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副田一穂が見た、「アッセンブリッジ・ナゴヤ2017 現代美術展『パノラマ庭園—タイム・シークエンス』」

文=副田一穂

平面と表裏の関係を明示する、豊嶋康子の展示風景 撮影=怡土鉄夫

副田一穂 年間月評第6回 アッセンブリッジ・ナゴヤ2017 現代美術展「パノラマ庭園—タイム・シークエンス」 裏庭に眺めは不要か?

 アッセンブリッジ・ナゴヤ2017は、名古屋港周辺を会場とする音楽と現代アートのフェスティバルだ(昨年に続き2度目)。本稿はこのうち、アートプログラム「パノラマ庭園―タイム・シークエンス―」について論じる。本展は12ヶ所の会場に12組のアーティストを配している。

小山友也 Dancing by myself 2015

 五線譜に月を写し出す野村仁や、潮の干満をとらえる朝海陽子の、自然現象に有意味なリズムを見出す写真は、この港まちの電線越しの空や護岸からの景色へと鑑賞者を誘う。騒々しいが漏れるパチンコ店の向かいに、他人のヘッドフォンの音漏れに合わせて踊る小山友也のパフォーマンスの映像。長屋建ての会場に、冨井大裕の紙袋を積み上げた彫刻。街路樹のケヤキに集う騒々しいスズメの群れや、中央分離帯の立派なソテツに気を取られつつ眺める、ユーアン・マクドナルドの小気味良い映像。旧・名古屋税関港寮では、法貴信也がベランダ経由で複数の部屋を縫うようにつなぎ、本来鑑賞対象ではない裏面に焦点を当てた豊嶋康子のパネル作品や、キャラクター不在の野比家(ドラえもん)のフッテージからなる鈴木光の映像が、会場の物理的な構造への想像を喚起する。

ユーアン・マクドナルドの展示風景 撮影=岡田和奈佳

 開館時間よりも作品上映時間が長い芸術祭や、トレッキングしないと会場間を移動できないアートフェスティバルが、さも当然かのごとく各地で開催されるなか、小規模とはいえ点在する会場をほぼ一筆書きでテンポよく見ることのできる本展の展示設計は出色だ。ディレクターのひとり、服部浩之が前回掲げた「まちを歩く動線や移動に応じて見える風景なども組み込んで考える、ひとつの庭を回遊するような経験を築く」意図が、十全に実現されている。それを可能にしているのは、06年から地区の活性化に取り組む「港まちづくり協議会」(まち協)や、15年に同協議会を母体に発足したアートプログラムのための団体「Minatomachi Art Table, Nagoya」による、地域住民との恒常的なコミュニケーションや協働の積み重ねである。この蓄積の上に本展は、港まちの日常的な景色や建築物と視覚的に呼応する作品を、効果的にインストールしている。

冨井大裕の展示風景。紙や包装紙を用いた作品 撮影=怡土鉄夫

 このコミュニケーションとキュレーションの分離は、地域アートやアートプロジェクトにおいて両者がほぼ同義になりつつある現状への反省的態度であり、ひとつの最適解でもある。がいっぽうで、極めてフォーマリスティックな本展のフレームは、無条件に肯定されるべき街の風景を措定に、作品を総動員しているようにも見える。

 会場のひとつ名古屋港ポートビルでは、展望室の見晴らしに加え、伊勢湾台風時のこの地区の甚大な被害をジオラマで一望できる(3階、海洋博物館)。その際につくられた殺風景な防潮壁は、地元の小学生たちの手形に彩られ象徴的な防御機能を獲得している。駅前にはいわゆるNIMBY(Not In MyBack Yard/うちの裏庭にはご勘弁)施設である競艇場外発売場が鎮座する(まち協の活動原資は、この発売場設置に伴い交付された環境整備協力費だ)。この裏庭の眺めもまた、本展を支えているものにほかならない。

朝海陽子 14.7 大潮 2013

編集部

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