彩さが「転向」に見えるとすれば、恐らくそれは、戦後岡本太郎が理論化を試みた対極主義や国立近代美術館の「抽象と幻想」展(1953〜54)が強調した「シュール=具象/抽象」という二項対立を、われわれがいまだ無自覚に引きずっているからだろう。戦前のシュルレアリスムを主導した画家・福沢一郎は、印象派以降から1935年までの絵画を非幾何学抽象/幾何学抽象という軸で二分するアルフレッド・バーJr.の有名なチャートを引きつつ、シュールを前者に定位した。にもかかわらず、いつのまにかこのチャートは、下限を40年に、終着点をシュルレアリスム/抽象の軸にそれぞれ改竄されたかたちで、戦後の美術批評のなかに流布してゆく。

 しかし、早々に戦後を予見するかのような抽象絵画へ「転向」し、戦後の評価が戦前のそれをはるかに凌駕することになった吉原治良のみならず、具象と抽象の相補性を図や数式を用いて示した北脇昇、有機的抽象によるシュルレアリスムの可能性を探った下郷羊雄(しもざと・よしお)など、この対立自体を無効化するいくつもの試みを、われわれは知っている。「オートマチズムは必然的に作家のイメージをのりこえてしまう。われわれは自身のイメージに頼るよりは空間創造の自己の方法の把握に腐心した」という具体美術宣言におけるオートマティスム論も、その延長線上に置き直されよう。​

猫電気A 1951 公益財団法人大川美術館蔵

​ さて、前述の「抽象と幻想」展では抽象に分類された伊藤の戦後作品だが、のちに九室(いわゆる太郎部屋)で注目を浴びる芥川紗織の苛烈な女性像を先取りする《猫電気A》や、岡本太郎の戦後復帰作のひとつ《憂愁》を皮肉るかのように、旗がよってたかってジャガイモを領土化する《PommedeTerre》など、それらはすぐれて具象的なイメージに満ちている。とりわけ68年以降、画面を覆う反復的な形象が、影や筆触の効果で浅いイリュージョンを獲得する作品群は、抽象の季節を経た日本のシュルレアリスムの重要な達成のひとつと言えよう。その点で、戦前の重要作《合歓の木》の画面奥に消えてゆく少女を覆う緑の幕もまた、画家の内面=未知の領域との境界面という解釈に加え、奥行きと表面との緊張関係においても読み直すことができる。

Pomme de Terre 1973 横須賀美術館蔵

 具象/抽象の軸は、いつしか戦前/戦後の時間軸へと横滑りし、シュルレアリスムを過去に閉じ込めてしまう。だが伊藤を含めこれらの/(スラッシュ)を自在に越境した画家たちの実践を真摯にとらえようとするならば、過大に見積もられたこの図式の有効射程は、今後正しく切り詰められるべきだろう。